1-10 アオハル・ユース・サバイバル
ラウンジに続いて、食堂と廊下、それに二階の多目的スペースの掃除を終えたところで、岩武くんが「頃合いだね。そろそろ終わりにしよう」と告げた。
「まだ手を着けてない場所が結構あるけど、平気なの?」
あたしが尋ねると、岩武くんはゴミ箱の中身を袋に移し替えながら「やりきれなかったところは明日、ここを出る前にみんなでやることになってるんだ」と答える。
「とは言っても、怠けずサボらず、まぁまぁ良いペースでやれたと思うぜ」
「同感同感。それじゃ、女性陣二人にはゴミ捨てを頼んで良い? ぼくとヒトシは出したものを片付けてくるから」
「ほいほい任せて」
清乃は岩武くんからゴミ袋を受け取って、あたしに「鮎、案内するからついて来てー」と言う。
「はーい了解」
「頼んだよ。終わったら食堂で合流しよう」
多目的スペースを出たあたしたちは、そのまま階段を下りて一階へと向かった。
「モテそうだね」
道中あたしが口にしたのは吹奏楽部の男子の話だった。
「どっちのこと?」
「人のことを軽率に女探偵呼ばわりしない方」
あたしの言葉に清乃がぷっと吹き出した。
「一敬くんかー。ま、確かに人当たりは良いし、後輩の指導もうまいし、芯がしっかりしてるから、部内でも結果人気あるんだよね」
「やっぱり」
掃除のときも、さほど強く自己主張をするわけではないのに、いつの間にかみんなのまとめ役に収まっていた。ああいうのを人徳というのだろう。
「昔はちょっとのことですメソメソする泣き虫ボーイだったんだけどなあ。ま、人は変われば変わるもんです」
腕組みをしてフッと笑う清乃。どういう立ち位置からの意見と態度なんだと問い詰めたくなる。
「ちなみに鮎のことを馴れ馴れしく探偵呼ばわりするクージーも、部の後輩からはまぁまぁ慕われていたりします」
「へぇ意外。かなり意外」
「容赦ないなあ。あれで一敬くんと一緒にいるときはちゃんとするんだよ」
「言われてみれば、掃除の時はそんなにウザくなかったかも」
「一敬くんから離れて一人になると、途端に変なカッコつけを始めちゃって醜態をさらすことになるんだけどね。まだまだ修行が足りないのですよ」
だからどういう立ち位置からのコメントなんだ。
その後あたしたちは一階のゴミを一つの袋にまとめると、正面玄関から外に出た。
「暗っ。でもって、寒い!」
四時半を回っているから日暮れ時ではあるのだが、不気味なほど暗く感じるのは黒い雲が空一面を覆い尽くしているからだろう。
「奥歯がカタカタしちゃうね」
「顎関節症になる前に済ませようか」
ゴミ庫は離れの建物の脇にあった。あたしたちはカラスよけのネットをめくりあげて、鉄カゴの中にゴミ袋をよいしょと置く。ミッションコンプリート。後は戻るだけかなと思って清乃の顔を見ると、はにかんだような笑みでもって見つめ返してくる。
「どうしたの?」
「せっかくここまで来たんだから、離れの中に入ってみるのはどうかなって」
「あたしは良いけど、寒くない?」
「へーきへーき」
鼻先が赤くなってるのに気づいているのかいないのか、清乃は笑いじわを大きくして言う。無理しちゃって。でも、こういうときの清乃の期待は裏切りたくなかった。
「折角だしお願いしよっかな」
「うん。折角だからね」
女子二人、
が、何も見えない。ドアの向こうは屋外よりも更に深い闇に包まれていた。
「ダークゾーンだ」
「待ってて。明かりをつけてくる」
清乃はすたすたと中に入り、電灯のスイッチを入れた。ジジジという音とともに、屋内がオレンジ色の光に照らされる。
さして広くもない三和土は大きな下駄箱が置いてあることもあってひどく窮屈な印象を受ける。ホールには花の入っていない大きな花瓶が一つきり。奥へと伸びる廊下にも窓はなく、ねずみ色の壁と、飾り気のないドアが三つ、並んでいるだけだ。
「なんというか、その」
玄関ドアを後ろ手に閉めながら、あたしは感想を呟こうとして口ごもる。
「閑散としてる?」
「それ。殺風景というか」
「工作室は電工部しか使ってないし、奥の休憩室も本来は引率の先生が宿泊するところだからねえ。あ、離れは土足NGだから靴を脱いで上がってね」
清乃に言われてあたしは履いていた靴を下駄箱に入れる。室内履きは――ないようだ。ホールに足をつけると、靴下越しにひんやりとした感触が伝わってくる。
「だったらどうしてあの部屋割りなの?」
「乃絵留が離れに寝泊まりすることになったのはは本人が立候補したからだけど、海野先生が事務室のソファで夜を明かすのは、本館の個室に鍵が掛かってるのとおんなじ理由だよ」
「あー」
「十年以上も昔の話だから私も詳しくは知らないけど、当時は大ごとになったみたい。まったく、合宿で合体なんて冗談にもなりやしない」
「ちょっと清乃」
親友が思いがけなくあけすけな言い方をしたので、あたしは中学生女子のように顔を赤くしてしまった。
「この手の話になると途端に奥手になるの、変わらないよね。鮎は」
「誰かさんと違って経験不足なので」
「私だって大した経験はないですー」
それからあたしたちは離れの中を探検した。といっても、姉崎が寝泊まりする予定の休憩室にずかずか足を踏み入れるわけにもいかないので、廊下を一往復して、工作室の中を覗いてみる程度。その工作室も、大きな作業台がいくつも並んでいる他は、電工部のものらしい謎めいた機械やら工具やらがあるくらいで、さして見るべきところはなかった。
【Fig2.星南原会館離れ見取り図】https://kakuyomu.jp/users/mikio/news/16818622177234839304
「こんなもんかって感じでしょ?」
「うん。正直こんなもんかって感じだった」
あたしたちは顔を見合わせて、けらけらと笑い合った。所要時間三分の短い探検だった。
「――でも、岩武先輩って本当に姉崎先輩と付き合っているんですかね」
外のゴミ庫の方から女子の声が聞こえてきたのは、あたしが玄関扉に手を掛けようとした矢先のことだった。
「だと思うんだぜ。よく二人で一緒に帰ってるみたいだし」
これは間違いなく塔歌だ。でもって、さっきのは団藤さん。会話にガサガサとビニールが擦れる音が混ざるのは、ゴミを捨てに来たからだろう。 離れの廊下に窓がついていないこともあって、二人とも屋内にあたしたちがいることにはまるで気がついていない様子。
「中学生の恋愛じゃないんですから。一緒に帰ることが多いのは、単に家が近所だからだと思いますよ。幼馴染みという話ですし」
「付き合ってなくてあの距離感は、いくら幼馴染みでもバグってると思うんだぜ?」
「それはそうなんですけど……」
しばしの沈黙が訪れる。けれど、二人が本館に戻っていく気配はない。
「団藤チャン」
やがて、塔歌が後輩に呼びかけた。
「はい」
「後生だからみんなには黙っていて欲しいんだけど、うちはもう、岩武チャンにフラれてるんだよね」
「えっ」
驚いたのは団藤さんだけではなかった。あたしと清乃も思わず声が出そうになるのを、互いに手で口を塞ぎ合って、どうにか事なきを得る。
「そそそそれって」
「九月の半ばかなー。ほら、あの頃は文化祭の準備なんかで一緒に行動する機会が多かったじゃん? これはチャンスかなと思って、うちのほうから告ってみたんだけどダメだった。心に決めた人がいるんだって」
慌てふためいている団藤さん(+あたしと清乃)を余所に、塔歌は案外さっぱりした口調でそう言った。
「……ごめんなさい」
「気にしなくて良いんだぜ。うちとしてはもう終わった話なんだから。ま、団藤チャンが焚き付けたくなるくらいには未練ダダ漏れだったのかも知れないけどにゃあ」
「部長ッ」
団藤さんは塔歌にしがみついたようだった。音楽堂ではやや神経質そうな印象を受けたが、根は甘えんぼさんなのかもしれない。
「よしよし。そんじゃあ体も冷えてきたし、そろそろ戻るんだぜ?」
「はい……」
二組の足音が遠ざかっていき、離れは静けさを取り戻した。
「まいったなあ」
あたしはかぶりを振って言った。
「内緒の話をまるっと全部聞いちゃったよ」
「仕方ないって。別に盗み聞きをしようと思ってここにいたわけじゃないんだし」
対する清乃は淡白な反応。
「そりゃそうだけど」
「それとも、どこかのタイミングでよっこらせと出て行った方が良かった?」
あたしは口をつぐんで首を横に振った。
「しっかし、トーカも一敬君なのかあ」
「トーカも? ああ、そうか。岩武くん、モるんだもんねえ」
あたしが相づちを打つと、清乃は一瞬だけ大きく目を見開いた後で「ああ、うん。そう」と早口に言った。
「一敬くんは本当、人気あるんだよ。困ったことにさ」
清乃のとってつけたような態度の理由が気になりはしたが、こういうことは無理に聞かない方が良い。あたしは少し考えてから「だとしても、岩武くんがきちんとした人なのは良かったね」
「どういうこと?」
「ちゃんと心に決めた人がいるからと言って断ったのは誠実だって話。断られた方だって、そう言ってくれれば終わった恋にもできるわけでさ」
あたしが言うと、再び清乃は大きく目を見開いた。ただし、今度は瞳を好奇心でキラキラと輝かせて。
「……鮎、ひょっとして敷島君と何かあったの?」
「ないです。あいつはただの友達。告白したりされたりするような間柄ではございません」
ええ、ございませんとも。心の中で付け足してから、いささかリアクションが大げさすぎたことを自覚する。清乃も清乃だ。ちょっと何かがあると、あたしと敷島が好いた惚れたの関係なのではと妄想を逞しくするんだから。
「あたしたちも戻るよ」
「はあい」
ドアを開けると寒い空気が屋内になだれ込んできた。外はすっかり暗くなっていて、本館ポーチの灯りがうっすらと辺りを照らし出している。あたしたちはその灯りを
「雪だ」
走りながら呟くあたしに清乃が「降ってきたね」と被せてくる。
闇の中でもひらひらと舞い踊る
「到」「着!」
本館の屋根下に転がり込んだあたしたちは、示し合わせたように後ろを振り返った。北国のどか雪とは比較にもならない小雪模様だが、途切れることなく降り続いている。
「五十海市に雪らしい雪が降るのって、何年ぶりのことなんだろ」
「小学校以来じゃないかなあ。凍えるわけだよ」
そう言ってから、清乃はくちゅんとくしゃみをした。体が小刻みに震えている。
「やっぱり寒いんじゃん」
「寒いけど良いの。清少納言も『雪の降りたるは言うべきにもあらず』って書いてるくらいの光景が見られたんだから。結果オーライ、オーライエー」
「あれは早朝に降る雪の話じゃなかったっけ? いいから風邪ひく前に中に入るよ」
あたしは少し強めにそう言うと、玄関扉に手を掛けた。我ながらちょっと当たりがキツすぎたか? と思わないでもなかったが、そのまま無言で館内へと足を踏み入れる。『気の置けない友人と見る雪は特別な気分に浸れて嫌いじゃないけどね』と言い足すのは、さすがに気恥ずかしかった。
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