第四話 資格
[零]
「あっ、そうかも…… そうだよね…… 何か聞き違えたかも…… それで今日は……」
私は、その場の乗りに合わせるため、話を変えてしまった。
本当は、もっと詳しく聞きたかった「人形」のことや「伊藤先輩」のこと。でも、あの笑顔を見た時、本当に何も知らなそうだった。
これ以上、聞けば、小学生以来の友情が途切れるような気がした。
とりあえず、今日も美術部のデッサンモデルとなったが、美術室の様子を見て、私が抱いた心のモヤモヤはさらに深くなった。
今日は、昨日より早く帰宅した。
家には誰もおらず、寂しくも静かな時間が流れていた。
自分の部屋に行くと、昨日と同じようにすずがベッドの上で、私の教科書をじっくりと読んでいた。
「おう、帰ったか、今日はどうじゃ? ちゃんと元通りになっておったじゃろ!」
「ねぇ、すず……」
「なんじゃ?」
「『神仕官』って、なんなの?」
すずは、驚いたような顔した。
「これは、出会った時に話したぞ、『神仕官』とは、この世に蔓延る『闇』を討つ、高天原の神々に仕える官である。過去に何度もこの世の人々から一人選ばれ、『闇』を……」
「そうじゃなくて!」
すずの表情が変わり、私は話した。
「今日、美術室に行ったよ。確かに全てほとんど元に戻った。でも、皆なんか変だった。多分、私が人形を倒して無くなったかもしれないけど、けど、それと同時に「伊藤先輩」も消えてた。私は知ってるし、憶えてる。友達ともそんな話をしたのに…… 誰も誰も憶えていないし、そもそも、その存在が無かったみたいになってる。なんでどういうこと、人形はいいけど、なんで、伊藤先輩がいないの? どういうこと、なんで、なんで……」
私はベッドの傍で訳も分からず泣き崩れていた。
泣く私を見かねてか、すずは語り掛けた。
「われも「伊藤先輩」のことは、おぬしから聞きて憶えておる。じゃが、「闇」という存在は、時として、人の存在を消す。それが友人や親友、家族であれ、どれだけ強固な絆や愛であっても、闇の深淵へと落ちれば、この世に無き者になってしまう。それを防ぐことができるのは、『神仕官』である朱音しかおらぬ。おぬしは「闇」から人を守らなければならぬ。例え、誰が消えて忘れ去られても、一人でも多くの人を守り、世の安寧と……」
「わかんないって!」
私が叫ぶと、すずは無言になった。
「わかんないって…… 『神仕官』になった理由も、その使命も…… なんで、私なの! なんで、私がこんな目にあわなくちゃならいないの! 私は、私はただ…… ただ…… 今は…… その人がいなくなって……」
すずは、しばらく声を掛けてこなかった。
だが、泣き続ける私に重い口をゆっくりと開き始めた。
「朱音よ。おぬしの人を思いやる心が『神仕官』として選ばれたと、われは思う。『神仕官』に選ばれた理由は『その勾玉』にしかわからぬ。じゃが、われには、おぬしが『神仕官』の素質があると思う。何故だか分らぬが…… でも、われは、おぬしのこの様な姿は見たくない。それじゃから、そう、そうの……」
再び、すずは無言になった。
誰もいない家で、私の辛く、誰にも理解されない涙がただ静かに流れていく。
[壱]
あの出来事から、約1ヶ月。
その日を境に、私の日常は大きく変化し、『神仕官』として役目を担う日々が増え続けていた。
節分の日には「鬼」の姿をした闇を倒し、ある日には、学年の音楽会で見かけた、生徒に憑依しようとする闇を倒し、他にも、細々した闇を倒していた。
どれも強敵ではあったが、誰も被害に遭うことなく、未然に私がそれを防いでいた。だが、あの時、抱いた心のモヤモヤは晴れないままだった。
すずは最近、私が帰宅してもいないことが多くなった。しかし、翌朝に起きると、いつも通り、私が寝るベッドの上で寝ている。
私がすずに「どこに行ったの?」と聞くと、すずは「空の上」や「ちょっと長めの偵察」と何かをはぐらかしているように聞こえた。
すずは雀だけど、神仕官の事を知ってるから、信頼しているし、信用している。けれども、時々、それすらも分からなくなってしまう時がある。
学校の日常は『神仕官』になっても、変わらなかった。
今日も、はるかと一緒に登校する。
「およはう、もりちゃん、今日も寒いね」
はるかは寒い中でも、いつも通り元気だ。
「およはう、確かにね、もう3月に近いのね」
「そうだ、期末テスト! もりちゃん、大丈夫? 3学期の範囲全部だよ。全部」
「う~ん、大丈夫かな…… とりあえず、五教科は勉強してるし、副教科も前のテストはそんなに難しくなかったから」
「でも、数学、前の期末、低かったよね……」
「それはお互いさまでしょ! そもそも平均が低かったら」
「それもあるね。今回は多分、簡単になるんじゃないかな?」
「だといいね」
「ところで『銭の戦争』見た? なんかすごいことになってるよね……」
学校に着くまで、二人だけのたわいもない会話が続いた。
[弐]
朝の始業チャイムが迫り、一年校舎へ昇降口は、靴をうわぐつに履き替える人で入り乱れていた。
私たちは、それぞれの教室へ向かって行った。
「おはよう、もりちゃん、今日ちょっと遅いね」
教室に入ると、なぎがいつものように挨拶する。
「なぎさん、おはよう、ちょっと、はるかと話しすぎた。あと寒さ……」
「そうだね~ 今日も寒いもんね~」
その後、私は自分の席へ行き、カバンから教科書やノートを取り出して、今日の準備をしていると、かりんが滑り込むように教室に入ってきた。
「ハァハァ、よし、セーフ~ あ、おはよう、なぎさん」
「おはよう、今日はやけに息が切れてるね。どうしたの?」
「い~や~ ちょっと二度寝しようとしたら、親に起こされて、時計みたら、なんかもう8時でさ~ 大分走った!」
「りんちゃんのうち、結構、遠いよね。てか、早くない? 全部走ったの?」
なぎが驚いたように聞く。
かりんは首を横に振り「うんうん、途中まで親に送ってもらった」
「どこまで?」
「近くのコンビニまで!」
「ほぼ走ってないよね。それ……」
「い~や~ 大分走ったよ。コンビニから正門まで50mぐらいで、正門からここまでが何キロだろ~ え~と……」
「合計200mぐらいじゃない?」
なぎさんが呆れた表情で言う。
「多分そんなぐらいかな?」
「絶対、走ってないよね。それ!」
「いや、結構走った。だって、この校舎半周するんよ、半周! この窓から入れたら、もうすぐよ、すぐ!」
「はいはい、わかったから…… 早く準備したら……」
なぎがそう言うと、時計は8時35分を指し、始業のチャイムが鳴った。
まもなくして、担任と副担任が教室に入ってきた。
「席座りや~ もうチャイムなってるで~」
そして、室長が起立の合図を言い、朝の挨拶ともに朝の会が始まる。
挨拶の後、いつもの担任のゆったりとした口調から始まる。
「もう~ そろそろ、期末テストも近いですけど、皆さん、勉強してますか? もう3月も近いですけど、勉強せずに中学2年なろうと思ったら、大間違いですよ。しっかりと授業の復習ぐらいしといてください。まあ、余談はこれぐらいにしといて…… ちょっとねぇ、不審者の情報です。昨日の夜かな~ JRの駅の方のあたりで、うちの生徒ではないんですが、誰かに跡をつけられたという事が何件かあったみたいなんですよね。まあ、なんも被害はないみたいで良かったんですけど、警察から連絡あったで、何かあったら、ちゃんと逃げてくださいという話です。そんだけです。種田先生、他に何かありますか?」
「いえ、特にないです。期末に向けてしっかり勉強してください。それだけです。」
「はい、他に連絡ある人…… なそうですね。じゃ、朝の会を終わります。」
再び、室長が起立と言い、挨拶して朝の会は終わった。
被害のない不審者の情報はたびたび聞くが、『神仕官』である私にとって、まだ影響はない。すずにも、聞いた事を話して、その周囲を偵察してもらっているが、闇を感じるようなことはなかったと言っている。
私は、関連がありそうだと思っているが、すず曰く「人は周りに近い人ほど、信頼しやすく、遠くなるほど警戒しやすくなる。例え、無害な人物でも、その人を知らないのであれば、不審者に感じやすい」と説明し、私は一瞬納得しかけたが、今は、被害はなくても、誰が被害にあってからでは遅いと思ったし、誰一人失いたくはないと思った。
突然、後ろから私の両頬がつままれた。
「何~考えているの~ 顔が怖いよ~」
かりんがつまんでるようだった。
「ねぇ、離して~ ちょっとボッーとしただけ~」
そういうと、かりんは、両頬をつまむのをやめた。
「最近、もりちゃん、顔が怖いよ。なんか悩んでるの?」
なぎの顔が机の前から上がるように現れた。
「いや、何にもないよ。勉強のしすぎかな~」
「いや、そんな風には見えないけど、もっとそう、なんか感情的な~」
「恋だ!」
かりんが言って、私たちの空気は静まり返った。
「ウソ~ もりちゃん、好きな人がいるの~ ねぇねぇ、誰? 誰なの?」
なぎが食い入るように聞いて来る。
「いやいや、いない。ただの勉強しすぎだって…… 何言ってるの、りんちゃん!」
「だって、なぎさんが、感情的な~とか言うから、恋かな~って……」
「で、誰なの、もりちゃんの心を射止める王子様は?」
「だから、いないって! 夜更かし! 寝不足!」
「ここの男子はなしよね。そうなるとやっぱり、隣の2組の早瀬くん? イケメンだもんねぇ~ 身長高いし、サッカーやってるし、爽やかでめっちゃ万能そうだもんねぇ~ それ以外だと……」
なぎが勝手に一人でそのことで盛り上がっている。
「だから、恋じゃないし、好きな人もいません。それって、なぎさんの好きな人じゃないの?」
「残念~いません~ この学校の男子って、なんかガキっぽくて、なんかな~って、でも、ブスとイケメンぐらいの見分けはつくよ」
私はなぎの辛辣なコメントを聞き、反応の仕方に困る。
「でも、幼稚園の時ぐらいに、この人好きーみたいのあったよね~」
私はそれに共感して首を頷かせる。
「わたしは、幼稚園の先生とか、お父さんが好きだったけど、今はあれかな……」
なぎは、苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「もりちゃんはいた?」
「私もいたけど、秘密」
「えーちょっとずるい、わたし言ったよ! 誰なの? もう時効でしょ!」
「なぎさん、勝手に言ったんでしょ! 私は秘密」
「あ~ ずるい、ところで、りんちゃんはそういう人はいるの?」
「えっ、私? いないよ。そもそも、恋ってどんなの?」
私となぎは、言い出しっぺのかりんの方を見て「えっ?」という反応をするしかなかった。それでも、かりんの笑顔はまぶしかった。
[参]
一限目は「社会科目」。教えるのは、生徒指導主任を務める強面のベテラン教師。
この先生の特徴は、黒板にある程度の内容を書いて、生徒にそれを板書させ、ある程度の人が書き終えた時に、黒板・教科書の内容について解説する。
「え~「フォッサマグナ」というのですね。ラテン語で「大きな溝」という意味です。日本では、新潟県の糸魚川から静岡県の伊豆半島辺りを縦断するように存在します。では、この地域に何がある? えっ~と、18番!」
この先生の授業は、いつも教室がピリッと引き締まる。生徒指導主任という立場で、いつも授業で寝ている運動部の子も、さすがにこの授業では姿勢の伸ばし、授業を受けている印象がある。
二限目は「数学」教えるのは、ピタゴラスイッチでアルゴリズム体操をいつも左側にいる人に似ている教師。
この先生の特徴は、とにかく問題を解かす。数式や問題の解説よりも、問題を解く時間に重点を置いている。そのため、数学が苦手な子は、隠れるようにペン回しやノートに落書きをしている。
「線が2つあります。そして、それは平行しています。あれですね。レールが2本あると思ってください。ここに斜めの線を引きます。」
割と説明は、ざっくりしているが、今は非常にわかりやすいと思う。
私は授業中、ふと窓の外の空を眺める時がある。
決して、授業に集中していないわけではない。なぜか、空を眺めたくなる。
そして、その後は必ず、私から見える教室の範囲を見渡す。
私はなぜか、私だけが孤立している様な感覚があった。
でも、実際は孤立なんてしていない。なぎもかりんとも仲が良いし、クラスメイトとの関係も悪くなく、普通だと思う。
けど、孤立している。いや違う、私だけが『神仕官』という訳の分からない者になっているから。
でも、私はそんな気持ちを抑えて、なるべく考えないように授業に集中し、黒板の内容をノートに書き写した。
[肆]
三限目は「技術」、四限目は「国語」。担任と副担任の授業が続く。
技術は、前学期から続く、木工工作の続き。器用な子は、すでに完成して、友達の作業を見て喋っており、ほとんど休憩時間となっている。
でも、私は、こういう作業は不器用でまだ半分ぐらいしかできていない。
「もりちゃん、手伝おうか?」
かりんが私の作業を見ながら言う。
「うんうん、大丈夫」
「そう? あと2回でこの授業終わりって言ったけど、本当にできそう?」
「う~ん、ちょっと材料切ってもらえる……」
「OK!」
かりんは、もうすでに木工工作が完成している。話している印象ではこういう事は遅い方かなと思っていたが、人は見かけと印象ではないと思った。
「りんちゃん、わたしもやってよ! お願いします」
さっきのやり取りを聞いてか、なぎがかりんに頼んだ。
それに対して、かりんは「いいよ! これ終わったらね!」と快く返した。
国語は、いつもの通りの厳しさである。授業内容は特に言う事はなく、順調に進んだが、最初の方で寝ている子を注意し、少しだけ授業が止まった。
四限目が終わり、先生は不機嫌そうに教室を後にした。そして、給食となって、短い昼休みが始まる。
いつもなら、この時間は、なぎ、かりんと話すことが多いが、今日は、部活や委員会の集まりがあり、私一人だった。
特にやることはなく、私は一足先に「英語」の授業が行われる四階のA教室へと向かった。
当然ながら、誰もいない。私はなんとなく、教室の窓を開け、冷たい風を感じながら、広い運動場を眺めていた。そして、ため息をつく。
やっぱり考えることは『神仕官』のことだけだった。
思えば、今学期の始業式の日に、四階に行こうとして、階段を上がった記憶はある。けど、そこから途切れて、目を覚ました時には、保健室のベッドで寝ていた。そして、家に帰ると、すずが居て、知らぬ間に『神仕官』になっていた。
全てはこの日から始まっている。けど、私はその時の記憶がない、思い出せない。
『神仕官』になった経緯も理由も私自身が決めたかも、どうかも分からない。
それから、何度も「闇」という存在と対峙しているけど、誰かの命を一人消してしまったのは、あの出来事だけ。
私のせいじゃないことぐらいは分かっている。でも、私のせいかもしれないと思う。
その時も戦いの途中で記憶が途切れているが、倒したという実感はある。けれども、救おうとする人は消えた。
知らないうちに誰が消えて、誰もその人の事を憶えてなく、私だけが憶えている。他人から見たら、私は狂人かもしれないけど、私は至って冷静でその記憶は間違っていない。でも、それは私の記憶だけで証明するものは何もない。
このもどかしさが、心のモヤモヤとなり、私自身を締め付けていた。
私は、これを拒否できたはずだが、直感は「そうではない」と言っている気がする。
私はスカートのポケットから『青い勾玉』を取り出し、太陽にかざして眺めた。
「なんでなったんだろう…… 私……」
大きな独り言だった。
ワチャワチャする話声がだんだんと大きくなってきた。その雰囲気から、午後から授業の光景がそれとなく思い浮かんだ。
[伍]
五限目は「英語」。A教室とB教室に分かれ、二人の先生が担当する。
A教室の担当は、若くて勢いある男性の先生。やたらと出身地である京都「宇治」を推し、英語脳を作るという理由で、英語の曲を頻繁に流している。最近は「Let It Go」が流れているが、授業自体は割と真面目に教えている。
B教室の担当は、40代前半ぐらいの女性の先生。英語でのコミュニケーションを重視する先生らしく、ここの授業を受けている子は、毎回、隣の子と英会話をすらしいが、私はA教室なので、詳しくは知らない。
生徒の間で人気なのは、A教室が断トツで、先生も若いせいか、ノリが若干軽い。
そんなA教室の楽しくも和気あいあいがすぎる英語の授業が終わり、最後の授業である六限目に突入する。
六限目は「理科」。教えるのは、自分の私生活をよく喋る3年目の男性の新米先生。授業は分かりやすく丁寧だが、何かと抜けているところが多い印象がある。
「先生、なんで昨日、学校休んだですか?」
授業が始まる同時にあるクラスメイトが質問し、先生は渋るように答えた。
「え~と、それは…… い~や、一昨日ね、奥さんとちょっと怪しいけど、美味しいところ、食べに行って…… 地鶏の刺身……なまにく…… を食べたんですけど…… まぁ、大丈夫だと思ったんですが…… ダメでした。すいません。そういうことなんで、授業します……」
私は、ここで鶏肉が生で食べられると知ったが、先生がこんな感じなので絶対に食べちゃいけないなと思った。
六限目の終わりを知らせるチャイムが鳴り、一日に主要五教科と副教科という、ハードな時間割りが終わった。
終わりの会に向けて、皆が荷物をまとめている。
「もりちゃん!」
かりんが話かけてきた。
「ねぇねぇ、今日遊ぼうよ~」
「えっ、今から、どこに?」
「え~とねぇ…… あ~ 三条通りのゲームセンター! そこのクレームゲームでほしい物があって…… 今日、部活休みだから…… ねぇ、今日一緒に行こうよ!」
その提案を聞いて、私は少し考えてから答えた。
「りんちゃん…… ごめん、今日は難しいかも、また今度行きたいかな……」
それを聞いて、かりんは、シュンと少し残念そうな表情を浮かべた。
「そうよね…… そうだよね…… いきなり今日は難しいよね…… じゃあ、今度絶対行こう! テスト終わったら、絶対行こうね!」
私は「うん」と答えると、かりんは少し嬉しそうに席に戻った。
かりんから誘いをするのは、珍しいと思った。大抵は、遊び好きななぎから誘われることが多い。
私は、胸が少し痛かった。
[陸]
帰りはいつもと違い、一人だった。
今日の登校の時に、はるかが「放課後、委員会の仕事がある」と言っていたことを思い出し、私は足早に学校を出た。
一月より日が長くなったから、まだ辺りは夕焼けにはなっていなかった。
学校から家までは、大体10分程度で、そこまで遠くはない。けど、今日はこの道のりが、いつもより長く感じた。
最近は気が付くと『神仕官』について考え、誰にも言う事ができない悩みを常に自問自答している。考え続けるうちに、私には『神仕官』として素質も資格もないような気がしてきた。
あの時、「闇」は倒した。でも、救おうとした人はこの世から消えてしまった。
私にとっては知らない誰かだけど、美術部とってはかけがえのない先輩だったかもしれない。それが皆の記憶から人知れず消えて、今までその人がいなかったように過ごしている。
私は怖かった。私も人知れず、誰かを忘れているかもしれない。そう思うと私の心のモヤモヤはさらに濃くなり、私はそれを舗装された黒い地面と重ねていた。
歩いているうちに、背後から人のような気配を感じた。
始めは、学校から下校する誰かだと思っていたが、なんとなく背が高く何か違う感じがした。そして、誰かは、私の跡をつけている様な気がするが、私は後ろを振り返る勇気はなかった。
だから、確かめる方法として、少し寄り道することにした。何度も角を曲がって、私の跡をつけていないか確認すために。
最初に見える角を右に曲がる。いつもの登下校のルートで、大通りに抜ける道にもなっている。当然ながら、跡をつける誰かも曲がったような気がした。
次に、その道にある横道を左に曲がる。ここも登下校ルート。ここを曲がれば、少し怪しくなる。私が道を左に曲がった時に、その誰かを確かめようとしたが、塀が死角となり、隠れてよく見えなかった。
そして、私は次に見える左の横道を目指し走った。角を曲がってからもある程度走った後、私はサッと後方を振り返った。
そこに見えたのは、5歳ぐらいに見える小さな男の子だった。
[漆]
私はてっきり、大人の男性に追いかけられていると思っていた。
男の子は走り出して、私に飛びつくように抱きついた。
抱きつかれた私は驚いて、訳も分からず男の子を突き飛ばしてしまった。
そのせいで、男の子は背中からドタンと倒れてしまった。
その光景を見て、私は正気に戻り、すぐさま、男の子のそばへと駆け寄った。
「ねぇ、大丈夫? けがはない? ねぇ、大丈夫?」
私の焦るような声が辺りに響く。
男の子はゆっくりと瞼を開き、私の静止を振り切るように立ち上がった。
「オェネイチャンハ、ボクノコトキライ……?」
その言葉を聞いた時には、私は男の子の影に沈みかけていた。
「えっ……」
突然、訳の分からないことになった。
「オェネイチャンハ、ボクノコトスキ……?」
半身と手足が影の沼に引きずり込まれ、身を動きが取れない。
男の子は、私の方を下から舐めるように私を見ている。
「オェネイチャン、ボクノコトスキ……? ソレトモ……キライ……?」
引きずり込まれた半身は、ベタベタした感触する手のような何かに撫でられ、私から抵抗する力を奪い、得体の知れない気持ち悪さと体が硬直するような悪寒が駆け巡り、動けない私を弄び、何かを探っているようだった。
(嫌……やめて……助け……)と声にならない私の心が叫ぶ。
その悲鳴に呼応するように辺りが光に包まれる。
「アッツ、ナンダ?!」
[捌]
光の神々しさに目が眩み、周囲を確認するために瞼を開いた時には、私は影の沼から抜け出して『神仕官』としての装束となっていた。
目前には、男の子が立ち上がり、尋常ではない目つきで私を睨みつけていた。
「オマエモ、オレヲバカニスルノカァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーー!」
その叫び声ともに、日の当たらない影部分から無数の触手が飛び出す。
「アッァアアアアアーーーーーーー―――シネネネェェェーーーーーーーーーセッガァァァァァァァーーーーーーーー」
私は、その叫び声に両手で耳を押さえ、周りの状況を見る。そして、両手から銃を出現させ、日が見えるそうな家の屋根まで飛んで、いくつかの触手を弾丸で吹き飛ばす。そして、西日を背にして、屋根の上から男の子がいる道路を見下ろす。
その様子を窺うと、体中に無数の蛇のような闇が絡みつている。
「……もしかして、闇に操れている……」
それと同時に(あの子にも両親が居て、その帰りを待っているかもしれない……)とあの時の二の舞になるのではないかと思い焦る。
すると、男の子は私を見つけたようにゆっくりと見上げる。
「……ッパリ…… ボクノ……ト…… キライナンダァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
丸太のように太く長い触手が蛇のように動き、私に目がけて襲い掛かる。
その触手を吹き飛ばすために、引き金を引き、弾丸を発射させるが、弾丸は触手に被弾しても貫通するだけで、私へと迫り、それを見切り回避する。
「えッ、うそ……」
いつもなら、吹き飛ぶはずの触手が吹き飛ばなかったことで動揺し、背後に迫る触手に気付かず、もろに攻撃を受け、地面に叩きつけられてしまった。
強く打ち付け、言葉にできない痛みが全身に広がる。だが、敵も攻撃の手を緩めることはなく、傷に鞭を打つように立ち上がり、痛みに耐えながら、回避と弾丸を撃ち続けるしかなかった。
本来なら、核となる本体の闇を討てば、終わること。だが、その核が男の子に絡みついている可能性が高い。そして、私は今までこの武器を人に向けて撃ったことはないし、うまく闇だけを狙って撃つという器用なことは多分できないし、できたとしても体中が痛すぎて無理。
「ミンナ……グチャグチャニシテヤルンダーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
小さな男の子とは思えない野太い声が聞こえ、早くなんとかしないといけないという焦る気持ちが募る。
いくら弾丸を放っても、触手は貫通だけでダメージを受けているようには見えない。そして、体力も全身の痛みで少しずつ回避する素早さが落ちている。
「はぁ……はぁ……」
太い触手を避けるため、息もあがり、相当な体力も使う。
(もし、この触手を切ることができれば……)と思った時、私の両手に持つ銃は、二つあった銃口が一つに減り、刃のようなものが装備されていた。
[玖]
「はぁ……はぁ……えっ……?」
思わず二度見した。何回か闇と対峙してきたが、こんなことは今までなかった。だが、疑問に感じることはなく、私の直感が体と共に動き出す。
(これで切れる!)
そう思った時には、一本の太い触手を切断し、その断面の中央部に弾丸を撃ち込むと、触手は破裂していた。
獣のような野太い叫び声が周囲に轟き、男の子の殺意に満ちた睨みが、私に向けられるが、私は臆することなく、次々と触手を切断し、弾丸を撃つ。
「ゼッテイ、コロシテヤルーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
触手を切断して、弾丸で撃ち吹き飛ばす。それを何度か繰り返し、男の子の所まで、少し近づいていき、あと一歩の所で、私は立ち止まった。
目の前には、闇に絡み憑かれた男の子と太く大きな一本の触手。明らかにあれが本体で核になる闇だとわかる。
「……オェネイチャン……ボクノコト……コロスノ……?」
再び男の子らしい声が聞こえる。
「……ボクノコト……コロスノ?」
「殺さない。君に憑いてる悪いモノから助けるから……」
あの子は、助けを求めている。それができるのは私しかいない。
「……噓ツキ」
その言葉を吐いた時、その一本の触手は動き、私に襲いかかる。
太く大きいためか、動きはそこまで速くはないが、表面が硬くて、大きく動き、力も強い、もし、不意打ちをくらえば、今の状態では倒れて打ちのめされてしまう。
私の体力も正直、もう限界に近い。できれば、早くあの子を助けたい。そんな思いが私の鼓動を早めていく。
触手の先端から脱皮するが如く、口のようなものがあらわれる。
(気持ちわる……)
見た瞬間、全身に寒気が走ったが、それは間違いなく、私を丸呑みにするための器官しか見えない。
状況は明らかに私と大きな触手との一騎打ち。あの子を助ける機会は一度しかなく、私は身体中が痛みながらも、全神経を集中させる。
その場で立つ私、このまま立っていれば、数秒もしないうちに触手に飲み込まれる。
私はゆっくりと瞼を閉じ、息を吸う。そして、その息を吐き、瞼が開いた瞬間、迫りくる硬く大きな触手の口に飲み込まれていた。
[拾]
大きな触手は神仕官を飲み込んだ後、男の子のそばに戻った。
この様子を見ていた男の子は、野太い声と男の子らしい声が混ざった声で叫ぶ。
「ヤヤ……ヤッター、ヤッター、ボクノカチ! ボクノカチ! オェネイチャンハ、ボクノドレイーーーーーーーー。」
その状況から、神仕官と闇との一騎打ちはあっけなく終わったと思われた。
「イタイ、イタイ、オナカガ…… オナカガ……イタイ」と苦しそうな男の子らしい声が響く。
男の子が悶え、手を地面に付け、しゃがみ込んだ瞬間、大きな触手は、沸騰するようにプクプクと硬い表面が泡立つように膨れ、パンという音を立て破裂した。
その中から、純白の巫女が現れ、両手には銃剣のような短銃を持ち、その左手に持つ銃の刃先には、赤い珠のよう物が突き刺さっており、ほどなくしてひびが入り、割れて消えてしまった。
「はぁ……はぁ……気持ちわる……」
もう正直、この経験は二度としたくないと思った。そして、ふと横を見ると、男の子が倒れていた。私は急いでそばへと駆け寄る。
その子は、ぐったりと疲れて寝ている様に倒れていた。
「ねぇ、ねぇ、大丈夫? ねぇ、しっかりして!」
私が声を掛け続けていると、男の子はゆっくりと瞼を開け、眩しそうな表情で私を見て、静かに喋った。
「オェネイチャン…… 助けてくれたノ……?」
「そう、どこか痛いところとかない?」
「ないヨ、オェネイチャン、ありがとう! 怖かったヨ……」
そう言うと、男の子は私をギュッと抱きしめた。
私もその安心感から、その子をそっと抱きしめよとした時。
「朱音! そやつから離れろ!」
すずの叫ぶ声が背後から聞こえた。
「えっ?」
すずが居ると思う方に顔を振り向けた瞬間、光る矢のようなものが見えた。
「?」
振り向いた方向には、確かにすずは居たが、気が付けば、抱きしめられていた男の子の感触が消えていた。
[拾壱]
「えっ……」
私は訳が分からなくなった。
目の前を見ると、頭部に矢が刺さった男の子が倒れている。
「えッ……」
私はすずの方を見て叫ぶ。
「ねぇ! どういうこと、この子が何したって言うの! 私、この子を助けるために、どんだけ必死に……必死に……」
私の顔に一滴だけ雫が滴る。
「朱音…… そやつを見よ……」
静かにすずは言った。
再び、私は男の子がいる方へと振り向く。
頭部に刺さっていた矢は徐々に消えはじめ、男の子の全身がブクブクと呻り出し、繭の皮を破るが如く、真の姿が現れた。
「……だれ……これ……」
薄毛の無精ひげを生やした上半裸のおじさんが倒れていた。
「そやつの本来の姿じゃ…… さっきの形は闇と融合し、自らの欲望を表した姿…… 何らかの形で闇に取り込まれたのであろう……」
私は動揺して思考が停止し、ただ、この状況を眺め、理解することだけに努めることだけだった。
ふと我に返ると、身体中がベタベタした液体まみれになっていた。なんとなく手でその液体を確かめると、べったりと糸を引いていた。
「あ~~ 気持ちわる……」
「おぬし、状況を分かっておるのか! 死んでたかもしれんかっただぞ!」
すずは、私に向かって強く言う。
「うん…… ごめん、ありがとう…… でも、体中痛すぎて、動きづらい……」
「そのベタベタと躰の痛みも変身を解けば、概ねマシになる。じゃが、われももう少し早よ着けば……」
私は首を左右に振り答える。
「うんうん、私の『神仕官』としての資格が足りなかっただけだと思う。いろいろと戦ってきて、すずの助けのおかげでここまできたけど、今、すずがなかったら、本当に死んだかも……だから、ありがとうね、すず。」
すずの固い表情を柔らかくするために、頑張って笑顔で答えたみたいが、すずはスッと顔を下げてしまった。
「で…… あの人どうする?」
私たちは、倒れ込むおじさんの方を見る。
「あれじゃ…… 連絡…… そう、連絡じゃ! 朱音、早う連絡を!」
「ちょっと待って、携帯持ってないし、どこに連絡するの?」
お互い少し沈黙して、おじさんの恰好を見て、同時に答える。
「警察……」
私は『神仕官』の変身を解き、『こども安全の家』と書かれた旗を見つけて、その家の人に例のおじさんの事を伝えたら、いろいろと面倒なことにはなったが、無事に母とも帰宅できた。
「本当に大丈夫? 本当に変なことされてないよね? 見かけて逃げただけだよね?」
母さんは何度も私に聞いてきたが、私はただ「大丈夫だから、何もなかったから、変な人がいて逃げただけ……」と答えた。
だが、思えば、その男の子の正体がおじさんだったから……。
その瞬間、私になんとも言えない気持ちが走ったが、これは『神仕官』として割り切り、これ以上は考えず、今日の夕食の考えることにした。
「母さん、今日のご飯はなに?」
神仕官 森田朱音 若田 神奈 @KANNABI-800000
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