第34話



「入手は困難か?」

「亜種だからな。そのへんの道端に生えてるものではない。ユイラで手に入れるには宮中や神殿の毒草を育てる許可のおりた施設から買いとるしかないだろう」

「砦では?」

「魔術師なら薬品庫から持ちだせる。が、あの部屋には魔術師以外の入れない結界が張ってある」

「魔術師が買収される可能性は?」

「ない。結界を解くには司書長の許可が必要だ。許可なく結界がやぶられれば、すぐにバレる」

「では、砦の兵士がその毒を欲すれば、輸送隊についてくる商人に頼むしかないな。だが、それも輸送隊の荷物あらためでひっかかる。毒物は禁制品だ。それこそ、バレたら商人は首がとぶ。命をかけるほどのメリットが商人にない。そもそも、毒で誰かを殺すのは砦の兵士のやりくちじゃない。ここじゃ死体はしょっちゅうころがってる。魔物に見せかけて殺すほうがラクだ」


 ワレスはミレインをのぞきみた。


「毒殺なんて、平和になれた都会の人間が、自分に疑いがかからないようにして人を殺す手段だ。そうは思いませんか? ミレイン卿」


 ミレインはビックリ顔でワレスを見る。


「なぜ私に聞くのだ?」

「あなたのように、つい最近、外から砦に来た人なら、自分の荷物に忍ばせておけたでしょう。たとえば、羽ペンの軸のなかにでも。輸送隊はそこまでは調べない」

「私を疑っているのか?」


 ミレインは青くなる。が、それが演技かどうかまでは、ワレスにはわからない。


「……たとえばの話をしたまでです。このカップは三、四日前に使ったのが最後だ。そのあいだ、誰にでも毒を仕込めた」

「冗談じゃない。さっきのお茶なら、私のぶんも苦かった。これにも毒が入っているのではないか?」


 ジュールがミレインのカップを手にとり匂いをかぐ。

「同じ毒だな」

「そらみろ。私のほうこそ殺されかけたのだ。小隊長は私を嫌っていたな?」


 それは違う。かけてないカップは二つだ。どちらがワレスにあたっても確実に殺せるように、両方に毒をぬったのだ。ミレインが犯人なら、自分は飲まないでようすを見ていればやりすごせる。ただ、今回は味が薄く苦味に気づきやすいコーニン茶だったので失敗しただけである。


 証拠はない。しかし、ここまで来たら、ミレインの荷物を調べると言えば、彼には断われないだろう。潔白を証明するためには、ワレスが納得するまで調べさせるしかないのだから。探せば、きっと見つかると思った。


「ですが、ミレイン卿。あなたは先日から、おれのことを裏でかぎまわっているそうですね。なんのためです? あなたが砦に来たほんとの理由は?」


 詰問すると、あきらかにミレインは窮地きゅうちに立たされた顔になった。無言でワレスを見返している。

 まちがいない。彼はワレスに知られては困る目的でここに来たのだ。


 ワレスが迫ると、ミレインはかなり逡巡しゅんじゅんした。が、ちょうどそのとき扉がひらき、洗濯物をかかえたセザールが入ってくる。室内のふんいきにギョッとして立ちすくんだ。


「あ、あの? 何かありましたか?」

「おまえは出ていろ」


 しかし、ワレスが目を離した一瞬のすきをついて、ミレインは外へ逃げだす。


「ミレイン卿!」


 追おうとすると、目くばせをかわしあって、ハシェドとクルウが両側からひきとめた。


「隊長。乱暴はいけません。相手は皇都の役人ですから」

「そんな場合か。毒殺されかけたんだぞ? バルバスだって、おれの身代わりで——」

「すみません。隊長」


 とつぜん謝罪するので何事かと思ったときには、ハシェドの手刀が首すじに入っていた。意識が遠くなる。


「隊長はお疲れなんですよ。近ごろ、寝不足みたいだし」


 だから、おれの勘違いだとでもいうのか?


 たしかに、今朝方のワレスのようすは異常だった。自分でも気がふれたように見られてもしかたないと思う。だからといって、ハシェドに信じてもらえないのは悲しかった。


 そんなふうに考えるあいだにも、急速に闇に落ちていく。失神しているのに、暗闇のなか、人の話し声が聞こえる。


「……ワレスというこの男、ミラーアイズを持っているらしい」


 知らない男の声だった。まだ若い。だが、その響きにはどこか冷たさが感じられた。


「ミラーアイズ。天馬の騎士か。皇家に簒奪さんだつ者が現れたとき、その者に贖罪しょくざいをもたらす神の使いとなるという」

「古い言い伝えにございます」


 今度は別の声だ。さっきの声より年配だろう。姿を探して見まわそうとしても、体が動かない。いや、体じたい存在していないような気さえする。


「本家本元の天馬の騎士にすら、もはや鏡眼を持つ者はおりませぬ。遠い僻地へきちの傭兵などが、まこと天馬の騎士なわけがございましょうや? 杞憂きゆうにすぎませぬとも」

「ラ・スターは皇家の守護者だ。しかし、かつて天馬の騎士たるラ・スターも、すでにその血を失った。鏡眼を失った天馬など、ただの駄馬だ」

「御意に」

「だが、それであればこそ、家名に無縁の流れ者を天が配したのではあるまいか? エニティの死には、四年たった今でも不審をいだく者がある」


 エニティ? もしや、数年前に夭逝した皇太子のことか? それに、ラ・スターは十二騎士の一つの? ジョスリーヌのラ・ベル家と同じ神聖騎士。ユイラではその名を知らない者はいないほどの大貴族だ。


 闇のなかでの会話は続く。

「陛下がそれほどご案じであれば、いかがでございましょう? その男、始末されましては?」


 つかのま沈黙があった。

「そなたに任す」


 無感情な声が聞こえ、何者かの気配が去っていく。


「さっそく人を送らねば」

 残る一方も立ち去る。


(なんだ? 今の?)


 ただの夢ではない。そう断言できる実感がある。同時に、恐ろしい真実の重みがワレスにのしかかる。


(陛下と言っていた。つまり、おれの命を狙っているのは、この国の皇帝か?)


 そんなはずがあるだろうか? ワレスはほんとに、ただの一介の傭兵だ。国の存亡にかかわるような人間ではない。身分だって平民だ。まあ、馬の骨といっていい。そのワレスの命を、十の州と十の森、何千もの都市、何万もの村々、一万の領主、神殿、そして数億の国民、それらすべてを統べるユイラ皇帝が、なぜ狙うのか?


 皇都にいたころは貴婦人の相手をしていたから、当然ながら皇帝のウワサや名前を聞くことはあった。だが、ワレスとの接点などまったくない。むろん、面識もない。


(天馬の騎士とか、ミラーアイズがどうとか)


 砦の魔術師たちは、ワレスを予言の天馬と呼ぶ。やはり、ワレスの運命が関係しているのだろうか?


(まさか、おれの運命が国家の行方を左右するとか言うなよな。おれはただ、愛する人と幸せに暮らしたいだけだ)


 考えこむワレスのまわりが、とつぜんサラサラと砂のように崩れだした。蟻地獄にかかったありのように、砂の流れに飲みこまれ、底の穴に落ちた。

 すると、ふいに、ワレスはこれまでとは別の夢のなかに立っていた。

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