第27話 周瑜の種蒔き

 目の前にあの陸遜が居る。



 陸遜 伯言



 関羽を呂蒙と共に捕らえて、夷陵いりょうの戦いで劉備を破っている。


 この男が居なければと思っている蜀ファンは多い筈だ。俺もその中の一人だけどね!


 でも彼の晩年は不遇だ。


 二宮にきゅうの変に巻き込まれ、有らぬ疑惑を孫権に持たれて憤死している。


 陸遜はその華麗な功績とその後の不憫な死を迎えた事を思えば、それほど憎いとは思えない。


 しかし、間接的には俺の死に関係していた人物だけに、どう接したら良いのか分からない。


「色々と話をしたい所ですが、総司令に報告に行かねばなりません。これにて」


 さっと背を向けて陸遜は去っていった。


 ろくな挨拶も出来なかった。


 孔明や周瑜とはまた違うオーラのような物を陸遜から感じた。


 あれが呉を支え続けた男か?


 役者が違うと感じた。


 陸遜が名優なら俺は大根役者だ。


 陸遜の後ろ姿を見て、カッコいいと思ってしまった。




「どうだった。伯言」


「どう、とは?」


 周瑜と陸遜は天幕にて二人だけで話をしていた。


 周瑜の手には杯があり、それをクルクルと回していた。


「劉公徳だ」


「ああ、彼ですか」


 周瑜は陸遜に孔明達を迎えに行かせて、劉封を見聞させたのだ。


「凡、ですな」


「ほう、才人ではないのか?」


 周瑜はあの日劉封の言を聞き、彼を賢人と思った。


 しかし、その後魯粛の報告からは劉封の芳しからぬ報を受けていた。


 その為、劉封の才に疑問を抱いたのだ。


「私が見る所、武に関しては中々、されど…」


「謀には向かぬ、か?」


「おそらく」


 周瑜は陸遜の才を買っている。その為彼の言に間違いはないと見た。


「注意すべきは孔明のみ」


「私もそう思われます」


「分かった。すまんな伯言。持ち場に戻ってくれ」


「は、では」


「うむ」


 陸遜は天幕を出ようとした所で止まり、振り返った。


「どうした?」


「劉公徳。どうなさるのです?」


「答えねばならんか?」


「いえ。失礼致します」


 陸遜は天幕を出ていった。


 残った周瑜は杯を台座に置いた。


「玄徳の養子。利用価値は有る。さて、どう使うか。フフ」






 この赤壁で曹軍と対峙する事一月が過ぎた。


 開戦当初活発に動いて曹軍を翻弄した周瑜ではあったが、戦線は膠着していた。


 それと言うのも曹軍が烏林の陣に籠ってしまい、手が出せない状況に成っているからだ。


 孫呉軍がどれほど挑発しようと一定の距離まで出てくるがそれを越えて曹軍が追ってくる事は無かった。



「これをどう見る。呂蒙?」



 周瑜に大天幕に呼び出された俺と孔明は軍議に参加していた。


 この大天幕には孫呉の名だたる将が集まっていた。


 程普ていふ黄蓋こうがい韓当かんとうら孫堅の代から付き従っていた宿将達。


 その他に朱治しゅち呂範りょはん董襲とうしゅうらが居る。


 他にもまだまだ居るが多過ぎて紹介して貰えなかった。



 そして周瑜に質問された呂蒙は。


「おそらくは河北の兵達の水練を行い、荊州の兵らと慣らしているのでは?」


「うむ。子敬はどう思う?」


 周瑜は隣に居た魯粛に話を振る。


「固く籠っているのは打って出る力が無いのかも知れませんな。おそらく疫病が流行っているのでは?」


「私も子敬の言に賛成だ。しかし、だからと言って我らが優位とは言えないな」


 周瑜は険しい顔をして中央の机に広げられた地図を睨む。


「まともにやり合えば数で劣る我らの不利。敵は陣に籠る事で地の利を得ている。公瑾よ。ここは大胆な策が必要ではないか?」


 孫呉の将の纏め役をしているのはこの場だともっとも役職の高い程普だ。


 彼の発言はこの場でもっとも重いような気がする。



 しかし、俺と孔明はここでは場違いだよな。


 俺達に発言権はない。


 周瑜が俺達に話を振ってくれれば答えるが、そうでなければ発言出来ない。


 この孫呉の将達の俺達を見る目が厳しいのだ。


 先の孔明の策で矢は足りるようになったが、その策の内容を知った孫呉の将が俺達を警戒しているのだ。


「程普殿。まだ策の内容は言えないが決戦の準備を怠らぬようにお願いしたい。皆も同様だ」


「了解した。司令官殿」


「「「はは」」」



 軍議は何も決まる事なく終わった。



 その後大天幕に残ったのは周瑜と呂蒙、魯粛に俺と孔明だった。



「策は既に決まっている」


 周瑜は険しい顔を崩していない。


「火計、ですな」


 孔明の言葉に無言で頷く周瑜。


「だがこの計を行うには足りない物が有る」


 はて? なんだろうか?


「曹軍の内部ですか?」


 魯粛の言葉に周瑜はまた無言で頷く。


 この席では俺は空気に成っている。


 そしてもう一人空気に成っているのが呂蒙だ。


 周瑜の隣に立っている呂蒙を見てみると直立不動だが目が泳いでいる。


 三人の会話に付いて行けてないのが分かる。



 もし俺が呂蒙の立場なら同じような反応をしていたかも知れない。


 しかし俺は歴史を知っているのでこの後の結末を知っている。


 知っているがどういう形でそこまで持っていくのかが分からない。


 だから周瑜からのキラーパスが来ないように空気に成っているのだ。


 もし周瑜からキラーパスが来ても華麗にスルーして孔明にパスするつもりではいる。


 ゴールを決めるのは孔明だ。


 俺は引き立て役でいい。


 と言うか俺に話を振らないで欲しい。


「実は曹軍から文が来ている」


「どなたからです?」


 周瑜宛に文? 誰からだ?


「私と同郷の蒋幹しょうかんからだ」



 蒋幹。確か弁舌家で演義では周瑜の偽手紙を持って帰って蔡瑁さいぼう張允ちょういんらの排除の手助けをしてしまう。


 そして曹操に龐統を引き合わせている。



「ふふ。曹操は周瑜殿が欲しいようですね」


 孔明は羽扇で口元を隠すが目は笑っていた。


「私の忠義は孫呉に有る。無駄な行為だ。だが、これを利用しようと思う。どうかな孝徳殿」


 うえ、来たよ周瑜のキラーパスが!


 しかも孔明が先に答えたからスルー出来ない!


「そ、そうですね。まずはこちらに来てもらってからではないですかね。そう思いませんか呂蒙殿?」


「え、あ、そ、そうですね。その通りです」


 ふふ、俺だけでは不公平だからな。


 ちょっと強引にパスしてみたよ。


「では、そうするとしようか」


「司令官殿。宜しいか?」


 話が終わろうとしていると黄蓋殿が入ってきた。


「どうしましたか。黄蓋殿?」


「うむ。実はな。………」



 その日から周瑜の策が始まった。





 数日後、蒋幹が周瑜の下を訪れた。



 俺は周瑜と蒋幹がどんな話をしているのかは知らないが、周瑜の策は動き始めていた。


 周瑜は蒋幹を伴いある裁きの現場に向かった。


 それは……


「これより周都督に無礼を働いた罪を問い。黄蓋将軍に鞭打ちの刑を行う。宜しいか将軍?」


「構わん。やれい」


 呂蒙は兵に命じて黄蓋を鞭打った。


 それを見ていた周瑜と蒋幹。


「こ、これは一体。黄蓋殿と言えば孫呉の宿将。それを皆が見ている前で鞭を打つとは?」


「ははは。黄蓋は私を臆病者と罵ったのですよ。それを許しては軍の規律を乱しかねない。ですからどちらが上か教える為にああやって鞭をくれてやっているのですよ。年寄りが偉そうに私に説教するからああなるのです。ふふ、ふははは」


 大した悪役ぶりだな周瑜は。


 それになんか実感籠ってる感じがするな。


 なんか嬉しそうに笑ってるし。


 もしかして本当に黄蓋を嫌っていたのかな?



 その後周瑜は黄蓋の鞭打ち姿を見て満足して蒋幹と帰っていった。


 周瑜は帰りも大きな声で笑っていた。


 間違いない。周瑜は黄蓋が嫌いなんだ。



 その夜。



 周瑜と蒋幹は一緒に寝ていたが蒋幹が一人外に出て厠に向かうと、ある兵から小さな竹簡を受け取る。


 蒋幹はそれを見て驚いていたが直ぐに笑みを浮かべて、天幕の中に入っていった。



 俺はそれを後で周瑜自身から聞いた。



 その後蒋幹は何日か陣に止まったが、周瑜の心を動かせないと知って去っていった。



 これで種蒔きは終わった。



 後はそれが育つのを待つのみだ。



 赤壁の戦いは決着に向けて動き出していた。

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