二十九人目 灰色

 あ、聞いて欲しい怪異があるんですよ。

 分かっています。印刷した原稿は後で読みます。先に話を聞いて欲しいんです。

 これは伝え聞いた話なんですけどね、原稿用紙だった時代です。とある作家さんの原稿用紙が、ある時から灰色のインクで書かれるようになったんです。

 最初こそ、こだわりのある人なのだろう、と気にしていなかったらしいんですけどね、その作家さんに言われたらしいんですよ。

 君、私の原稿を灰色のインクで書き直しているということはないよね? と。

 馬鹿な、と思うでしょう。私も思いました。

 勿論、その編集者はそんな手間をかけた悪戯する訳がないでしょう、と返したんです。

 そしたら、作家さん、おかしいな、と青ざめているんです。話を聞いてみると、真っ黒なインクで書いてるらしいのですが、出して戻ってくると、灰色のインクに変わっている。

 それが不気味でならなかったんだそうです。

 編集者も不気味に思って、受け取った原稿用紙をその場で確認したんだそうです。

 確かに真っ黒なインクで書かれている、と確認して、会社に戻るとあら、不思議。

 そう。灰色のインクなんです。変色するインクなのかと最初は疑ったのだそうですが、使っているインクは確かに真っ黒なインクで、相当に変色するものではないんです。

 ただ、その時からなのか、いつからかその作家さんの書くものは灰色に変わるようになってきたんだそうです。

 年賀状すら灰色です。灰色って弔事の時に使う色でしょう? あの人は一体なんだ、と大御所からお叱りの声があがりまして。

 おかしいな、と思ってるうちに、その作家さん、突然、筆を折りましてね。そのまま引退されました。

 ここからなんですけど、聞くところによると、なんと言ったらいいんでしょうね。盗用していたらしいんです。

 これね、曖昧なんですよ。盗用も盗用というか、いや、似てるな? くらいの。

 ただ、あまりよろしくない盗用の仕方であったのは確かです。盗用された作家さんがね、別の作家さんに悩みをこぼしているのを、担当編集者が聞いていたらしいんですよ。

 盗用というには、黒ではない。こういう題材は珍しいものではないから、そこは気にしていないんだ。だけど、彼がインタビューで影響を受けた、と言っているのが、どうにも引っかかる。私にとっては、彼の書いたものは実によろしくない題材だからこそ、悩むんだ、ということをとある純喫茶で聞いたそうなんです。

 で、確認したそうなんですけど、確かにその方の影響を受けた、と取材に答えているんです。

 ああ、その影響を受けたと言われてる作家さんの名前は出せません。

 ただね、影響を受けた、と言われるのは嬉しいかもしれないんですけど、その筆を折った作家さんの書かれる作品というのがですね、ちょっと、人を選ぶ作品なんです。時代が時代なら発禁の可能性のある描写、とだけ。すいません。あまり言いたい内容ではないんです。

 例えば、妻が夫の看病してる物語に影響を受けて江戸川乱歩の芋虫のような作品を書きました、みたいな。例えが悪いですよね。すいません。でも、芋虫って人を選ぶのは確かでしょう。

 そんな感じで作風をがらりと変えているので、類似性はないと言えばないんですよ。

 ただね、影響を受けたという言葉はまずい。

 で、影響を受けたと言われる作家さんは、好みの差こそあれど、人を選ぶ作品ではないんです。

 それでも、影響を受けた、という言葉って筆を折った作家さんの作品を読んで嫌だな、と思った人が、影響を受けたと言われる作家さんの本を手に取らない可能性が高い、危険な言葉でもあるんです。

 だって影響を受けた、というのはそういうことですからね。人を選ぶ内容が書かれている、と認識する人は少なくありません。

 これが人を選ばないものだったら、また、という話ですが、芋虫、ですからねえ。実際に発禁になっていますからね。あれは。

 その作家さんは、かなり悩まれていたようでしてね、それでも小説を書いている以上、仕方ないね、と。

 そういう話をたまたま聞いてしまった編集者がね、またおしゃべりな人でね、ちょっと広まってしまったんです。

 そしたら、別の作家さんから、気のせいじゃなかったんだ、と声があがるようになったんです。

 で、その方々の声によると、盗用というには黒ではない。問題がないからこそ、何も言えなかったんだと。それでもあの人の書く題材が題材だけに複雑であった……と、全員、似たようなことを言うんです。

 まあ件の作家さんが筆を折りましたから、この話はおしまいでした。

 その何年後かです。差出人不明の原稿用紙がとある編集部に送られてきたんだそうです。

 その作家さんの字だと分かるものだったのですが、事情を知ってる人は、ため息を吐いたんだそうです。

 まだ、灰色なんだね、と。

 今も不思議な怪異のひとつとして、語られています。

 で、こちらが先ほど、黒で印刷したはずの原稿なんですけど、グレーのインクなのは、どういうことだと思いますか……?

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