第20話 竜と兎
獣人たちはそれぞれ武器を振りかざし、ミミちゃんから溢れ出る輝かしい強化魔法のオーラに包まれ、彼らの姫様を中心に陣を固めていた。格好良く見えるように己を奮い立たせるも、時折たじろいでいる様子から覆いきれない不安が滲み出ている。
「……なあ、対面の奴ら、2シーズン前からトップ10位にずっと入っているランカー集団だよな」やや小柄の獣人が猫耳を畳みながら小声でつぶやいた。
彼の細い言葉に、チーム全体がざわめいた。
「まじか、あんなヤバい奴らと当たるのか、俺たち」
「最近連勝して、ランクが上がってきたからなのか……」
一方、反対側ではドラゴンガールを中心にした敵チームが冷ややかに構え、戦闘の始まりを待っていた。肖像のように動じない構え、狙いを定めた狙撃手を思わせる鋭い目線でこちらを刺してくる。
すっかり気迫に押されたミミちゃんは胸の前でぎゅっと両手を握り、少しばかり内股になって佇んでいた。VRディスプレイの前で、ミナが顔を顰めて唾を飲み込んだ。
獣人たちが円陣を組み、誇らしげに武器を掲げている。中央に居る愛らしくもか弱い姫様のために格好良いところを見せるためなら、命を懸ける勢いを見せた。
「ぶっ飛ばせ! 突撃だ―!!」
ひと際体の大きいミノタウロスの太い号令に合わせ、獣人たちが一斉に咆哮を上げ、敵陣に向かって駆け出した。
「ミミちゃん、シールド魔法を頼む!」
「あいよ~ん」
可愛くポーズを決め、長い睫毛の瞳をウィンクするミミちゃん。自身の緊張を覆い隠すかのように、いつも以上に陽気な振る舞いを見せている。彼女の体から金色の光が広がり、チームメイトたちを包むと忽ちに琥珀色のシールドエフェクトになった。六角形が集まって出来たガラス質の表面がいかにも堅そうだ。
「これで敵のダメージはしばらく無効よ! みんな、頑張って~」
「おーう!!」
巨大な斧を振りかざすミノタウロス、俊敏に駆け抜ける人狼と猫耳の男たちが、それぞれのサイズに合った丸いシールドに守られながら意気揚々に突進する。
迫りくる仰々しい集団に、敵チームは少しも動じなかった。
ドラゴンガールが軽く手を上げると、その指先一つの合図で敵チーム全体が統率された動きで迎撃を開始した。
「先頭2番と3番、シールドブレイカー」
「はい」
交わされた短い会話に表情は要らなかった。ドラゴンガールの両脇で陣取っていて二人の重装兵が一歩前に出て、分厚い鎧の重さを物ともしない軽やかな動きで盾を立て剣を突き出した。
落ち着き払った構えに獣人たちは一瞬の怯みを見せるが、姫様のシールドに守られていること思い出して自分たちを勇気づけた。
「うおおおお! 全力で吹っ飛ばせ!」
先頭をリードする図体の一番大きいミノタウロスが雄叫びを挙げた。両目を充血させながら荒い鼻息を吹き出し、体を丸めて頭上に生える立派な角を突き出した。
「俺の技を食らえ!」
そう叫ぶと、大きな猛牛を模った赤いエフェクトが現れ、チーム全体を包み込んだ。先頭に構える敵チームの盾が白く光り出した。
『ドーン!』
大きな音がアリーナに響き渡った。勢い良くぶつかった二つのチームは、互いの戦闘エフェクトに包まれたまま拮抗した。猛牛のエフェクトは見えない壁にぶつかったかのように飛散し、中に包まれていたシールドが剥き出しになって、敵前衛の盾とひしめき合っている。
「嘘だろう…… 俺の大技を食らったのに一ミリも動いちゃいねぇぞ」そう囁くミノタウロスの表情がすっかりこわばっていた。
彼らの進撃を食い止めていた重装兵の中央で、ドラゴンガールは腕を組んで佇んでいた。目を細めてこちらを眺めている様子は、まるで遠くから動物の群れでも観察しているかのようだ。
重装兵の剣が動いた。切っ先はブレのない直線を描き、ミミちゃんが皆のために張ったシールドに容赦なく刺し込んだ。琥珀色のエフェクトに亀裂が走った。
『パキーン』
鋭い音が鼓膜を貫き、シールドが粉々になって飛び散った。それに伴って爆風が辺りを吹き荒し、ミミちゃんのチームはよろめきながら後ろずさった。ふらつく周囲の騎士に押され、中央の姫様は細い悲鳴を上げた。
「しっ、シールドが……」
ミミちゃんの兎耳は頭の後ろにぴったりとくっついていた。
ドラゴンガールは組んでいた腕を降ろし、一番体の大きいミノタウロスを指さした。彼女の人間だった両手は分厚い鱗と鋭い爪に覆われ、程なくして頑強な竜の爪になっていた。背後には「メキメキ」と音を立てながら大きな翼が生え出た。魅惑的な女性のシルエットがどんどん刺々しくなり獰猛さを増していく様子を目にして、血気盛んだった牛頭の大男は、今やすっかり天敵を目の前にした草食動物になっていた。
「一番デカい奴は私が相手する。残りの奴らは好きにやれ」
凛と冷たい声で言い放つ竜の美女に、両脇の重装兵が敬慕と畏怖の眼差しを向けた。
「余裕だな」
「薄っぺらいシールドだったな」
竜の虹彩がギラりと光った。視線の矛先には恐怖に身を縮ませている兎が居た。
「まあ、お荷物を抱えてよくここまで登り詰めたことは褒めてもいい」
「姫ちゃんが居るんだから、ちょっとお手柔らかに行こうか」
重装兵の一人は鼻で笑いながら、盾を降ろして両手で剣を構えた。その様子をもう一人の前衛が嘲笑った。
「おいおい、守りを捨てて良いのか」
「守りなんていらねーだろ?」
短い会話が終わるや否や、敵チームはまだ陣形を立て直せていないミミちゃんたちに飛び掛かった。
「来るぞ……」
斧を構えるミノタウロスに続いて皆もが慌てて臨戦態勢に戻った。
勝負はすぐについた。プロゲーマーたちを前にして、ミナと取り巻きのアバターたちはつむじ風吹き飛ばされる木の葉の如く、あっとういう間に散ってしまった。
最初の獲物となったのはミノタウロスだった。荒々しく振り下ろされた斧は、ドラゴンガールの右手で軽々と受け止められる。彼女の腕が一閃すると、牛頭の巨体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。
「ぐあっ!」唾をまき散らして悲鳴を上げる牛頭のライフゲージが一気に削られた。
「ミノ兄貴がやられた!」
「くそぉ、強すぎる!」
地に伏したリーダーをカバーしようと、人狼たちが剣を振り上げて突進した。ドラゴンガールは翼をはたかせ、素早く宙に舞い上がって躱した。彼女の後ろから重装兵たちが現れ、彼らの攻撃を悉く跳ね返した。一人また一人と狼男たちが吹っ飛ばされ、ボーリングの球のよう自陣の後衛たちをなぎ倒した。
「ぎゃあっ」
倒れ掛かる獣人の体を辛うじて交わし、ミミちゃんは目の前で繰り広げられている剣幕に息を飲んだ。
小柄な猫耳男が吹っ飛ばされ、アリーナの壁にぶつかって気絶した。持っていた弓矢は数発も放たれることなく、虚しく地面に転がった。ゼロまで減らされたライブゲージの上に、戦闘不能を示す『K.O.』表示が大きく飛び出た。
「ミミちゃん! 早く強化まほっ……」
激しく刀剣をぶつけている一人の人狼が振り向き必死に叫んだが、その言葉は途中で断末魔に変わった。助けを求めて油断していた彼の胸を敵の剣先が容赦なく貫いた。
仲間の惨状を目に焼き付けられ、VRスクリーンの前で茫然としていたミナが漸く我に返った。戦況を変えようと、すっかり遅れてしまった強化魔法を掛けるも、手足が震えたまま動かせない。いつも軽やかに踊り、鮮やかにエフェクトを放っていたミミちゃんだったが、今は足の骨でも折ったかのような愚鈍な動きをしている。不発に終わった強化スキルのしょぼい視覚効果に皆が冷や汗を垂れ流した。
チームメイトからの無言なプレッシャーが圧し掛かる。聞こえない溜め息と痛い視線が全て自分に向けられたように感じ、ミナは益々縮こまっていた。次々と立ち上がる『K.O.』のサインに、皆の戦意が勢いよく削られていく。
「そんな……俺たちが、こんなに一方的にやられるなんて」
「ミミちゃん、ぼうとしてないて早く何かしろ!!」
「もう無理だ、ぐあああ!」
耳に雪崩れ込んでくる仲間たちの声に、兎の女の子はただ恐怖に飲み込まれて地面にへばり込んだ。殴り倒されても辛うじて立ち上がり、彼女の周りで守りを固めていた仲間たちがどんどん居なくなっていく。男たちの目を楽しませるために、見た目重視の可愛いコスチュームを纏ったアバターは武器も防具もなかった。応戦力が無に等しい彼女が唯一できる強化魔法は、体を張って戦ってくれる味方が居なければ何の役にも立たない。
「くそぉ、俺はまだ……」
地面に顔を埋めていた創痕累々なミノタウロスが頭をもたげた。数寸先に転がっている斧をつかみ取ろうと匍匐前進するが、宙に舞い上がったドラゴンガールに容赦なく背中を踏みつけられた。竜の尻尾がしなやかにうねり、牛頭の太い首を素早く締め上げた。
「ぐぅぅうっ」
苦しい呻き声を上げ、姫様を守る最後の勇士の、残り少ないライフゲージがじりじりと減っていく。血走った両目に、地べたで固まったまま座り込んでいるミミちゃんの姿が映し込まれている。
「……くそ、何とかしろよ……この役立たずな雑魚がっ!!」
泡を吹き散らし、最後の騎士はついさっきまで可愛がっていた姫君を乱暴に罵った。それから頭上に浮かぶ『K.O.』のサイン共に、その体はぴったりと動かなくなった。
イヤホンから耳に刺してくる野太い声がミナの心を容赦なく抉った。涙目になるバニーガールのアバターと一緒に現実の視界も霞み、鼻に酸っぱいものが走った。
かくして、戦場に生き残ったのはミミちゃん一人だけになった。皮肉なことに、敵チームは屈強な獣人たちを躊躇うことなく一掃したが、か弱い補助系の彼女には指一本触れようとしなかった。
ミノタウロスの巨体からさっと飛び降りたドラゴンガールは翼と尻尾をしまい、両手を覆う竜の鱗と爪も消えた。完全な人型に戻った彼女は、勝利を讃える気高くて美しい戦神だった。屍に囲まれた孤立無援な姫君はただその姿を眺めるしか為す術がなかった。ミミちゃんにはもう、自身を守ってくれる騎士がひとりも居ない。仲間だった男たちの奮闘の痕跡が、破壊された地面や舞い散る魔法の残滓に刻まれていた。
ぎゅっとスカートのすそを握る手が震えるのを止められない。ミミちゃんの瞳には涙が浮かび、恐怖と悔しさ、そして燃えるような怒りが綯い交ぜになっている。迫りくる竜の瞳に、彼女は最後に残った力を振り絞ってか細い声で叫んだ。
「な、何よ! これ以上近寄らないで!」
声は震え、空間に散るように消えていった。ドラゴンガールはその言葉を聞いても、微塵も動じない。ミミちゃんの前に立ち止まると、観察するだけの冷たい視線を彼女に向けた。
竜に睨まれた兎の心臓は鼓動を速め、頭の中は「逃げたい」「負けたくない」「助けて」という思いが渦を巻いている。
どうして……どうしてあんたみたいなやつが……!
そう念じていても、言葉に出す勇気さえ残っていない。ドラゴンガールに見下ろされている時間の一秒一秒に、彼女が己の無能さと臆病さを隠すために築き上げた都合の良い仮想世界が崩れ落ちていく。
「アルちゃん、まさかこんな可愛い女の子を殴ることはないよな?」
ドラゴンガールの一歩後ろで、前衛の重装兵がヘルメットを外しながら言葉を発した。物々しい飾りのついた兜の下から人型の美男子アバターが顔を表した。ただし薄っすらとした笑みが少しばかり嫌味っぽい。
「アレッシアと呼んで。『ちゃん』付けはキショいよ」
ドラゴンガールは流し目で彼を一瞥し、すぐに視線をミミちゃんに戻した。
「あはは、分かったよ。君は相変わらず可愛げないな~」
美男子は致し方ないというふうに肩をすくめたが、麗しきリーダーに構ってもらえたことにどこか嬉しそうだ。そのフラットで自然なやり取りに、ミナは体の奥底から得体のしれない嫉妬が激しく沸き上がるのを感じた。
アレッシアは手を軽く一振り上げた。とどめを刺されると思い、ミミちゃんは思わず身構えを固くした。きつく閉ざされた目尻から大粒の涙が流れ落ち、鼻水が唇に垂れ下がった。VRスクリーンの前に居るミナも、見えない何かから身を守るように同じ姿勢になった。敵チームから嘲笑が一斉に上がった。
「あははは、ビビりすぎだろ、こいつ」
「めっちゃ泣いてるじゃん。てか、俺たちが泣かせたみたいになってるんだけど?!」
「ナイト様に見捨てられたんだからしゃーない」
「可哀そうな姫ちゃん」
薄情なセリフが弾幕のようにミナを襲う。ただでさえ脆弱な自尊心が音を立てて砕け散った。じっと身構えてしばらくして、何も起こらないことに彼女は恐る恐る目を開けた。システムから呼び出された試合投降を促すインターフェイスが、VRスクリーンの中央で陣取っている。
「
イヤホンからアレッシアの冷たい声が流れ出た。『SURRENDER』と書いてある大きなボタンを睨み付け、ミナは口を結び、息を止めている勢いで顔を赤くした。それから耳からイヤホンを外して床に投げつけ、画面の隅にあるログアウトボタンを押した。
『試合はまだ進行中です。途中退出はペナルティの対象になります』
弾き出たシステムメッセージを無視し、彼女はゲーム画面が閉じるまで何度もログアウトボタンを叩いた。
ふっつりと消えたミミちゃんのアバターに、アレッシアは片方の口角を微かに上げた。それから彼女の勝利を見せ示す『VICTORY』の輝かしいエフェクトと派手なスコアボードが展開された。キルスコアも総合貢献度も一位のドラゴンに、敵も味方も全員、何一つ言える文句は無かった。
オーバーライド Man 2.5 @Pika000
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