第25話 恋人になるという事は


 僕は今、目の前に座る惚けたアホ面の親友を白眼で眺めている。

 ずっと自分の唇をフニフニと指先で触れてはニヤける。を、繰り返している親友は、昨日、初めて出来た彼女と初キスをしたそうな。

 それを僕に、顔をニヤつかせながら報告をしたかと思うと、ずっとこの調子でいる……。


 僕は机に肘をたてて頬杖をつき、かれこれ15分、この無駄な時間を過ごしているのだ。


「……あのさ」


 僕は堪りかねて声を掛ける。


「なにぃ?」

「なに? じゃないよ。思い出しニヤつきほど気持ち悪いモノは無いって、知ってた?」

「何の話だよ」

「お前の話だよ」

「え? オレ、ニヤついてる?」

「さっきから! ずぅぅぅっとな!」

「ごめん、幸せが滲み出過ぎてて」


 ヘラッと笑う親友を、僕は目を細め見つめる。そんな僕を見て、親友は「知ってるか?」と、いつもと明らかに違う、ふやけた声を出す。


 なんか……嫌な予感。


「……何をだよ……」

「男の嫉妬は、見苦しいだけだってことを」


 ……空いた口が塞がらない……


 とは、こういう事か……。


「……お前の幸せが長く続くことを祈ってるよ」

「ふふふっ。お前の幸せが一日も早く訪れる事を願っているよ」

「そりゃどうも」

「おっ。噂をすれば、俺の愛しい彼女から連絡来たぜ。委員会終わったみたいだから、俺、もう行くわ」


 今日は彼女と帰るから、またな、と言いながら教室から出て行く親友の後ろ姿を見送る。

 人は浮かれると歩き方までフワフワとするのか……。まるで今にも踊り出しそうな足取りで去って行った親友が見えなくなってから、僕は深く長い息を吐き出した。

 息だけを吐き出した筈なのに、喉の奥から「あ゛あ゛あ゛ーーーーーー」と濁った声が漏れる。


「なになになに? 今、変な声、聞こえたんだけど!」


 教室のドアの前で怯える様に立つ、クラス委員長。

 モデルかってくらい、スラリと背の高い美人。同い年のクラスメイトが幼く見えるくらい、大人びた顔付きとスタイル。なのに、全然鼻にかけた所が無いから、男女問わずモテる女子生徒だ。


「ああ゛……委員長か」

「な、何よ。なんか、戻って来ちゃダメだったかしら……」


 僕は死んだ目を益々細め「いや」と呟くと、机に顔をうつ伏せる。


「ど……どうしたの?」


 恐る恐るといった感じに、委員長が僕の席の近くまで来た。


 僕はしょぼくれたままの顔をくるりと委員長に向ける。


「親友が幸せに浮かれまくって帰って行ったから、同じ電車に乗りたくなくて時間潰してるの」


 委員長は「親友……」と呟くと、思い出した様に「そう言えば、リコちゃんと付き合ってるんだっけ?」と親友の彼女の名前を言い、一人何かを納得する様に「なるほど」と言いながら数回頷く。


「じゃあ、時間潰しに付き合ってあげるよ」


 思いがけない申し出に、僕は勢いよく顔を上げ、委員長を見上げた。彼女は、さっきまで親友が座っていた僕の前の席に座ってにっこり笑う。


 うう……眩しい……。


 憧れでもある委員長が目の前に座っただけで、目が開けなくのでは、と思うほど瞬きを繰り返す。


 そんな僕を見て「ちょっと、大丈夫?」と笑う声が……か、可愛すぎる……。

 一人心の中で悶絶していると、委員長は何やら一人で話出したが、僕はほぼ聞いていない。コロコロ変わる彼女の表情をぼんやり眺めて……気が付けば、彼女の艶やかな唇を見つめていた。

 柔らかそうで、ぷるんとした綺麗な形をした唇に、目が奪われる。


「……って、聞いてる? 本当、大丈夫? どうしたのよ?」


 委員長が僕の目の前でヒラヒラと手を振る。ハッとした僕は、再び忙しなく瞬きをして「ごめん」と口の中で消えてしまう様な小さな声で謝罪をした。


「何かあった?」と親友の名前を出す彼女。

「いや……別に特に何も無いよ」

「親友が、取られちゃったぁとか、そんな感じ?」

「はぁ? んなもんねぇよ」

「じゃあ、どうしたの?」

「いや……まぁ。その。色々あるよ。彼女出来るとさ。色々あんだよ」


 僕は頬杖をついて小さく息を吐き出した。


「キミは彼女作らないの?」

「モテないもんでして」

「そんな事ないでしょ」

「そんな事ありますよ」

「私はキミのこと嫌じゃないけどなぁ」

「じゃあ委員長、僕の彼女になってくれる?」

「え?!」


 僕は、どこか投げやりに言った自分の言葉に自分で驚き、後悔する。彼女の、あり得ないとでも言いそうなくらい大きな瞳を見開き僕を見る。


「ほら、無理だろ?」


 自分で付けた心の傷に、自ら塩を塗る。

 

 僕は、両手で頭を抱える様にして顔を下げる。

 彼女の顔を見れないから。


 ほんの数秒だったと思うけど、僕には果てしなく感じた沈黙を破ったのは、彼女だった。


「……いいよ」

「え……?」


 僕は空耳かと思い、顔を上げ聞き返す。

 目の前には、耳の先から首元まで真っ赤に染まった彼女が居て。


「だから……。付き合っても、いいよ」

「……え?……えっと……どんな意味か、わかってる?」


 混乱した事により、僕の方が意味が分かってない気もするが、敢えて問うと。


「わかってるわよ! 私の彼氏になってくれるって事でしょ?」


 マジかっ!!!


「え、ちょっと待って、落ち着いて委員長! あのね、彼女になるって事はだよ? 一緒に帰るとか、手を繋ぐとか、そう言う事だよ? 分かってる?」

「わかってるってば」

「じゃあ聞くけど、僕がキミにキスしたいって言ったら、出来るの? そういう事だよ?」


 その問いに、彼女は大きな瞳を更に大きく見開き、これ以上、赤くなれないんじゃ無いかというくらい赤くなった顔で僕を見つめる。


「キス……したいの?」

「……あ、」


 僕、なんてこと言ってんだ。混乱し過ぎだろ。


 僕は口を一文字に閉じて、生唾を飲み込んだ。と、同時だった。


 僕の目の前が彼女の目を閉じた顔いっぱいになったのは。

 触れるか触れないか、一瞬。幻の様な柔らかな何かが唇に触れると、彼女が離れて行く。甘い香りを残しながら。


「これで、いい?」


 上目遣いで僕に問いかける仕草が、僕の心臓を抉る。僕は、グッと強く一度。目を閉じて、すぐに開くと彼女の手を取った。


「だめ。足りない」


 手を引き寄せ、今度は僕からキスをする。


 初めてにしては、上手くできた。と、あり得ない動き方をしている心臓とは裏腹に、そんな事を頭の隅で考える。


 ゆっくり離れて、お互いのおでこを付け合わせ見つめる。


「嫌じゃない?」

「……」


 小さく頷く彼女に、僕は自然と笑みが溢れる。


「好きだよ、委員長」

「うん……。ありがとう」

「委員長は? 僕のこと、好き?」

「……好きじゃなきゃ、こんな事しないよ」

「そっか」


 僕らは、おでこを付けたまま二人で笑った。




 翌朝、親友に何故か朝イチ拳骨を食らったのは解せない……。



×××


 

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