第2話 恋は罪悪ですよ
文化祭当日。
僕は特に緊張もせずに登校した。
「大変だ! 野宮が!」
教室に入るやいなや高村君が慌てた様子で飛び出してきた。
「野宮君がどうしたんだい?」
「高熱で倒れてっ!」
見ると机の上で冷えたタオルを額に乗せられて横たわっている野宮君がいた。
「あぁ、烏丸君……、おはよぉございますぅ」
声も苦しそうだ。
舞台に上がって演技が出来るとは思えなかった。
「今から代役を探そうにも……」
住吉監督は「う~ん」と唸っている。
「『こころ』の台詞が言えて、舞台に立てる度胸のある男なんて……、あっ、一人いた!」
「来たで~」
逢坂薫。
白鳥さんの従兄妹で文学少年。
桜木中学文化祭は一般参加もOKで、逢坂君は元々、僕達の劇を見るために来る予定だったのだ。
「まさか、わいがピンチヒッターで呼ばれるなんてなあ」
「時間がねえ! とりあえず衣装直しと台本読んで!」
「ほいな」
逢坂君は特段、動揺することもなく、台本を読みだした。楽しんでいるようにも見える。大物だ。心臓に毛が
生えているのだと思う。
「お、逢坂さん、よろしくお願いしますぅ」
「おう。任せとき」
教室でリハーサルを行ったが、逢坂君は「私」をしっかりと演じていた。『こころ』は何度も読んだことがあるらしく、特に台詞に詰まることなく通せた。
「薫、お前すげえじゃん!」
「本番も頑張るでえ」
数時間後。
体育館に移動して、舞台の幕が上がる。
最初の台詞は逢坂君からだ。
彼にスポットライトが当たる。
「私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」
鎌倉の海での出会いのシーン。
二人で仰向になったまま浪の上に寝る。
「愉快ですね」
「もう帰りませんか」
「ええ帰りましょう」
「これから折々御宅へ伺ってもよござんすか」
「ええいらっしゃい」
「私」は度々、先生の元を訪問する。
「私は淋しい人間です」
僕は淋し気な笑い顔を作る。
「私」と先生と奥さんで酒を飲む場面。
「子供でもあるとと好いんですがね」
「子供は何時まで経ったって出来っこないよ」
「何故です」
「天罰だからさ」
白鳥さんと夫婦役が出来て良かったと思う。
僕は白鳥さんと本当の夫婦になりたいのだろうか。
それはまだ分からない。
結婚とか子供とか、それで幸せになれるのかは分からない。
僕はそれで幸せになれなかった例を痛い程、知っている。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女は殆んど女として私に訴えないのです」
これは僕もそうだ。
僕も白鳥さん以外と付き合おうとは思わない。
「然し君、恋は罪悪ですよ」
僕みたいな人でなしが白鳥さんのような聖女に恋をするのは罪悪のようにも感じられた。
「人間全体を信用しないんです」
「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」
「私は私自身さえ信用していないのです」
僕も僕自身を信用していない。
この先生という役は案外、自分に合っているように感じられた。
「私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底から真面目ですか」
僕の「たった一人」は白鳥さん以外に考えられなかった。
「さあ、どうでしょうねえ、先生」
おい、台詞が違うぞ。
発音も関西弁っぽくなっている。
劇を止めないために、急なアドリブを吹っかけてきた逢坂君に合わせないといけなかった。
「奥さんでも私でも、たった一人にはなれるでしょう。でも、それは、これからの貴方次第です」
「……私次第ですか。どうすればよいのでしょう」
「変にひねくれず素直になれば良いと思いますよ」
それは演じている僕に向けての言葉だった。
「そうですか。あなたは真面目に私の話を聞いてくれますか」
「はい、真面目に聞きますよ」
「よろしい。話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう」
その後は先生が手紙で過去を語る。
友人・Kと三角関係の末に御嬢さん(後の奥さん)を手に入れたこと、Kの自殺の場面がある。
K役の米沢君は台本通りにやってくれて良かった。
劇は恙なく終了し、僕の文化祭は終了したはずだった。
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