第16話 再会
何処かのスピーカーから音楽が流れている。チープな音質の耳障りな音色が、タイキを夢の無い眠りから呼び起こした。重く張り付いた瞼を擦り、大きな欠伸をする。古い布と埃の匂いがした。
<よっ、起きたか。丸一日、死んだように眠ってたぜ>
声がした。人間のものではない。平べったくてちょっぴり滑稽な、愛嬌のある声だ。何故かとても懐かしい。
再び閉じかけたタイキの両目が大きく見開いた。声の主を見つけたとき、眠気が一気に吹き飛んだ。
ここは、根守家の倉庫のようだ。こじんまりとした個室に棚が並び、旧世界の遺物である書物や電子デバイスで溢れかえっている。部屋の隅にある、床に直で置かれた分厚いマッドレスの上に、タイキは横たわっていた。埃っぽい毛布をどかし、音楽のする棚の方へ近づく。乱雑に積みあがった古本の横に空いた小さなスペースに、ボタンの無い小さなタブレット型機器が置かれていた。
その上で、青くて丸っこい、スライムに似た塊が踊っている。デバイスの内臓スピーカーから流れ出るレトロな音調に合わせて、プルプルと体を震わせ、時折視覚エフェクトのように全身の色を目まぐるしく変えていた。
「……な、なんだ?」
恐る恐る顔を近づけるタイキに、スライムの表面からつぶらな瞳が二つ浮かび上がり、嬉しそうにキラキラと輝いた。それから顔の比例にしては大きな口も出てきた。
<『なんだ』って失礼だな! オイラのことが分からないのか?>
タイキは懸命に目を擦り、また現実と向き直った。不思議な精霊は依然とそこに存在している。
「ハイパーリンクの後遺症か」
<違う!>
「ゲームのボーナスイベントだな? お前を捕まえたら、レアアイテムと交換できるとか」
<ちがーーーーう!!>
タイキは精霊を掬い上げようとしたが、手はなんの感触も無くすり抜けていった。
「ただのホログラムか……」
精霊の黒い豆粒のような両目に角が立った。怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。
<なあ、お前は本当にタクマなのか? 見た目は幼く見えるし、オイラのことも分からないようだし・・・・・・>
「タクマ? 人違いじゃないのか。俺の名前はタイキ」
怪訝そうにしているタイキに、精霊はしばしフリーズしていた。ぎごちない静寂が両者の間に広がった。
<ありえない!>
突然叫び出した精霊の声が鼓膜を叩いた。
<オイラの観測精度は120%だ。TAKUMiの大脳にあんなダイレクトな指示ができるのはタクマしか居ない!>
ただでさえ困惑していたタイキの顔が、更に大きなクエスチョンマークをぶら下がっているように見えた。
「さっきから何を言っているんだ? 意味がわからない」
<脳みそ、調べさせろ>
精霊の体がゴムボールのように勢いよく弾み上がった。タブレット端末から離れたのと同時に音楽も止まった。頭上に目掛けて飛んでくる実体のないものに、タイキは反射的に身構えた。
「え、ちょっ……!」
青いスライムの塊が円盤状に伸び、タイキの頭上を覆った。慌てて振り払おうと手を翳しても、ホログラムをすり抜けていくだけだった。頭を大半を包んだ精霊の表面は、何かをスキャンしているように光が過った。ハイパーリンクのテストダイブで、すでに生命的危機を味わったタイキは、この状況に思わず背筋が粟立った。幸い、精霊の“脳スキャン”は無痛かつ短時間で終わった。
<え、嘘だろ……>
タブレット器機の上に戻った精霊は落胆のあまり、体が伸びて平になった。タブレット器機から再び音楽が流れ、今度は哀愁あふれるメロディーになった。涙を含んだ瞳が傷ついた小動物に見えて、タイキは思わず申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「おい、どうしたんだよ」
心配そうに顔を近づけると、精霊は少し元気を取り戻したように、もっこりと頭を現した。
<消えてる……お前のチップメモリー……オイラがタクマのために作った、リブート用のデータとプログラム、全部消えてる……>
「消えてるって、どういうこと?」
<誰かがお前のチップを改ざんしたんだよ。オイラが設けた厳重なセキュリティを全て破って。きっと人間じゃなくてセントリオン、それも悪いセントリオンだ!>
憤りによって精霊の目が三角になった。色も赤みを帯びてきて、青から紫に変わっていた。
「ああ、確かに俺にはIDがない。それとも関係あるのか?」
<そうだ。IDごと、消された。だからオイラは今までずっと、お前のことを見つけられなかったんだ>
「消された......」抑揚の失った口調でタイキが呟いた。
<うん。でも不幸中の幸い、20年経ってようやく見つけたんだ。根守一族がやっているハイパーリンクのテストで、怪しい信号をキャッチした。もしかしたらって思って、テストダイブでお前とTAKUMiの演算野を直接繋いでみた。それでようやく、確信が持てた>
狂ったセントリオンに当てた実験デバイスが、突然作動してタイキのデータを送信していたのも、テストダイブでシステムをハイジャックし、レッドカースを無理矢理選択させてハイパーリンクを起動させたのも、全てこの精霊の仕業だったのだ。
精霊の言葉を完全に理解していないが、それでもタイキの胸に突っつかれたような痛みが広がった。孤児院で児童労働力としてこき使われた記憶。街中を彷徨い、空腹のあまりゴミ箱を漁っていた記憶。有りとあらゆる苦い思い出が走馬灯のように浮かんできた。
「消された、だと…… 俺は、ずっと自分のことを捨て子だと思っていた。捨てられたから、IDが無いんだと……」
<えっ>
精霊はきょとんとタイキを見上げた。体は元々の青色に戻っていた。
<ごめん……全部オイラのせいだ…… オイラがしっかりしなかったせいで、お前は国境の外に捨てられて、自分が何者かも思い出せないまま、苦しい人生をいきてたんだ……>
そこまで言うと、精霊は「わーん」と大きな声で泣き出した。大量の涙が滝のように流れ落ち、幸いホログラムであるため周囲を浸水させることは無かった。突然の号泣に戸惑いながらも、あまりにも悲しそうな様子にタイキは鼻が酸っぱくなった。慰めようと掌を伸ばすと、小さなスライムがのそのそと乗ってきた。
泣き止むのを待ってから、タイキは口を開いた。
「なあ、もうちょっと分かりやすく説明してくれないか。俺は一体、何者なんだ」
<簡単に言うと、お前は、タクマに成長するはずの人間だった>
「え?! どういうこと」
<お前は自分の脳CT画像を見たことないだろう。特別なチップを埋め込むための、特別な脳みそになってるんだよ。チップの中には、タクマと言う名前の人間の、記憶や人格が仕込まれている。お前が成長するにつれ、チップから情報を適宜に脳にアップロードして、タクマとしての自覚を取り戻す仕組みなんだ>
タイキはうなずきながら精霊の話を懸命に飲み込んだ。その様子を収めた精霊の視線に落胆が混じった。
「つまり、俺はその……『タクマ』っていう人のクローンか何か?」
<クローンじゃない、タクマだよ! 正確的には、タクマ『NO.9』だけどな。『NO.8』は……アレはひどすぎる。思い出したくもない>
ひたすら目をパチクリさせているタイキに、精霊は溜息をついた。
<はぁ……今のお前に、そんなこと言ってもしょうがないかな。タクマのことが何一つ分からないし、見た目の成長も少年期で止まっているし。もう、お前をタクマとして考えるの、やめる。さっき、名前は『タイキ』と言ったよね>
「ああ、そうだけど?」
<改めて、宜しくな、タイキ。オイラのことは『モリー』と呼んで>
「お、おう……初めまして、モリー」
はにかみながらタイキが挨拶を返した。話の流れと、これからどうなるのかも、全く掴めていない。疑問が山ほど浮かんでいたところに、倉庫の扉を誰かが叩き始めた。
「タイキ様、お目覚めになりましたか」
家政婦のキャサリンが扉の隙間から顔を出した。なんだか心配そうだ。彼女にとって、タイキは独り言を言ったり、両手で見えない何かを掬っているポーズとしていたり、挙動が甚だ不審だったようだ。
「あ、はい」
慌てて返事をし、タイキは掌に乗っている精霊を本能的に隠そうとした。しかしモリーの姿は、すでに何処にもいなかった。
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