第48話 笑っててよ。
本当は。
代わりになんて、なりたく無い。
だけど、貴方が私に振り向いてくれたのは、あの子に私が似ていたからでしょう?
声も顔も年齢も違う。
でも、雰囲気やちょっとした仕草が似ているから。だから、惹かれたって。
付き合ってすぐの頃。
貴方が会社の忘年会の席で、何年も彼女を作らなかったのに、最近になって彼女が出来た事を周りに詰められて。貴方は照れながらも、私との出会いや付き合った理由を語っていた。
私と彼の会社は、違う。
なのに、その彼が語っていたのを耳にしたのは、本当に偶然。私の会社も、同じ店の別の部屋で忘年会をやっていたからだ。
トイレから自分の職場の忘年会が行われている部屋へ向かう途中、大きな声で彼の名が呼ばれるのが聞こえた。
同姓同名かと思ったけど、次に聞こえた声が彼のもので、彼が周りから茶化されながら伝えた彼女の名前が、私の名だったから。
彼だと、確信した。
立ち聞きするつもりは無かったけど、つい自分の話をされている事に、耳を澄ませてしまった。
貴方が酔っ払って言った。
「まぁ、まずは……彼女が、その……。みんなも知ってると思うけどさぁ。俺、ずっと好きだった
続けられる言葉が、だんだんと聴こえなくなる。音が、声が、ショックから、全てを閉ざすみたいに。それ以上、私は聞いていられなかった。
お酒も入っていたせいか、急に目眩がしてきて。私は、そのまま忘年会を途中退席して、家に帰って。
もう、いつ寝たのかも分からないくらいに、後半から何故、こんなに泣いているのかも分からないくらいに、大泣きした。
彼の言葉が、ずっとずっと、私の中でぐるぐる巡って。
このまま付き合っていて、良いのかな。
そんな事が、頭の中を埋めていく。
でも、私はまだ、彼が好きで。別れる勇気が出なくて。気が付けば、そのまま一年の月日が流れた。
それなりに上手くやっている。私達は喧嘩する事もなく、常に穏やかな時が流れている。だけど、私の胸の一番奥には、ずっとあの日聞いた言葉が、小魚の骨みたいに引っ掛かったまま。
それは、ある日突然、喉元へ押し出されて来た。
年末、彼と共にクリスマスの延長でイルミネーションがまだ残っている街路樹の道を歩いている時だった。
「よぉ! 久々じゃん!」
と、彼の職場の同僚が声を掛けてきたのだ。彼は部署異動で、今は一緒に働いていないという。同じ職場であっても、部署が異なるとなかなか合わないらしく、二人はそのまま何やら話しに盛り上がり出した。だが、彼の同僚が私をチラリと気にして「すいません、盛り上がっちゃって」と苦笑いした。
そして、私にもしっかり聞こえる声で、彼に耳打ちをした。
「例の彼女だよな? 上手くいってるみたいで何よりよ!」
「お前……うるせぇよ、本当。余計なこと言うな」
「なぁに? 俺、何も言ってないぜ?」
「白々しい……。もう、お前どっか行け。俺らの邪魔すんな!」
「へぇへぇ、失礼しました。彼女さん、ごめんね? コイツ、末永くヨロシクです!」
「余計なお世話! またな!」
彼が笑いながら、軽く同僚のふくらはぎ辺りを蹴る真似をする。
同僚の彼は笑いながら「良いお年をー!」と言って、去って行った。
「ごめんな?」
彼が私の顔を覗き込んで囁いた。
「え、なに? なにが?」
本当にそう思って彼に言えば、彼が困った様な顔で微笑む。
「なんか、嫌そうだって気がしたから」
「え、いや、全然だよ? 何も思って無かった。ごめん、私こそ。そんな気無かったんだけど……感じ悪かったよね……」
「いや、そんな事は無いよ。うん……」
例の彼女。
その言葉が、引き金の様に私の中の不安を目覚めさせる。
いや。思い出したく無い。でも、私……。
突然、俯いた私に、彼は「どうした? 気分悪くなった?」と慌てて声を掛ける。
「……私……代替品なんかじゃ、ないよ……」
「え?」
「私は、私だもん。誰でもない、私は私だもん……」
「……本当、どうしたの急に……。とりあえず、ここじゃ何だから、一旦、俺の家行こ?」
首を横に振って拒否を示した私を、彼は無言で強く腕を掴んで、彼の家へ連れて行った。
「それで? なに、急に。代替ってなに?」
彼が私の前に胡座をかいて座り、俯いたままの私の顔を覗き込む様に前屈みになる。
顔を見られたく無い私は、ますます顔を下へ。そんな私を見て、彼が深く息を吐きだす。それだけで、私は涙が出そうになった。
「何を勘違いしてるのか分からないけど。俺は、君を誰かの代替なんて思った事はないよ?」
優しい声色に、私の目は遂に涙の波が押し寄せる。話したくても、声が出ない。嗚咽だけは、漏れるのに。
「……きいた、の」
「ん? きいた? 何を?」
「きょね……ぼう……かい……元カノと……にて……るって」
私の途切れ途切れの言葉を、必死に聞き取った彼は暫し黙り、再び深く溜息を吐いた。
「なんで、知ってんだ……」
独り言の様に呟いた彼の言葉に、私の胸の奥がズキリと痛む。冷んやりとした手で、私の心臓を掴む様に、その言葉が私の身体を硬直させていく。
固まった私に気が付いたのか、彼が私を抱きしめた。
服越しに彼の温もりが伝わって、私の涙はどんどん溢れて。彼の胸に耳が押し当てられ、鼓動が聞こえる。落ち着いた鼓動に、彼の声が響く。
「代替なんて、思ってないよ。……確かに、最初は俺が好きだった
「でも……」
「最後まで聞いて」
「……」
コクリと頷くと、彼が私の頭をゆっくり撫ではじめた。落ち着かせようとする、その手に、私はまんまと釣られ、私の心臓の冷えが雪解けみたいに、
「君の物の捉え方とか、笑いのツボが一緒だとか、君が言った何気ない一言がめちゃくちゃ響いてさ。もっと、この子を知りたいと思った時には、好きだった女性の事はもう頭には無かったよ。俺が好きになったのは、君だ。君自身だ」
嘘のない言葉だと、信じる事が出来たのは、きっと彼の心臓音を聞きながらいたから。
心臓音と彼の声が間近に聴こえて、私の身体が内部から包まれた感覚になって。
彼の言葉が、素直に受け止められた。
「……うん」
「信じてくれた?」
「……う……ん」
「じゃあ、顔見せて?」
彼が私の背中に回していた手を、私の両頬に持ってくると、そのまま顔を上に向かせた。
「ひっでぇ顔」
そう言って、困った様に笑う彼。
「ひどい……」
「うん。ごめん」
親指の腹で涙を拭いながら、彼がキスを落とす。ゆっくり、優しく、慰めるように。
もう大丈夫だと、そう伝えるように、何度もキスを重ねる。
「ごめんね、ありがと」
やっと、声を出せた私に、彼は優しく微笑む。
「信じてよ。俺のこと」
「うん……」
「それから、これ、いっちばん重要な事なんだけどさ」
「ん?」
「元カノじゃないから」
「え……」
「しかも、人間でもないから」
「……へ?」
「Vtuberのレナちゃんっていう子で、当時、ハマってただけだから」
「……」
仄かに顔を赤くさせ、どこか拗ねた表情の彼は、私に「わかった?」と口を尖らせ訊ねた。
私は、思わずポカンと口を開けて驚いていると、彼が私の鼻をキュッと摘む。
「あ゛!」
「うははははは!」
「びどい゛!」
「うひゃひゃひゃひゃひゃ」
彼が私の鼻を摘んだまま大笑いしてるのを見て、私もだんだん可笑しくなって笑い出す。
「やっと笑った」
「……」
「ずっと笑っててよ。ずっと。君の笑顔が好きなんだ……」
「うん……」
私が素直に頷けば、どちらとも無く近寄って。
私達は、暖かで優しいキスをした。
×××
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