episode4 学校史の雲隠れ
「ふん、ふ、ふん、ふ、ふん」
鼻歌を歌いながら本棚の整理をする。生徒会室には立派な本棚があり、数十年分の生徒会の資料が置かれている。この膨大な数の資料を整理するのも私の仕事だ。地味な仕事だが、退屈ではない。単調な仕事は意外と楽しいものだ。ご機嫌で仕事を続けていると、生徒会室の扉が開く。生徒会顧問の砂田先生だ。
「松葉、ちょっといいか」
ヒデくんは立ち上がり砂田先生のもとに向かう。
「どうしましたか?」
「実はな、来月、市長がこの学校に視察に来ることになったんだ。なんでも、福谷校長が昨年まで勤めていた高校の取り組みが面白かったらしく、本校にも興味を持ったんだと」
たしかに、ウチは周囲の評判では県内随一の進学校ということになっているし、それなりに特色ある教育をしている。まあ、市長のお眼鏡に叶うかは分からないが。
「で、お前たちには、そのときに市長に渡す学校史を用意してほしいんだ」
「学校史、ですか?」
「ああ。福谷校長に相談したら、それが一番分かりやすくていいって言われたんだ」
そういえば、学校史はこの教室にあったはずだ。私は本棚から学校史を探す。ええっと、たしかこのあたりに……あった、学校史2015年度版。私はそれを持って二人のもとに行く。
「そうそう、それだよ。えっと、お前は……」
「書記の式です」
「へ? 書記の書記だって?」
私の滑舌が悪いのか、それとも砂田先生の耳が遠いのか……ええい、訂正するのも面倒だ。
「ただの書記で結構です」
「ああ、そうか。じゃあ書記さん、サンキューな」
そう言って、砂田先生は学校史を受け取ると、校長先生らしき人物が写っている表紙をめくって見せる。
「この通り、別に図書館にあるような立派なもんをつくる必要はない。まあ、パンフレットみたいなもんだ」
私も背伸びして覗いてみる。なるほど。たしかに書かれているのは、歴代校長と生徒会長の名前、部活動の活躍、進学実績、主な行事、学校全体のマップ、そのくらいだ。新入生向けのパンフレットと大差ない。
「最新版は2020年度版なんだが、それに直近のデータ、つまり、三年分のデータを足すだけでいい。三年前に作ったときも、そうやって作ったんでね。悪いが、頼んでもいいか?」
砂田先生の依頼に、頼れる生徒会長は快く承諾した。
「もちろん、任せてください。ウチには優秀な同僚が二人もいますから、すぐ終わりますよ」
そう言って私としーちゃんに白い歯を見せる。私たちは顔を見合って「ふふ」と笑う。
「頼んだぞ。まあ、期限はまだ先だし、気楽にやってくれ。それじゃ」
砂田先生は背を向けながら手を振る。扉が完全に閉まったとき、私は「はっ」と思い、本棚の前に駆け寄る。さっき学校史を取り出したあたりを見て確信する。まずい。私は振り返り叫んだ。
「大変! 学校史が最新版だけない!」
二人が本棚に駆け寄ってくる。本棚には2015年度版とそれ以前の学校史がずらりと並んでいる。2010年度版、2005年度版、2000年度版……どうやら5年毎に作られているらしい。二人は2020年度版がないことを確認して「うーん」と唸った。
「困ったわね。それがないと学校史をつくるのがかなり手間になるわね」
険しい顔のしーちゃんにヒデくんは同意する。彼は少し考えた後、「よし」と太ももを叩いた。
「最新版がどこにあるか、少し考えてみようぜ」
かくして、茜色に染まる生徒会室で、消えた学校史を巡る極めて重要な推理が開幕したのだ。
私は見やすい場所にホワイトボードをデンと置き、黒ペンをシャカシャカ。かかとを上げてホワイトボードの一番上にシュシュッと文字を書いていく。さて、今回の議題はこれだ。
議題:2020年度版の学校史はどこにあるのか?
「まず、この教室には本当にないのかな?」
ヒデくんがそう言うと、しーちゃんが私の肩をポンと叩いた。彼女は信頼の目で私を見る。
「毎日書記ちゃんが整理してくれてるんだから、おかしなところに紛れ込んでるなんてこと、ありえないわ。ねっ、書記ちゃん?」
「身の程を知るべし」がモットーの私だが、資料整理には自信がある。私だってプライドを持って雑用をこなしているのだ。私は迷わず肯いた。
「ということは、書記ちゃんが入学する前、つまり、一年半以上前にこの生徒会室から紛失したってことか」
その通り。「まったく、先代の書記はいったい何をやっていたのかしら」と心中で珍しく腹を立ててみる。
「じゃあ、紛失先として考えられる場所はどこだろう?」
ヒデくんが問いを立てると、しーちゃんが即座に手を挙げる。さすがしーちゃん。頭の回転が速い。
「隣の物置部屋はどうかしら? あそこにはたくさん物があるし、埋もれていてもおかしくないわ」
たしかに、この前プラネタリウムを探したときも、色んな物が散乱していて苦労した記憶がある。可能性は高いだろう。
「それと図書室もありえるわ。意外と知られてないけど、学校図書の中には学校の歴史に関する資料が少しあるの。学校史は生徒会の資料であると同時に、学校全体の資料でもあるから、最新版だけそっちに移動させてしまったのかも」
言われてみれば、図書室の端に立派な装丁の学校史らしきものが置いてあった気がする。私が見たのは生徒会作のちゃちなものじゃなくて、本物の学校史なのだろうが、一緒にお目当てのものも陳列しているかもしれない。
二つの意見が出たところで、ヒデくんがパンと手を合わせる。
「考えられるのはそのぐらいか。よし、二手に別れよう。俺は図書室、しーちゃんと書記ちゃんは物置部屋でどうかな?」
異論なし。私たちは手分けして雲隠れした学校史を懸命に捜索したのだった。
ケトルに水を入れてスイッチをカチッ。よっこらせと棚からコーヒー豆をとる。今日は原点に帰って一番シンプルなスペシャルブレンド。スプーンで豆をすくってミルに投入。十八キロしかない握力でガリガリと豆を挽く。挽いた粉をドリッパーに流し込み、ケトルのお湯で粉を蒸らすこと二十秒。円を描くようにゆっくりとお湯を注いだ。さて、書記ちゃん特製スペシャルブレンドコーヒーの完成だ。
結局学校史が見つからず、がっくりしている二人にコーヒーを持っていく。
「いつもありがとな、書記ちゃん」
「わあ、いい香り。ありがとう」
二人の顔に笑顔が戻る。「よかったよかった」と思いながら私も一口。うん、やはりシンプル・イズ・ベストだ。
私たち三人はコーヒーを飲みながら、もはや何の役にも立たない私の書記を眺める。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
議題:2020年度版の学校史はどこにあるのか?
(一年半以上前に生徒会室から紛失か)
前提:生徒会室 → ✕(2015年度版以前はあり)
説①:物置部屋 → ✕
説②:図書室 → ✕
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「今回は詰むのがワンテンポ早いなぁ」と思っていると、ヒデくんがパチンと指を鳴らした。
「一年半以上前に紛失ってことは、一年半以上前には生徒会室には学校史があったということだ」
「それがどうしたの?」
「つまり聞けばいいのさ。三年生の先輩にさ」
なるほど、その手があったか。先輩なら私たちが入学する前年のことをよく知っているはずだ。ヒデくんは早速、前生徒会長の柳先輩に電話する。快活な声で話し始めたヒデくんは、柳先輩の話を聞いて、だんだんと表情が曇っていく。電話を切ったときには、ついに項垂れてしまった。
「『俺たちも見たことないなぁ』だってさ」
「ということは紛失したのは、先輩たちが入学する前年で、学校史の製作年でもある2020年ということになるわね」
いよいよ前提が崩れていく。もしかしたら、生徒会室から紛失したのではなく、そもそも生徒会室には置かれていなかったかもしれない。かといって、紛失先の候補となる場所はもう思いつかない。私たち三人は腕組しながら唸り始めた。
「そもそも、なんで最新版だけ生徒会室にないのかしら?」
しーちゃんがやはり原点に立ち返る。
「生徒会室に置いておくと他の人が閲覧できないからじゃないか? 読まれる可能性があるのは最新版だけだろうし」
「でも、図書室にはなかったのよね……となると、ただ単に資料管理が甘かったのかしら?」
「だけど、物置部屋にないとなると、いったいどこに行ったんだ?」
天を見上げて苦しそうに悩む二人。しーちゃんは大きなため息をつくと、コーヒーを一口飲んだ。
「今日のコーヒーおいしいわね。豆はなにか特別なものを使ってるの?」
「ううん、普通のブレンドだよ。コロンビアとブラジルが主体のシンプルなやつ。おいしい豆を探して色々試し飲みするんだけど、結局シンプルなのが一番おいしかったりするんだよね」
「分かるわ。灯台下暗しってやつね」
もう一口コーヒーを飲もうとした瞬間、しーちゃんは「ハッ」とした顔を見せた。ヒデくんがパッと顔を上げる。
「もしかして、この生徒会室にあるってオチか?」
しーちゃんは淑やかに微笑みながら首を振る。
「残念。灯台はここじゃないわ」
そう言ってしーちゃんは扉の方へ歩いていく。
「それじゃあ、灯台のもとに向かいましょ」
「まったく、うっかりしてたよ。自分が頼んでおきながら、肝心の資料を自分で持っていたなんて」
砂田先生が申し訳なさそうに2020年度版の学校史を手渡す。
「こいつの制作に俺も関わってたんだが、作った後俺がそのまま保管してたんだ。まあ、どこにあっても同じだと思ってな。しかし、こいつが俺のところにあるってよく分かったな」
砂田先生が感心しながら言うと、しーちゃんが理路整然と自身の推理を説明する。
「学校史の作成することを決めたのは福谷校長です。福谷校長は今年この高校に来られた先生。つまり、この学校史の存在は知らなかったはず。では、なぜ学校史を作ろうと言い出したのか。きっと、砂田先生が相談のときに学校史を見せたからだと思ったんです」
私たちも思わず息が漏れる。言われてみればその通り。まさに、灯台下暗しだ。
「さすが田島。松葉がいて、お前がいれば、生徒会は鬼に金棒だな」
しーちゃんは照れくさそうに謙遜する。
「私はきっかけを貰って、ちょっと頭を働かせただけです。学校史の在り処が分かったのは、きっかけをくれた書記ちゃんのおかげです」
「そうか。それじゃあ、松葉は両手に華ならぬ、両手に金棒だな」
ヒデくんはうんうんと肯く。今回も私はラッキーガールのようだ。何もしていない私がお荷物扱いされるどころか、こんなに褒められるのだから幸運この上ない。
「両手に華に、両手に金棒なのは、むしろ私のほうじゃないかな。私、何もしてないのに」
そう私が呟くと、しーちゃんが私の背中をポンと叩いて微笑んだ。
「そんなことないわ。そもそも、書記ちゃんが毎日資料整理をしてなかったら、生徒会室の膨大な資料を全部探さなきゃいけなかったのよ」
ヒデくんも白い歯を見せる。
「その通り。それに、書記ちゃんのおいしいコーヒーや丁寧な書記のおかげで、考えが煮詰まったときも頭の中がすっきりするんだ。いつもありがとな」
「身の程を知るべし」がモットーの私だが、最近、自分の「身の程」がどのくらいのものなのか、分からなくなってきた。褒めてくれる二人を信じるべきか、それとも自信のない自分を信じるべきか……灯台下暗し。自分のことは案外分からないものだ。私は思わず苦笑いしてしまった。
式春香。通称「書記ちゃん」。モットーは「身の程を知るべし」。依頼者と探偵の影に隠れ、ささやかな活躍をする地味な女の子。しかし、どうやら彼女は自分の「身の程」を測りかねているようだ。
ーー砂田先生が帰り、仕事に戻ろうとしたとき、ふとヒデくんの様子が目についた。学校史を広げて見ながら、なにか考え込んでいる。
「ヒデくん、どうしたの?」
「はっ」と、私の声で我に帰る。ヒデくんは私の顔を見て、少しぎこちない笑みを浮かべた。
「いや、なんでもないよ」
そう言って仕事を再開するヒデくん。私は不思議に思いながらもパソコンに目を移す。この時、私は知らなかったのだ。彼の脳内に渦巻く謎の存在に……
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