第44話 荷馬車に揺られて

「それじゃあ、出発しますよ」


 ぱあん、という乾いた音。

 タロスが手綱を繰ると駄馬が歩みを再開する。


 ぎい、と荷台が揺れ、車輪が回り始めた。最初はゆっくりと。少しずつ滑らかに。

 馬という生き物は舗装された道であれば、自身の体重の三倍までの重量を牽引することができると言われている。それに車輪が加われば、更なる加重を引っ張ることが可能だ。


 現に、三人の人間を追加で載せても馬車の動きに滞りはない。現代に至るまでの人類の生息圏の拡大は、使役動物の生産と、車輪という偉大な発明があってこそ成り立つ躍進だ。


「これは、何というか、楽ですね……」


 ぼんやりとローザリッタは呟いた。

 至極当然であるが、人間というものは、ただ立って歩くだけでも体力を消費する。太刀や鎧などの装備品や生活用品を詰め込んだ背嚢などを携帯しているのであればなおのこと。生半可な鍛え方をしているつもりはないが、それでも徒歩で移動するのはローザリッタたちであっても疲れる行為なのである。


 だが、この馬車はどうだ。速度は決して速くはないが、黙って座っていても勝手に目的地に近づいて行くのは、正に安楽の一言。無償で味わうには過ぎた味だ。護衛の傭兵たちは外で歩いているのに、自分はこんな楽をしていいのだろうか。


(あ)


 随伴している傭兵と目が合った。


(き、気まずい……)


 申し訳なさで落ち着かなくなったローザリッタは、慌てて視線を逸らす。

 リリアムは御者台でタロスと何やら楽しげに会話をしている最中。ヴィオラはヴィオラで積まれた商品を物珍し気に物色している。手持無沙汰のローザリッタは、おのずと視線の置き所を探して、きょろきょろと忙しなく見回すばかりとなった。


「――そんなに行商人の荷馬車が珍しいですかい?」


 挙動不審を察知されたか、タロスが肩越しに声をかける。


「す、すいません。こういう馬車は、あまり馴染みがないもので」


 ローザリッタは、えへへ、と取り繕うように愛想笑いを浮かべた。

 事実、彼女にとっては行商人の馬車は見慣れないものだ。ベルイマンの屋敷で暮らしていた時も商人が来訪することはあったが、それらはいわゆる御用商人と呼ばれるもので、街で市を開く行商人とはまた系統が違う。


「ははあ、左様ですか。行商人と縁がないとは、ローザリッタさんはずいぶんお育ちが良いようですな。もしかして、やんごとなき身の上とか?」

「え、あ、その……あいたっ」


 ヴィオラが物色を止め、ローザリッタを肘で小突いた。余計なことを言うな、と言わんばかりに。


「それにしても、節操のない品揃えだな」


 話題を変えるようにヴィオラが割り込む。これ以上、ローザリッタの素性を詮索されるのを妨害するためというのもあるが、実際、荷台の中に積まれた商品はなかなかに混沌としており、一言言わねば気が済まない有様だった。


 真っ先に目に留まるのは、塩や香辛料が詰まった麻袋。これはわかる。行商の定番だ。

 レスニア王国は山国である。その領土の中で唯一、海に面しているのは公爵の管轄地のみで、一部、岩塩を採掘できる土地があるものの、それ以外の場所では塩を生産することができない。行商人が各地を渡り歩いて塩を供給しなければ、内陸部はたちまち致命的な塩不足になる。レスニア王国の行商人は基本的に『塩の運び屋』なのだ。


 他にも、髪留めや首飾りといった装飾品や、独特な紋様をしている異国の織物や工芸品。遠方の地酒や煙草などの嗜好品。こういった自分の土地にはないものを売ってくれるのは行商の醍醐味であり、これもまた尋常の範疇だろう。


 ……ここからが怪しい。


 薬草や軟膏などの医薬品。古釘やのみかんなといった工具類。槍の穂先ややじりなどの物騒な品があれば、子供の遊び道具であろう独楽こまや人形のような無邪気な品も見受けられる。果ては庶民には縁のなさそうな学術書の写本まで。あまりにも種類があるため全容を把握しきれない。正に移動する雑貨屋といった様相だ。


「いったい、どこの客層を狙っているんだって感じだ」

「あっしの運搬手段は馬車一台ですからね。どうしても積載量に限りがありますので、量よりも種類で行かせてもらっています。何かご入用のものはありますか?」

「残念だが、〈ミノーズ〉で仕入れたばかりだからな。当分、消耗品は……お?」


 ぐるり、と荷台を見回すヴィオラ。隅っこに鎮座する桐箱が目に留まった。蓋を開けると、中には保護布に包まれた陶器の茶碗と急須きゅうすがすっぽりと収まっている。


「お。茶器かぁ。いいねぇ」


 にやり、と挑戦的な笑みを浮かべ、ヴィオラが箱の中身を手に取った。


「あ、亀さんですね」


 ローザリッタの言葉通り、急須は亀を模した形状をしていた。注ぎ口の部分は首を伸ばした亀の頭部、甲羅の天辺には小さな子亀のまみ、底の部分には小さな手足が造形され、尻尾がくるりと輪を描いて取っ手になっている。


「ほほお。こいつぁ、また……」


 めつすがめつ急須を眺めているヴィオラの眼差しは鑑定士のそれだ。日頃の粗野な言動のせいで印象が薄いが、彼女はれっきとした伯爵家の侍女である。調度品の手入れなども仕事の一環であり、来賓らいひんをもてなすのに欠かせない茶器などの扱いには一家言持っていた。


 従者の意外な真剣ぶりに思わず、ローザリッタも興味が湧く。


「それ、そんなに珍しいものなんですか?」

「ん? ああ。見てみろよ。ふたがないだろ」

「あ、本当だ」


 手渡された急須には、急須であれば当たり前のようにあるはずの蓋がなかった。正確には、本来であれば蓋になるべき甲羅の頂点部分に継ぎ目がなく、胴部と一体化している。これでは茶葉も湯も中に入れることができない。手にした感触から中が空洞であり、液体をめる機能があることは理解できるものの、現状では急須の形をしただけの置物でしかない。


「これ、本当に急須なんですか? 失敗作とか?」

「急須っちゃ急須だけど、これだけでは茶は淹れられない。別途で茶を沸かして、こっちに移して保管するんだよ」


 ここに穴があるだろ、と亀の甲羅の上部分を指した。ちょうど子亀の摘まみの後ろに、漏斗ろうとか何かを差し込むための穴がある。


「……つまり、ただ注ぐためだけのものってことですか?」

「そういうこと」

「……二度手間じゃないですか」


 ローザリッタが露骨に難色を示した。別途に茶を淹れる急須を用意できるなら、最初からそれを使えばいいだけの話だ。注ぐためだけにわざわざ容器を変えては単に洗い物が増えるだけ。非効率的と言わざるを得ない。


「その手間を楽しむのが茶の湯ってもんですよ。それに、昔から亀は長寿の象徴ですから、それでお茶を注げば何ともご利益が宿りそうじゃないですか」


 タロスが苦笑交じりに答えた。そもそも茶の湯などは富裕層の楽しみだ。そして、往々にして文化人を称する人種は味や香りだけでなく、道具にもこだわりを見せる。この亀の急須の機能性は壊滅的だが、この個性的な形状は会合で話を転がすのにもってこいだろう。そういう付加的要素にこそ価値を見出す購入者もいるかもしれない。


「まあ、あんたが言うことにも一理あるわな。ただ飲めればいいんなら、茶器の窯元かまもとやら職人やら、誰も気にしないからな」

「そう言うヴィオラさんは、なかなか茶器に詳しいようですね」

「趣味っつーか、仕事っつーか。まあ、人よりは茶を淹れる機会もあったしな。なあ、これ、いくらするんだ?」

「申し訳ありませんが、それは売り物じゃなくて、あっしの私物なんですよ」

「……なるほど、そりゃ残念だ」


 ヴィオラはそっと急須を桐箱に戻すと、考え込むように口を閉ざした。

 このままだと、また気まずい沈黙がやってくると内心で焦ったローザリッタは、必死に新しい話題を探した。


「そ、それにしても、本当にいろんなものがありますね。あの、いつからこの仕事をしているんですか?」

「生まれた時からですよ」


 タロスはいたずらっぽい口調で答える。


「あっしの両親は大きな隊商の一員だったんです。それもそんじょそこらの隊商じゃない。国から国へと行き来するような巨大な貿易隊商でした。そんな父と母の間に生まれた姉とあっしは、赤子の時から国から国へ渡る生活をしていたんですよ」

「それはすごい」


 ローザリッタは素直に感服した。ついこの間まで、自分の領地から一歩も出たことがなかった彼女からしてみれば、赤子の頃から旅をしているタロスの生活を想像することさえ困難だ。


「ですが、あっしが十の時、流行り病で両親が亡くなりましてね。死別を機に、姉はあっしを連れて隊商から独立することを決め、これまでに貯めた金を元手に小さな行商を始めたんですよ。隊商での生活には両親の思い出がいっぱい残っていますから、まだ幼いあっしが辛い思いをしないようにと離れてくれたのかもしれませんね」

「そうだったんですね。そのお姉さまはどうされているんです? 姿が見当たらないようですが……」

「ちょっと、ローザ」


 何か言いたげなリリアムを、タロスが制した。


「姉ですか? 姉ならローザリッタさんのそばにいますよ」

「え?」


 驚いたようにローザリッタは自分の周りを見回す。荷台に載っているのは彼女とヴィオラの二人だけのはずだ。先客がいるのなら、真っ先に気づくはず。


「そこです、そこ。そこに壺があるでしょう」


 タロスが指さした先、積み荷の陰にひっそりと置かれている壺を発見する。


「これは?」

「骨壺です。中に父と母、そして姉の遺骨が入っています」

「えっ?」


 ローザリッタが思わず肩を震わせた後、しまった、と顔をしかめた。


「ごめんなさい。気持ち悪いとか、そういうことじゃなくて――」

「はは、わかっていますよ。普通、そんなところに骨壺があるなんて思いませんよね」


 気を悪くした様子もなく、タロスは笑った。


「渡り鳥のように各地を転々とする行商人は、特定の墓を持ちません。立ち寄った集落の共同墓地に埋葬してもらうか、自前で火葬して、こうやって持ち運ぶしかないんですよ」

「それじゃあ、お姉さんも……」

「はい。流行り病で数年前に。どうも、病没するのがあっしの家系の特徴らしい」


 ローザリッタは痛ましい気持ちになった。彼女も最愛の母を幼い頃に失っている。家族を失う辛さは彼女も十分に理解しているつもりだ。


 だが、あれで娘を溺愛している父のマルクス、姉代わりのヴィオラ、老若男女の使用人に師範代を始めとした大勢の同門剣士たち。たくさんの人々に囲まれて生きてきたローザリッタと違って、彼は人生の大半を離別と孤独が支配している。不幸を比べるものではないと判っているものの、それでも、彼よりも恵まれている自分がどう励ましたところで、薄っぺらいものにしかならないのではないか。


「……お独りになっても行商を続けるのですね。寂しくはないのですか?」

「そうですなぁ……」


 タロスは言葉を選ぶように空を見上げた。


「どこかの街に移住して、嫁さんでも貰って、新しい生活を始めてもよかったんですがね。生まれた時からあちこちを転々としていると、どうも一所に落ち着くことは難しいようで。姉が残してくれた馬と馬車もあることですし、せめて姉と同じ年齢くらいまでは続けてみようかと。それから先の人生は、その時に考えます」


 その穏やかな返答に、やっぱり、この人は苦手だ――とローザリッタは再認識した。


 喪失を原動力に、炎のような熱量で人生をひた走ってきた自分と対照的に、タロスは己の運命を受け入れ、凪のように人生を歩いている。


 その悟りにも似た在り方は、自分の生き方を否定されたような気がして、どこか劣等感を覚えずにはいられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る