1-2 星見
駐輪場から戻ってくると、清乃が「よっこいしょー!」と景気の良い掛け声を上げながらボストンバッグを背中に回すところだった。
「しっかし、すごい量だね」
「ホルンはかさばるからさー」
空いてる方の手でおにぎりみたいな楽器ケースを持ち上げながら、清乃はのほほんと応じる。確かにそっちも重たそうだけどさ。
「楽器もそうだけど、あたしが言ってるのは背中の荷物の方」
思わず鼻を鳴らしてしまう。清乃のバッグはパンパンに膨らんでいて、ファスナーが閉まりきらないほどだ。全く、中に何が入っていることやら。
「こんなの乙女のお泊まりなら少ない方だって。っていうか、鮎の方こそ軽装すぎだよ。ちゃんと勝負下着とか持ってきた?」
「しないから勝負」
そもそもそういう感じの下着をあたしは持っていない。
「そっかぁ。残念」
何がどう残念なんだか。それはともかく、あのボストンバッグと楽器ケースの両手持ちはキツかろうと思い、あたしは空いている方の手を差し出した。
「どうしたのん?」
「や、半分持とうか? って」
「平気だよ。すぐそこだし。でもありがとね、鮎」
それからあたしたちは無人のグラウンドを横目に、高校の敷地のはずれに向かって歩みを進めた。
「そういやあたし、会館には一度も入ったことないんだよね」
「部活やってないと行く機会がないもんねぇ」
あたしたちが向かう先――
「帰宅部的には吹奏楽部専用の建物ってイメージだけど、そうでもないの?」
「意外と色んなところが使ってるよー。和室は大体いつも茶道部と書道研究会が使ってるし、演劇部も週の半分は多目的スペースで練習しているんじゃないかな。あと、電工部も離れの工作室でなんか色々作ってる」
「離れ? そんなのもあるんだ」
「二年近くも東高生やってて知らなかったの?」
身長172センチのあたしと、150センチそこそこの清乃がこうやって並んで歩くと、お互いに首を曲げて会話することになる。あたしが右斜め下で、清乃が左斜め上。
いつだったか、一緒に映画を観に行った後で長いこと立ち話をしていたら、帰りの電車で二人して寝違えたみたいに首が痛くなったことがある。清乃は『長話には向かない身長差だね』と言って笑うけど、あたしは知っている。この角度から見る清乃の顔が一番綺麗だってことを。
歩く度に揺れる前下がりボブも、くりんとした黒目がちな瞳も、柔らかそうなほっぺも――それから、右目の下に見え隠れする小さなほくろもとても魅力的だ。口にしたら隣を歩いてくれなくなりそうだから、本人には内緒にしている。
「……なんだか段々中に入るのが楽しみになってきた」
「それは良かった。あ、でもね。期待させといて悪いけど、本館も離れもそんな大層な建物じゃないよ。何しろサッカー部以外にはお金をかけないことに定評がある東高ですから」
「ですよねー」
などと言い合っていると、後ろから男子生徒が早足で近づいてきた。背格好は清乃と同じか少し大きいくらいだから高校生男子としてはかなり小柄な方だ。革のトランクと細長い楽器ケースを手に提げている辺り、彼もこの合宿の参加者なのだろう。
「こんにちは、清乃ちゃん。それに川原さんも」
男子生徒はあたしたちの側まで来ると穏やかな声で言った。
「お、
清乃が軽い調子で挨拶を返すと、男子生徒はくすぐったそうに笑ってからあたしの方に向き直った。
「清乃ちゃんの吹奏楽仲間の
如才ないあいさつだが、これが彼にとっては当たり前なのだろう。どこぞの美容室でカットしてもらったとおぼしきツーブロックヘアや学ランの下に着込んだ白いパーカーも、気取った感じはあまりなく、ごくごく自然体にみえる。
「こちらこそ」
あたしが軽く頭を下げると、岩武くんとやらは人好きのする笑みを浮かべた。
「それじゃあ一緒に行こうか。部長はもう来てるみたいだよ」
一足先に歩き始めた岩武くんの背中を追いかけながら、あたしは清乃の横顔をじぃっと見つめる。
(どうしたのん?)
(『清乃ちゃん』って呼んでたけど)
(一敬くんとは幼稚園、小学校と一緒だったからね。昔からこんなもんだよ?)
(ふーん)
(妬いてる? もしかして妬いてる? 男女の仲ではないから安心大丈夫ですよ)
(妬いてないし不安も懸念もないけど委細承りました)
半ば小声、半ばアイコンタクトで清乃とやり取りをしている内に、開けたスペースに出た。教職員用の駐車場だ。普段は朝早くから夜遅くまで車でいっぱいなのだが、今日はブラウンカラーのミニワゴンが一台止まっているきりだった。
「鮎、あそこ」
清乃の言葉にあたしはこくりとうなずき返した。駐車場の向こうに背の低い鉄筋コンクリートの建物が鎮座している。直線的で没個性的で可愛げのかけらもないシルエット。なんと言うか、あれはまるで――。
「公民館みたいだね」
「よく言われる」
白く塗られた外壁も、のっぺりとした陸屋根も、全体的に経年劣化が進んでいてくすんだ色合いになっているあたりも、すごく公民館である。星南原会館という名前から連想されるロマンチックな雰囲気は皆無だった。
「二人ともついて来てるー?」
と、前の方から岩武くんの声がした。いつの間にか随分と離されている。あたしと清乃は一瞬顔を見合わせた後で、慌てて彼のところへと向かったのだった。
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