男は血の匂いが漂う街を歩いていた。

　空は鉛のように濁り、下を見れば石畳に血が飛び散っている。

　周りを見ると、様々な物が転がっていた。弾薬や瓦礫、鉄の破片……そして死体。

　顔が判別出来ない男の死体、黒光りの装甲を砂と血で汚した死体、体中が炭化した死体。有象無象の骸が辺りを埋め尽くしている。

　辛うじている生存者も一種の恐怖を感じてしまう程に、敵味方揃って目に生気を感じない。

　……正に地獄のような光景がそこにはあった。

　凄惨な光景を一瞥すると、男は一直線にとある建物の壁へ歩いて行く。

　その先には一人の軍人が、壁にもたれかかるように、それも力無く座っていた。

　彼の胸や腹の装甲に穴が開いており、とめどなく血が溢れ出てかなり酷い状態だ。

　彼は顔を覆うほどのヘルメットを、最後の力を振り絞るようにゆっくりと外す。

　見えたのは人間とは遠くかけ離れた、醜悪な顔つきの緑色の怪物。

　いわばゴブリンと呼ばれる亜人種の顔だ。

「ジャックか」

　怪物は見上げると男の目を真っ直ぐ見つめ、口角をニヤリと上げながら彼の名を呼ぶ。

　怪物の呼びかけに対して男……ジャックは何も言わず彼を見つめる。

　ゴブリンは精一杯元気そうにふるまっているが、吐血の頻度が高く、もう先は長くなさそうだ。

「……」

　ジャックは何も言わずにゆっくりとしゃがみ込むと、装甲から開いた穴を見つめた。

　血はとめどなく出ていて、生き永らさせる術（すべ）は限りなく無い。

　死に体だ。にも関わらず男は咳き込むように笑うと、ポケットからあるものを取り出した。

　……銀色に光る拳を模ったペンダントを。

「やるよ」

　ゴブリンの男は軽い口調ながらも、震える手でペンダントをジャックに差し出した。

「オーダーメイドだ……高く売れる……」

　ジャックがそのペンダントを貰うと、ゴブリンはまた咳き込むように笑う。

　そして差し出した手を、ゆっくりと、力なく落とし――遂には何も喋らなくなった。

　呼吸音もしない。眉やら口、全てが全く動かなくなっている。彼は死んだのだ。

　力尽きた彼の表情は少し笑っていて、いい夢を見ているように思える。

　ジャックは彼の最期を看取ると何も言わずにペンダントを見つめた。

　見つめていく内に視界が何かの声と共にボケて、暗くなっていき――。

――――――

「……ろ……起きろ」

　若い男の声と共にジャックの意識が覚醒していく。

　それと共に感覚も蘇り、隣から男が雑に小突きながら呼びかけてるのに気付いた。

　声に促されるままに目を開けると、そこは閉塞的な車の中だ。

　夜なのか車内は暗い。窓から刺す蛍光灯やネオンの光で辛うじて姿形が見えるほどだ。

「おまえな、こんな時に寝んじゃねえよ、夢見てんのかなんか知らねえけど……」

　隣の男からは苛立ちを含んだ声で注意される。ガラが悪いが、よく通った声だ。

『皆さん、今の世の中がホントに良くなった……ホンッットオに良くなったと！　胸を張って言えますか？？』

　一方、ラジオに耳を傾けるとやり場の無い怒りの声が聞こえてくる。

　双方からも怒りの声が聞こえる訳だが、ジャックは気にも留めずに窓の方を見た。

　……繫華街だろうか、ネオンの光が二階建ての建築群を鮮やかに彩っていた。

　横一列に並ぶ建物の壁には血が飛び散っており、血まみれのまま倒れる男が見える。

　道路は舗装が全くされていない土の道で、染み付いた血の跡が度々ある。

　そんな光景を映す窓にはもう一つあるものが映っていた……ジャックのツラだ。

　一見すると三十代の頃の短髪のジャン=クロード・ヴァン・ダムにどこか似ている。

　しかしながら哀愁が漂っていて、眼に光はない。

『確かに百数年前は頻拍した生活、数多くの国や村での一般人に対する差別、そして亜人種との数十年に渡る戦争等、様々な問題点がこの世界にはありました』

　車の方へ視線を戻す。

　隣ではジャックを起こした男が側頭部に指を当て、鋭い目で周囲を見回していた。

　デコを微かに隠すようなハンサムショートの髪形、尖った耳、そして身長百八十センチ程のエルフの男だ。

　ネオンの光に照らされた顔は所々傷が確認できるが、それでも隠し切れない程の美形だ。

　ラフな服を着ても分かるほど体には無駄な筋肉がなく、完璧なくらいに鍛え上げられている。

　そんなエルフが側頭部に当てている指は黄緑色に鈍く光り、時々点滅していた。

　まるで"探査魔法ですよ"と言わんばかりに。

『ですがそれらの問題点を、何処からか来た転生者達が一気に解決したわけです』

　前を見るとコートを雑に着て、髪がぼさぼさな男が運転しているのが見える。

　バックミラーからは髭面で偏屈そうな顔立ちが見えていた。

　男はエルフと同様に周囲を見ているが、その筋の経験者なのだろうか奴よりも無駄な動きが無い。

『ですが考えてみてください。戦争、なくなってますか？　犯罪、減ってますか？』

　ラジオからの音声にも一切の反応を示すこと無く、エルフと髭面は何かを探し続けていた。

「右の酒屋、サメの奴です」

「おう」

　さて、探す内にエルフは目的の場所を見つけたようだ。

　エルフの謎の言葉に髭面が応えると、横にあるケースから銃を取り出した。

　エルフも同様に座席の下から銃を取り出し、腰のホルスターへと刺す。

　そして側頭部に当てていた指を離すと、指の鈍い光が消えていった。

『誰でも銃を持てるようになったせいで、銃撃事件が多発し始めたじゃないですか！　しかも犯人はどれも一般人ですよ……！』

「ジャック、お前銃持ってるか？」

　相変わらずラジオでの訴えを無視し、エルフの男は確認を取り始めていく。

　ジャックはエルフの男に銃を見せると、他二人と同様にホルスターへと刺し合図を待った。

　エルフが言っていた酒屋は少しボロいトタンの二階建てだ。

　真ん中辺りにサメをあしらった看板があり、扉の前では如何にも育ちが悪そうな、異様な男たちが二人立っていた。

　肌はマリンブルーの鱗に覆われ、頭部や腕に魚の要素(ギョロ目、エラ、ヒレ)を持つ亜人種、魚人の男達である。

『そして今のユニティア合衆国の政治家の七割が転生者の出自の奴ばかりだ！！　元からいた俺達純粋種が付け入る隙なんぞ無い！！』

「……これまで何回も言ってきたが、仕事で使うのはこれ（・・）だけだ」

　髭面は不意に右手をハンドルから離すと、しっかりとした握り拳を作り、後方のジャック達に徐（おもむろ）に見せつける。

「銃はもしもの時の奴だからな、先に撃ったら警察のお繩になっちまう」

　髭面が脅すように言うと、雑に車を路肩へと止めた。急に止まったせいか彼等の体は少し大きく揺れる。

「ったくよぉ、警察がな、俺達に、依頼したってのに、クソッッ」

　乱雑に止めた髭面は愚痴を漏らしながら、ラジオの電源らしきボタンに手を掛け、

『しかもその七割は無能！汚職！更には前世がテロリストのクズもいたりする！　この国は闇に満ちあふれ[ﾌﾟﾂｯ]――』

　怒気に満ち溢れたラジオの声を強引に切り、車を勢い良く出ていった。

　何時の間にか髭面のホルスターには銃が刺され、手にはブロンズの鈍く光る警棒が握られていた。

　エルフとジャックは髭面に続くように車から降りると、肩で風を切って歩き始めた。

「あの紙（・）は？」

「ポケットの中です」

「依頼主はなんて言ってたっけ？」

「大丈夫な範囲で好きに暴れろと」

「そうかい、そうかい……偉そうに」

　彼の問いかけにテンポ良く答える続けるエルフ。

　数度の会話を経て髭面は豪快に舌打ちをかますと、肩を回し、酒屋へ意気揚揚と歩き始める。

　髭面は酒屋の男達を微かに睨み、初老とは思えない若々しい早歩きで彼らへと迫ると、

「H E E E E E Y ！！！！」

　初老の人間とは思えないほど張りのある大声で叫んでいった。

　髭面の余りにも五月蠅く、そして突然な呼びかけに一瞬驚く魚人のヤンキー達。

「なんすか」

　だがその内一人は直ぐ様返答、鬱陶しいコバエを見るような目で三人を睨みつけた。

　そんな彼に対し、髭面は持っていた警棒を握りしめ

――奴の側頭部へ思いっ切り降り抜いた。

　予備動作も無く繰り出された攻撃を喰らい、魚人は鈍い音と共に横に吹っ飛んでいく。

　もう一方は呆然としながら見ていて動く気配がない。

　その隙をつき、エルフはもう一人の喉元へ、素早い掌底をお見舞いした。

　こちらもまた鈍い音が鳴ると、彼は声にならない悲鳴を上げ、苦悶の表情で倒れこんでいった。

　それを見た三人は何事もなかったかのように、酒屋へと入っていった。