2-4 鳶

「ずいぶん遅かったじゃ――」


 あたしが戻ってくるなり、久地は不満げな声を上げて、言い終わる前に絶句した。あたしの後ろに外村さんが立っていることに気づいたからだ。


「ごめん。先に清乃のところにお茶を届けさせてもらった」


 あたしは外村さんに目で確認してから、吹奏楽部のメンバーのところに行き、ペットボトルのお茶を配る。案の定、うめぼしおにぎりの包みはほとんど開いていなかった。


「そんなに緊張しなくて良いわよ。顧問の先生が来るまでは何もしないから。川原さんもまずは座って」


 ぎこちない所作でペットボトルを受け取ったきり、黙りこくってしまった吹奏楽部のメンバーにそんなことを言う外村さんだが、場の雰囲気はペットボトルの蓋ほども軽くはならなかった。あたしは気まずい思いをしながら木音の隣の椅子を引いて、腰掛けた。


(清ちゃんの様子はどうだった?)


 早速、木音が小声で話しかけてきた。


(少しは落ち着いたけどね)


(まだ戻って来られるような感じではない、と)


(そんなとこ。こっちは何かあった?)


 木音はあたしの問いには答えずに、ちらりと団藤さんの方を見た。


「婦警さん、一つお尋ねしたいことがあるんですが」


 その団藤さんがゆっくりと立ち上がって、外村さんに声をかけた。


「事件のことだったら、話せることはまだ何もないわよ」


「岩武先輩が姉崎先輩との無理心中を図ったというのは本当なんですか?」


 予防線をあっさりと踏み越えて直球の質問を投げつける団藤さんに対し、外村さんはアルカイックスマイルを浮かべて「ごめんなさいね」と躱わす構えだ。団藤さんが重ねて「わかってる範囲で良いですから」と言っても、久地が「カズは遺書を書いていたらしいじゃないですか」と援護射撃をしても、外村さんは実のある答えを返さない。一方で、あたしたち一人一人の表情をさりげなく観察しているのである。やっぱり油断ならない人だ。


「入るぞ」


 そうこうしている内にウミセンが戻ってきた。後ろにスーツ姿の男を引き連れている。前に校内で事件が起きた時に見かけた顔だ。おそらく五十海市警の捜査員だろう。


「すぐに始めて構いませんかね?」


 ウミセンはスーツの男の質問を軽く無視してあたしたちの方へ一歩足を踏み出した。


「刑事さんは今すぐにでも事情聴取を始めたいようだが、具合が悪いものはいるか? 少しでも変調を感じているなら、我慢せずに声をあげて欲しい」


 ウミセンがあたしたちのことを気遣っているのはわかったが、この雰囲気の中で声を上げるのは厳しい。


 案の定、口を開くものはなく、ウミセンは硬い表情で後ろの男に道を譲った。


「君たちの事情聴取を担当する、五十海市警刑事一課の桐原です。部活の仲間を二人も亡くして、ショックを受けているところだとは思うけど、市民の義務だと思って捜査に協力して欲しい」


 男――桐原さんは、軽く頭を下げてから、猛禽類のような目であたしたちを見回した。


 歳の頃は三十代半ば。外村さんよりも一回り若いくらいか。縦ラインの入ったスーツにシワはなく、オールバックに固めた黒髪も全く乱れていない。がっちりとした体躯に、勘の良さそうな目鼻立ち。雰囲気はいかにもな感じなのだが――。


「外村さん――記録係を頼めますか?」


「構わないけど、あなたの相棒は?」


「刑事部長に捕まっちゃいましてね」


 そう言いながら、桐原さんは多目的スペースを即席の取調室とするため、新たな椅子をがちゃがちゃと引っ張り出してきた。何というか、緊張感が足りない感じがするのはあたしだけだろうか。いや、あたしだけじゃないな。外村さんも露骨に顔をしかめている。


「では、一人一人順番に自己紹介をしてもらえるかな。連絡先と住所は後で書いてもらうから、さしあたっては名前と学年を言ってくれれば良い。海野先生は名乗りは不要ですが、生徒さんたちと一緒に座ってもらえると助かります」


 ウミセンが団藤さんの隣に座ると、塔歌が率先して立ち上がり「部長の砂川塔歌です。学年は二年です」と名乗った。その後に団藤さん、久地、木音と続いて、最後があたし。


「金管楽器のパートリーダー合宿という話だけど、ここにいる全員がパートリーダーということで良いのかな?」


「私は一年生なので、違います」


 団藤さんは自分が塔歌と同じチューバの奏者であること、部長の所属パートの一年生から一名が合宿に参加するのが倣いになっていることなどをてきぱきと説明した。


「自分はパートリーダーですけど、金管じゃなくて、パーカッションっす」


 後追いで木音が言うと、団藤さんは咎めるように目を細めた。


「パーカッションが私たちブラスとセットなのはいつものことじゃないですか。それよりも――」


 団藤さんの視線があたしに向く。すぐに、他の部員たちの視線も。


「そうだね。あたしはパートリーダーどころか、吹奏楽部の部員ですらありません」


「部員じゃないのに今回の合宿に参加したのかい?」


 当然の質問が返ってくる。さて、どこまでのことを話そうかと思案しているとウミセンから助け舟が出された。


「生徒会で何か企画していることがあって、そのリサーチのために参加を希望したと聞いています。合宿の参加届も事前に受け取っています」


「今の海野先生の説明で間違いない?」


「ありません」


「ふうん。川原さんは生徒会の役員なんだ。あまりそういう感じには見えないね」


 実際、正規の役員ではないんだけど、他人に言われるとまあまあムカつく。


「何にしても、今回の合宿は吹奏楽部の恒例行事で、川原さんのゲスト参加を除けば、イレギュラーな要素はなかったわけですね?」


「川原の参加も予定されていたことですし、イレギュラーな要素とは言えないでしょう。例年通りの合宿だと思っていましたたよ」


 ウミセンは無念そうに唇を噛んだ。


「君たちは?」


 尋ねられて、部員たちは顔を見合わせた。答えは決まっていて、誰が話すかを決めるための目配せの応酬の後、塔歌が口を開いた。


「うちらも先生と同じです。こんなことになるなんて思いもしなかった、です」


「では、昨日の岩武くんと姉崎さんの態度にも、不審なところはなかったんだね?」


「それは――」


「何か気になることがあったみたいだね」

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