15

 会合から三日ほど経った日の放課後、よしのと真美は、家庭科室のすぐ脇にある小さな部屋、つまり家庭科準備室にやってきた。それを出迎えた入野と成瀬は、二人を長机の席に案内すると、それぞれの名前をマジックペンで記した紙コップを手渡した。この部屋の間口は三メートルほどでお世辞にも広いとは言えない空間だが、校内の他の場所とは違いどこか優雅な時間が流れている。入野は急須で淹れた緑茶をコップに注ぎ終えると、市役所との電話の内容について話しはじめた。


「市の説明によると、竹林の全面的な伐採が決定した後、しばらくしてから、


『ここは昔土着信仰の神域で、社も建てられていた場所だから、安易に伐採するのはよくないのではないか?』


という伐採への反対意見が多数、寄せられたそうです。その結果、市の職員さんたちは、伐採の賛成派と反対派、二つの意見の間に板挟みになって、ひどく悩むことになったそうで……最終的には、面積の半分だけを伐採して、公園やレンタル菜園として整備して、残り半分は自然の姿を活かしながら緑地として管理することに決まったそうなんです」


「それって、つまり……あの竹林は助かったってことですか!?」


 よしのは意外な事の顛末に驚きの表情を見せる。


「すごいよ、それ! 半分だけ残されていたのは、そのためだったんだ!!」


 真美はそう言いながら、今にも飛び跳ねそうな勢いである。


「一応、そういうことになると思います。今でもまだ少し、信じ難いのですが……でも、公園になるとしたら、私たち以外の人たちも、もっとあの場所を楽しむことができるようになると思います」


 成瀬は柔らかな笑顔をよしのたちに向け、そう答えた。


 ところが真美は、先ほどまでの笑顔を急に曇らせ、頬杖をついて考えはじめた。


「でも、あれだけ成瀬さんたちが頼んでも冷たかった人たちが、ちょっと反対意見が増えたからって、そんなに簡単に変わるものなのかな??」


 真美の指摘に、入野は少し不安そうにうつむいて、話を続けた。


「ええと、私もそのあたりは奇妙だなと思っているんですが……どうも最初に竹林を伐採してほしいと苦情を寄せた人たちの中にも、後でその『神域』や『社』にまつわるウワサを聞いて、ものすごくあわてて連絡してきた人もいたそうで……


『そんな話があったならもっと早く言ってもらわないと困るよ! うっかり罰当たりな伐採計画に賛同するところだったじゃないか!』


という具合で、かなり強く伐採の中止を迫ってきたそうです」


「何それ。なんか、おかしな話だね……」


 真美はアゴを机につけて、紙コップから立ち昇る湯気を眺めている。コップの側面には、丸みを帯びた可愛らしい字で「真美さん☆」という文字が書かれていた。


 しかし、しばしの沈黙の後、不意によしのが「あっ」と声を出した。


「それってもしかして、ウワサがあまりに力を持ち過ぎたせいで、『ウワサ』という段階を通り越して、本物の『伝説』になってしまった、ってこと……じゃないかしら」


「ん!? それ、どういうこと??」


「つまりね、道聴塗説が行き着くところまで行って、ウワサが一つの物語として完成されてしまった。そして、その物語の力が、本当に現実世界の形を変えてしまったのよ」


「どうちょうとせつ??」


 真美はまだ、頭の上にハテナマークを浮かべている。


「ええと、そうね。この前カフェで四人で話した時、『竹林に幽霊が出る』っていうウワサが、途中から『竹林が神聖な場所だった』というウワサに変化したって話をしたでしょ? それが今回聞いた話だと、もっと進んでしまって、『竹林はかつて信仰のあった場所で、社が建っていた』っていうところにまで行きついていた。もうここまで来ると、単なるウワサのレベルではなく、その土地が持つ伝承・物語の域ね。『様々な人々の手によって語り継がれながら変化していく』という、古くからある怪異譚や神話にも共通する手順を踏んだことで、この現代にも、新しい『おはなし』が生まれてしまった。ただ昔と違っていたのは、インターネットという、語り継ぐ速度を何倍にもしてしまうネットワークとデバイスがあったってことね」


 真美と成瀬たち三人は、真剣な表情で話を聞いている。よしのはさらに話を続けた。


「今やウワサから生まれた『おはなし』の影響力は、SNSをやらない現実世界の人たちでも無視することができないものになってしまっている。その結果、竹林の伐採に積極的だった人たちも、急にその『おはなし』が怖くなって慎重派に回った、というわけじゃないかしら」


「うーん……まあ、わかる気もするけど、そんなことでホントに市政が動くのかな??」


「もし仮に――慎重派へと手のひら返しをした人たちの中に、この地域の政治的な有力者がいたとしたら……あの竹林の周辺は市内有数の高級住宅地だってことを考えると、あり得ない話ではないと思うのよね」


「なるほど! あの場所はこの市の政治家や大企業の偉いさんが住んでいる可能性が高い場所だもんね! それならあり得る話だよ!!」


 真美が答えると、入野もそれに頷く。


「よしのさんのお話、私もなんだか納得できます。SNS上で生まれた小さなウワサは、仮想の世界から現実世界に出てきて、さらに人から人へと語られるうちに、私たちが想像するよりもずっと大きな物語に育っていったってことですね。よしのさんって、とっても面白い考え方をされますね! なんだかすごいです!!」


「いや、あの、ええと……単なる推測だし、もしかしたら違ってるかも……」


 よしのは胸の前で手を合わせるような仕草をしながら、恥ずかしそうに目をそらした。すると真美が、にやにやとしながらよしのを見つめている。


「なんかさぁ、照れてるよしのってかわいいんだよねー!」

「もう真美、何言ってんのよ! あんまりこっちばっかり見ないでよ!」

「いいじゃん、かわいいんだから!」


「ふふっ、仲いいんですね、お二人とも」


 成瀬はそう言うと「ちょっと待っててくださいね」と言い残し、ローファーの音を響かせ、部屋を出ていってしまった。


「あれ!? 成瀬さん、どこいちゃったんだろう??」


 真美の問いかけに、入野は「大丈夫です。すぐ戻りますから!」と答え、自らも成瀬の後を追うようにして部屋を後にしたのだった。

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