第2話/合議

 柱時計が午後零時を指し、鐘の音が地を這う低さで鳴り響く。

 革張りの肘掛け椅子、職人の手になる家具と調度品の数々。壁の柱は深みのある木肌に蜜が如くの艶を流し、長椅子や卓子の脚でさえ経年の光沢を走らせる。

 全ては輝くシャンデリアの下。計算尽くしの設計、配置の織り成す美しさによって贅を凝らされた談話室は、入口から奥までを見通せる長方形型の造りをしている。塵ひとつなく整えられた絨毯に乗るのは、暖炉から漏れる光と、これを囲む五名の影。

 火が爆ぜた。

 暖炉の傍、熱源から近い順にリーベン、キルベンス、少し離れた位置にヴィルベリーツァ、クディッチと国政を司る為政者が並ぶ。向き合う四脚の椅子が形成する正方形、これを外れてノウェルズが待機していた。

  

「一四日前から出現したグライブの異常について、クディッチ紫書官による解説を経て、種族性管理の観点から今後の対策と方針を決定すべく合議を開始致します」

 

 白髪を結わえた気品ある老女が口火を切る。彼女はこの屋敷の主、グライブにおける実質上の最高権威、サラ・リーベン公爵であった。

  

「クディッチ紫書官、解説を」

  

 リーベンが、老いのために痩せた片手を上げる。指示を受けたノウェルズは窓辺へ向かい、家僕が厚いカーテンが引き、室内に外光を招き入れた。

  

「皆様、ご覧下さい」

  

 窓を隔てた先に広がるのは、白で統一されたグライブの街並み。雪深い地であるが為、注ぐ陽射しの弱さを補うべく制定された景観条例に従い、建築物はどれもが白い外壁で築かれる。反射光によって全体を仄かに輝かせる街は潔癖に美しく、民の誇りとして愛されていた。

 その頭上、垂れこめたる曇天を根として、逆さまの大樹が巨影を浮かびあがらせている。絡み合う枝は微々たる速度で伸び続け、その異容さを遠目から観察するには、逆さの樹とも、氷の血管とも見えるのだった。

  

「解読中の石版には、件の現象と思しき記述が遺されていました。御承知のとおり、グレンツェ語を発すれば凍気が猛り、何が起こるかしれません。ですから、ここでは翻訳を用いることとし、氷の大樹をフリーレンと仮称します」

  

 グライブでは時間帯や気候の変化によって帯状の冷気が生じ、これを凍気と呼ぶ。自然現象の一部であり、凍気の近くでグレンツェ語を発声すると地より氷の棘が生えれば巨大な氷塊が落下するなど、無差別で危険な結果となる。その為、グレンツェ語の取り扱いは慎重を要する。

 曇天の下で暮らす吸血種達は、これまで冷気、凍気の起こす様々な不可思議と付き合って生きてきた。神妙な沈黙のみが、ノウェルズに先を促す。

  

「あの枝が地に到達すれば、グライブの全てが瞬時に凍てつく。全吸血種の死です」

  

 グライブの余命宣告までは、公爵達も事前に理解している。この合議の主題は、対策と方針の決定。


「滅びの期限は二年。通常なら民を国外に避難させるべきですが、如何でしょう。隣国への移送を」 

  

 ノウェルズによる細やかな補足を聞き終えてのち、沈黙を破ったのはカリヴァルドだ。

  

「隣国のヒト種との交渉が決裂した場合は?」

「淫魔は我々の交渉を有利に進める一要素となりましょう」

  

 吸血種の身体能力はヒト種を遥かに上回る。グライブを囲む外壁が築かれる以前、吸血種がまだヒト種と交わって暮らしていた時期に戦が起こり、ヒト種の盟友として吸血種もまた戦列に加わった。その時に齎した圧倒的な勝利は、現在もヒト種の地を他種族の侵略から守る畏怖の防壁として機能している。ヒト種は吸血種の加護を帯びている、と。

 しかし血と死に疲弊した吸血種は、壁を築くとグライブに引きこもった。以後はヒト種との関わり方を変えて、供血に際して接触するのみ、国交は長らく絶えている。こうした吸血種の繊細さを、淫魔は補えるとカリヴァルドは言うのだ。  

 淫魔とは吸血種の亜種である。吸血種以上に高い耐久性を備えており、一世代限りで生殖能力は無い。淫魔は強力な戦力として期待できるが、グライブの中でも長年に渡って秘された存在であり、ようやく社会の明るみに出たばかり。


「吸血種ならば被害を抑えるでしょうが、淫魔に実戦の経験はありません」

「リーベンの懸念は重要です。しかし、最悪を防ぎ、最善を為す、それが種族性管理を担う我々の職責」

 

 カリヴァルドは続ける。


「両国の障壁となるのは言葉の壁ですが、リーベンの教育方針により、一定の教育を受けたものは母語の他、通商語を話せます」

 リーベンが反論するか否かというところを不意の物音が遮る。一同が見遣ると、ノウェルズが姿勢を傾がせ、鼻から血を流していた。続く喀血。顎から下を血染めにしつつ、直立に背を正した女は、皆の視線を窓へと誘導する。

   

「フリーレンに変事あり」

  

 彼女の顎を、拭われぬままに鮮血が滴り落ちる。

  

「直下の隔離域に調査と負傷者の確認を。リーベン公、」

  

 告げた女は次こそ床に倒れ伏し、絨毯に散った銀髪が波紋を描く。窓硝子を隔てた先では、フリーレンの巨大な枝の末端から光の鱗粉が舞い落ちていく。枝が砕け、陽を浴びた欠片が反射に煌めき、公爵邸にまで届いたのだ。

  

「クディッチからも馬車を出します。伝令を」

  

 事態を理解したカリヴァルドが席を立ち、リーベンが首肯で応じる。合議で反発し合った両者は、意見が一致するや迅速な連携を見せた。 

 公爵達の指示を受けた家僕の足音が廊下に慌しく重なり合うなか、意識を無くして血を流す女を拾い上げる腕があった。

  

「よくぞ気づいてくれました、クディッチ紫書官。もう大丈夫ですよ」

  

 ノウェルズを抱き起こしたのは、キルベンス公爵。彼の場合、老いによる肌の乾燥は笑い皺として目元に刻まれており、リーベン、ヴィルベリーツァに較べて柔らかな印象を帯びていた。

 医師でもあるキルベンスが患者を横抱きにして談話室を後にする一方、階下ではリーベン公爵邸の家僕に見送られてカリヴァルドが玄関口に立ったところだ。足元は積雪に白く霞み、灰の空より降り注ぐ雪は雹へと硬度を増していた。

 彼が上向くと、額に触れる直前で氷が自ら砕け散る。グライブに降る雹は大小に選らず、吸血種を傷付けることはない。

 曇天より生まれ、吸血種の額で自滅していく雹。散り際に開花する氷の華はカリヴァルドの頭上で生死を繰り返し、雪の静寂の中、澄んだ音を立てて絶命の余韻を引く。

 彼は睫毛に乗った飛沫を瞬きで落とすと、軽く顔を拭った。革手袋を嵌めた手の暗闇に浮き上がる、倒れた妹の姿。気を逸らすべく、彼は近場に視線を投げる。全くの偶然ではあるが、雪景色に大気の揺らぎを見た。彼は見送りに出ていた家僕達を数歩下がらせる。

 

「キルベンス公爵とクディッチ紫書官の補佐に向かいなさい」

  

 玄関口の上部に連なっていた氷柱の牙が罅割れ、鋭い先端がカリヴァルドと家僕の間に落下する。

 脆くなった氷柱に凍気が触れたが為だろう。凍気はいわば、冷気に在って混じりきらない、とりわけ強い寒気だ。これがフリーレンにどう影響するか、まだ誰も知らない。転がった氷が映す風景は透明に歪み、カリヴァルドの眼前を吐息が白く濁らせる。

 地上との気温差の為に不思議な雹が降り注ぎ、普段に比べて寒さが和らぐのはおよそ二週間。この頃になると、凍礼祭と呼ばれる祭りが毎年開催される。丁度、フリーレンの出現と奇妙な符号をみせていた。

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