第31話 純白のローブ

「大聖女ルフェリア・エイリー。申し開きは?」


 聖マートリア教会、中庭。

 ロの字型に組み合わさった壮麗な建物のちょうど中心、色とりどりの花々が咲き誇り噴水がきらきらと光を振り撒くその場所は、普段なら休憩をとりに来た聖女でごった返しているはずだった。


 人々でごった返しているのは、今も同じ。しかし、ルフェリアを中心として出来上がった綺麗な円形の人だかりの中に立つ人々は、皆、信じられないと言いたげな驚愕の表情を浮かべている。

 そしてもう一つ普段と違うこと。それは、その場に立つ人間は、聖女ではないものが大多数を占めているということ。


「……なんの、ことかしら?」


 鈴を転がすような声で、首を傾げてみせたルフェリアに、燃えるような赤い髪を持った人物ーーこの国の王太子、ジークフリートが不快そうに眉を寄せた。

 そうそう王宮を出られる立場にはいない王は、その全権と共に王太子であるジークフリートをこの場に寄越した。

 そして、ジークフリートは、教会中の人間を中庭に集めて、ルフェリアに向かって言い放ったのだ。


「そなたが今まで、魔力のある人間を捕らえては、その魔力を奪っていたことは知っている」


 その瞬間に、ざわりとした震えが広がった。なんだなんだ、と訝しむ声が響く。


 それとちょうど同じころ、開け放たれた聖マートリア教会の正門に、通りがかった人々は何事かと目を疑っていた。しかし、その人混みに釣られたように続々と足を踏み入れていく。

 その様子も意に介さず、ルフェリアが笑う。


「殿下。何か勘違いされているのではなくて?」

「勘違い? そなたに、魔術塔の『遺産』を使ってからなら、その理屈も通ろう」

「『遺産』とおっしゃいますと、記憶を辿るものかしら? 私にも知られたくない過去の一つや二つございますわ……それに、本人の許可なく記憶を探る行為は禁止ですわよ」

「ああ。ただそなたも知っての通り、例外はある。その者が、罪を犯しているという疑いがある場合だ」


 その言葉に、一気に中庭が騒がしくなった。

 誰も彼もが隣にいる人間をつつきあい、ひそひそと言葉を交わす。先ほどまで大声をあげていた物売りもさすがに空気を読んで声を抑え、勿忘草で満たされた花籠を抱えていた少女たちは正門の方へと人混みを潜り抜けていく。


「私に、罪?」

「ああ」

「その証拠は何ですの? そもそも罪の疑い自体が冤罪である可能性はお考えには?」

「これを見ても、そう言えるか?」


 その一言と共に、ジークフリートが掲げた透明な瓶が、きらりと陽の光を反射して光った。

 人垣がぐっと狭まり、その瓶の中身を一目見ようと人が押しかける。

 その中でぴくりとも動かない一匹の魔物を目にしたルフェリアは、顔色ひとつ変えることなく首を傾げた。


「それは何かしら?」

「寄生魔物と魔術師長フェリクスより聞いている。生息域は北方のザード王国、発見された場所はバラッタ山脈だ」

「それと私に何の関係がございますの?」

「この魔物、暑さに弱いんだよね」


 どこからともなく、声が響く。

 その声の主を探して辺りを見渡した人々だったが、結局見つけることもできずにもう一度ジークフリートへと視線を戻す。

 そして、その横で笑いながら立つ、すらりとした男の姿を目にした。


「運んだ人がいる、ってことだよ。ところでところで、聖マートリア教会、最近冷蔵の魔道具を寄付したんだって?」

「フェリクス様、お久しぶりですわね。寄付したのは確かですけれど、偶然ですわ」

「そう? それならそれは偶然だってことにするけど、この魔物がバラッタ山脈の魔物に寄生したとき、明らかに呪いの類の禁術と大規模な天候副属の術式が使われてるんだけど、それは?」

「私たち聖マートリア教会には関係のない話ですわね」

 

 ルフェリアの表情は揺るがないが、周囲の話し声が一気に盛り上がる。

 それを片手で制したジークフリートが、言葉の続きを引き取った。


「今回の犯人は、随分と込み入った手を使って身元を隠そうとしている。それなりの地位を持ち、よく顔の知られた人間ということだ」

「その条件に当てはまる方は、沢山いるのではなくて?」

「そうか? 冷蔵の魔道具を最近手に入れたもので、天候副属や禁術に詳しく、名の通った人物がそうそういると思うか?」

「……失礼ながら、魔術塔の皆さんはどうなのかしら? こうして私に疑いをかけて、聖マートリア教会の名誉を穢そうとなさっているのでは?」

「ちょっとちょっと、聞き捨てならないね。聖教会の名誉を穢したいんだったら、僕だったらさっさと魔術塔を爆破して、あなたたちのせいにするよ。こんな面倒なことする必要ないもん」

「つまり殿下とフェリクス様は、私がその魔物を移動させてバラッタ山脈の魔物に寄生させたとおっしゃるの? ではお聞きしますけれど、そんなことをして私に何の利があるかしら?」

「それで、最初の話に戻る。そなたは、魔力を持つ人間から魔力を奪っている。寄生された人間の保護、安全のための魔力吸収、素晴らしい言い訳だな?」

「どうして私がそんなことを?」

「あなたが、本物の大聖女ではないから、だね」


 低く、落ち着いた女性の声。

 全ての視線が声の主を探して彷徨った瞬間、ばっと人が道を開ける。

 真っ直ぐに中庭の中央に向かってできた道を、白いローブを翻して歩きながら、ルシルは笑った。


「ルシルじゃない! 久しぶりね、会いたかったわ。だけど、何かしら、私が本物の大聖女ではない?」

「そうだよ」

「どうしたの、ルシル? 疲れているのかしら。聖マートリア教会に来たらいいわ、よく休めるのよ」

「自己紹介が、まだだったね」

「ルシル、あなた、何を言っているの?」


 初めまして、と言って、ルシルは丁寧に腰を折った。

 ゆるく編まれた髪が肩を滑り落ち、翡翠の混じった薄い色の瞳が真っ直ぐにルフェリアを射抜く。


「私の名はルシル・アシュリー。アシュリーは父方の性で、母は、ユーフェミア・エイリー」


 今まで一切動くことのなかったルフェリアの表情が、驚愕に歪んだ。

 その顔を僅かな愉悦と共に見つめながら、ルシルは一切の気負いなく問いかける。


「私の母の名に、覚えは?」

「ええもちろん、覚えてるわよ。ユーフェミアの娘なのね! 言ってくれれば良かったのに、まさか私に姪がいただなんて!」

「『大聖女は、私なのよ。ユーフェミアでなくて、ルフェリア。そうでなければならないの』――この言葉に、覚えは?」

「なんの、ことかしら?」


 一瞬も見逃すまいと、ルフェリアの表情を注視していた人は、残らず気がついていた。

 その言葉を聞いた瞬間に、ルフェリアの翡翠を思わせる緑色の瞳の中で、一瞬動揺の光が揺れたことに。


「本物の大聖女は、私の母であり、あなたの双子の妹であるユーフェミア。つまり、聖マートリア教会は間違えたんだ。最初からね。気がついたのはいつだった? いつから隠蔽しようとした?」

「確かにユーフェミアは優秀だったわ。でも大聖女は私よ」

「そんなユーフェミアが、偶然、落石事故にあって亡くなったのか?」

「何が言いたいのかしら?」

「あなたが証拠隠滅のために私の母を殺した。……そして私はそれを見ていた」

「……な」

「気がつかなかったか? あの日、あの時、私もそこにいた。母はあなたの言う通り、優秀な人だったよ。あなたから、私の存在を隠し続けた」


 ルシルは、フェリクスへと視線をやった。

 ぴたりと目があって、フェリクスも口を開く。


「ルシルさんには、もう『遺産』を使ってある。彼女の言葉が本当だって、僕が、魔術塔が保証するよ。今からみんなに見せてもいいんだけど……ちょっとちょっと、子供達もいるなかで流したくないからさ、ね?」

「あなたは大聖女であるために、魔力が必要だった、そうだろう? 寄生魔物の件も、聖女から魔力を奪うために起こした騒動だ。さて、ルフェリア」


 申し開きは?


 ゆったりと声をかけたルシルに、ルフェリアが俯いた。

 銀色の髪が頬を滑り落ち、髪の上で聖花マートリアが踊る。


「そうね、申し開き?」


 ふふ、と笑いが漏れる。

 目を細め、かすかに背を逸らして、ルフェリアは笑った。


「ねえルシル、考えたことはない?」


 その言葉に、ルシルはかすかに首を傾げた。小さく息を吸って心を落ち着かせ、次の言葉を待つ。


「なんで、私がユーフェミアを見つけることができたのか」

「何が言いたい?」

「ユーフェミアは、優秀な人よ。ルシル、あなたによく似ているの。私よりもずっと出来が良くて、私の考えをよく理解していたわ。そんなユーフェミアが、私に見つかるだなんて大失敗を起こしたのは、一体なぜでしょうね?」


 くすくすとルフェリアは笑って、伸ばした指先をくるりと回す。

 その仕草は、恐ろしいほどに、ユーフェミアに、そしてルシルに似ていた。


「いいかしら、小さい子供は大変なのよ? 物だってたくさんいるし、一度体調を崩したら野宿するわけにはいかなくなってしまうもの。きちんとした宿で休ませる必要だってあるし、聖女に見せなければいけなくなるかもしれないわ」


 ルシルの頭の片隅で、光が弾けた。同時に引き摺り出される、かすかな記憶。

 生まれて初めての柔らかい感触。ふわふわとした布に全身を包まれながら、身体を蝕む熱に耐えていた記憶。母の優しい手が、そっと汗ばんだ額を拭っていった清涼感を思い出して、ルシルの背筋が震えた。


「ユーフェミアの足取りを追うのは大変だったわ。足がつくようなところには絶対に立ち入らないんだもの。……ほんの数回を、除いてね?」


 母に、泣きながらねだった記憶がある。

 偶然通りかかった立派な店。その店頭に飾られていた、母のものとよく似た真っ白なローブ。

 それが欲しくて堪らなくて、泣いて訴えた時、母は一瞬困ったような表情を浮かべた後、ルシルを連れてその店に入った。


 ルシルは、震える自らの手へと視線を落とした。

 紙のように真っ白な手を包むのは、あの時のローブだ。何度も仕立て直しては身につけ続けている、最初で最後の母からの贈り物。


「あとはそうね、透明化の魔道具。あの時ユーフェミアが使わなかったから、てっきりもう使ってしまったものだと思っていたのだけれど……ルシルに使っていたのね? ねえルシル、私ですら見破れないような透明化の魔道具よ? 簡単に買えるものなわけがないでしょう?」


 は、は、と短く吐き出される自らの息の音と、あくまでも甘やかなルフェリアの声だけを、ルシルは聞いていた。

 視界が狭くなり、白く霞がかったようになっていく。


「あれは最後に、ユーフェミアが私のところから盗み出した『遺産』級の魔道具よ。魔術具じゃないから『遺産』とは呼ばれないけれど、とっても貴重なものなの。いざというとき、自分の身を守るために、ユーフェミアが持っていったのよ。賢いでしょう? ユーフェミアは慎重に、自分の命を守るための策を巡らせていたわ。正直、見つけ出すのは無理と思っていたの。だから、ねえ、ルシル?」


 あなたには私、感謝しているのよ?


 甘い声は、毒のようにルシルの頭を蝕む。

 どれだけ振り払っても。妄言だと打ち消しても。噴水のように絶え間なく、ただ一つの思考だけが浮かび上がってくる。


 もし、ルシルがいなかったなら――。


「くだらない」


 その考えを貫いて、低い声が響く。

 身体がふわりと温かいものに包まれ、ルシルは小さく息を呑んだ。

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