第9話 敬老会、河野アイドルと化す
程なくして建物内でひと月に一回行われる行事の日がやってきた。この日は河野がリーダーとしてかねてより準備をしていた敬老のお祝いの会であった。感染症の規制も何年か前に緩やかになり、今はこうして利用者が一同に会してイベントを行うことができるようになっている。今日は特別に近くの保育園からやってきた年長組の子どもたちとの交流もある。正面玄関にはビニールシートが敷かれ、その上には華やかな色合いの小さな靴が所狭しと並んでいる。子どもたちのわいわいガヤガヤとした声が響く中、
「みんな建物に入ったらお口はどうするのかな」
と女性保育士の声が響いて子どもたちは一様に口を閉じた。
その集団の前に施設長である盛岡幸子が立った。五十代半ばのこの女性職員は眼鏡を掛けたショートカット、快活な喋り方で周りを沸かせるので、子ども達にも注目を集めた。
「みなさーん、こんにちはー」
まるで教育番組のお兄さんのような挨拶をしてから大仰な身振りで話し始める。
「今日は、みなさんの元気な歌や踊りを、たくさんのおじいさんおばあさんが楽しみにしておられます。みなさんに会えることを私たちも楽しみに思っていました。今日はよろしくお願いします。では後はこのお兄さんの言われることをよく聞いて動いてください」
盛岡施設長は河野に場を譲った。
紹介された河野は一度礼をしてから
「僕の言いたいことはみんな言われてしもたんやけど」
と苦笑して
「僕は河野といいます。今日はよろしくお願いします。今この建物に住んでおられるおじいさんおばあさんは向こうのお部屋で待っておられます。みんなの出番になったらこのおばはんが声掛けますんで、一列に並んで部屋に入ってきてください」
おばはんと紹介された女性職員は、
「はーい、おばさんが案内しますよー」
とたいして気にした様子もなく声高に応じるので、周囲からくすくすと笑い声が起こった。
裏面の食堂では利用者が小さな子どもたちを今かいまかと待っている。河野がひとしきり行事の前振りを行う。関西弁で時々皆の笑いを誘いながら進行をしていると、小夜子の隣から
「悔しいけど河野君ってこういうのすごく向いてるよね」
という声が聞こえてきた。
「デイでもいけそう」
デイとはデイサービスのことで、利用者が通う介護サービスである。施設などとは違い、毎日のようにレクリエーションがあるので、人前に立つことに頓着しない力量も求められる。
そのうち女性職員に従って子どもたちが食堂へと入ってくる。利用者から歓声が上がった。可愛らしい歌やダンスを見入っているとこちらまで笑顔になってくる。
途中から子どもたちと利用者はペアになって手遊びを始めた。ふと榊原を見やると、いつもの彼とは違い、すっかりおじいさんの表情である。
小夜子はほのぼのとした気分でその視線を河野のほうへずらした。微かに笑みを浮かべて見つめるその姿につい見入ってしまう。三週間前にはこんな穏やかな日がやって来るとはとても思えなかった。本当に良かった。
気付けば行事も終盤に差し掛かっており、子どもたちは園へと戻る時間となっていた。入場した時と同じく保育士に連れられて一列に退場する最中、
「かわのせんせい、バイバイ!」
と列の途中から可愛らしい声がした。
河野がそれに応じて両手を振ると、悲鳴のような黄色い歓声が上がって女の子たちがはしゃいでいる。思わぬ反応に河野が圧倒されていると
「河野さん将来の奥さん候補がいっぱいね」
と河野ファンの鳥飼さんが笑っている。
「いやあ僕こんなにモテてかなわんわ」
河野が頭を掻くと更に周囲がどっと沸いた。
そんな光景を見て小夜子はいつになく胸躍る気分になるのだった。
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