第3話「正体」

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「わたくし、こういう者です――おや、名刺が――ああ、すでにお父さまのスーツの内ポケットに忍んでしまっておりました。忍者の名刺は忍者ということで、ひとつ」

「五十郎くんは類稀たぐいまれなる才能をお持ちです。是非とも、国立忍学校にご入学いただきたい」

「当校の誇る、最高の教職員と最新の設備による二十四時間体制の教育システムをもってすれば、五十郎くんの才能の種から素晴しい草を生やすことが可能です。卒業する頃には、警察官僚のキャリアパスがひらけていることでしょう。安定です」

「当校の退学率は〇パーセント。卒業後の就職率は一〇〇パーセントです」

「風の噂にそよがれたことはあるかと存じますが、もちろん、学費をご負担いただく必要はございません。全寮制ですが、生活費も不要です。五十郎くんのような神童だけを対象とする国家事業ですからね」

「五十郎くんを国立忍学校にお預けいただけませんか?」


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 体育の授業中のことだった。


「つぎ」


 屋内グラウンドで、少年たちがふたり一組となって列をなしている。一組ずつ順番に、『先生』に近接戦闘を挑まされているのだ。


「つぎ」


 ふたりのうち、どちらかが先生の体に一度でもふれることができれば、その組は列から抜けられる。ふれられないままふたりとも倒されれば、また列の最後に並ぶ。一組として抜けられないまま、授業は続く。列は回る。


「つぎ」


 やがて、列が崩壊した。一組として立ち上がれなくなったのだ。『つぎ』のふたり――五十郎と、彼の相手もそうだった。

 五十郎は立ち上がろうとして、地面に手をついた。彼の相手はうつぶせに倒れたままだった。五十郎は彼を励まそうと、手を伸ばした。


「立てとは申さぬ」


 先生が言った。五十郎は一抹の期待を持って、顔をあげた。やっと終わるのか?


 先生はいつのまにか、五十郎の相手のまえにいた。そして、五十郎の相手の後頭部を踏んだ。彼の頭はなんの抵抗もなく、スイカ割りのスイカみたいに割れ、汁を散らしながら砕けた。五十郎が伸ばした手は真っ赤になった。


「立たねば死ぬまで。それが忍者の習い」


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「うおおおおおお!?」


 視界が一八〇度縦回転してやっと地面が見えてから、五十郎は、自分が無意識的にネックスプリングで起きあがったことを自覚した。そして、高熱を発したときのように汗をかいていることを。

 嫌な夢――大人の都合で入学させられた、忍学の忌まわしい記憶であった。

 あのとき先生に砕かれたのは、同級生――もう、顔も名前も憶えていない――の頭だけではなかった。同期全員の仲間意識や互助精神も砕かれた。他人を助けようとしても無駄だし、自分も死にかねない。以来、五十郎たちは全員、孤独な『学校生活』を送ることになった。おそらく五十郎たちだけではなく、これまでの卒業生も、これからの在校生もみな、そうなのだろう。

 五十郎は卒業前後を問わず、倒され意識を失うたびに、このときの記憶がフラッシュバックするのであった。ここ数年はそもそも倒されることがなかったから、ご無沙汰ぶさたであったが……


 ……してみると、いま、おれは倒されて意識を失っていたのか? 一体、誰に?


 忍者装束はスーツに戻っている。『忍法変身遁しぇいぷしふとん』が解けたのだ。その事実が、五十郎が倒されて意識を失っていたことを裏付けた。

 彼は辺りを見回した。すぐそばで、幼児のように小さな男の焼死体がくすぶっていたが――どうやら、それほど時間は経っていないらしい――ほかには猫一匹いなかった。


「いやいや……いやいや、まさか!」


 五十郎はかぶりを振った。手も振った。疑念という名の蝿を払うように。


 祇園だかなんだか知らないが、この天堂五十郎ともあろう者が、あんな少女におくれを取るはずがない。きっと、もうひとり用忍棒がいたのさ……


 ともあれ、死体のそばに長居は無用。警察やPNC(Private ninja company(民間忍事にんじ会社)の略称)と鉢合わせたら面倒だ。もっとも、被害者は天然者だから、警察は事件として扱わないし、PNCも死体を片付けるだけであろうが……

 こんなことを考えながら、五十郎が歩きはじめ、i窓あいまっどの通知をオンにしたとき、ちょうど半透明の情報ウインドウが目のまえにポップアップした。

 鈴木からの通話のリクエストだ。


「首尾はいかがですか?」


 歩きながら応答すると、いけしゃあしゃあとたずねてくる。

 打ち合わせのときに鈴木が見せた写真は、あきらかにターゲットを誤認させようとしたものであった。文句のひとつも言ってやりたいところだが――


「用忍棒はひとり殺した」


 五十郎が勝手に勘違いをしたと言われればそれまでだし、見抜けなかった五十郎にも落ち度はある。それに――


「つまり、祇園はがされたと……では――」


 もはやターゲットを誤認したことなど、どうでもよかった。


「つぎは逃がさん」


 子どもとて容赦はしない。大人とか社会の都合で命を狙われているのかもしれないが、それより大事なことがある。やつは、このおれを侮辱したのだ。そうとも!


「……つぎ?」

「つぎだ。つぎこそ祇園を殺す! もう種は割れた」


 忍学で――あの地獄の日々で鍛えた力を馬鹿にされたまま、引き下がるわけにはいかぬ! 


「わはははは!」


 情報ウインドウから、砕けた笑い声がした。鈴木の声ではあったが、まるで別人のようであった。

 鈴木はひとしきり笑ってから、


「よござんす」


 古風な言い回しで承諾の意を示すと、元の調子で告げた。


「祇園は今日も、午後六時三十分頃に例の路地を通り抜けると思われますので、よろしくお願いいたします」

「は? 昨日の今日でか? 用忍棒も失ったのに?」


 五十郎は思わず声をあげた。暗殺されかかった人間のとる行動とは思われぬ。普通は行動を変えるものではないのか。

 すると、鈴木はなんでもないようなことのように答えた。


「申しあげたでしょう。祇園の暗殺は何度か失敗していると」

「なんだと……?」


 確かにそう聞いてはいたが、まさか同じ時刻、同じ場所で失敗を繰り返しているとは夢にも思わなかったので、五十郎は言葉を失った。つまり祇園は、同じ時刻、同じ場所で何度も暗殺されかかっているにもかかわらず、その時刻も場所も避けていないことになる。一体なぜなのか?


「では、吉報をお待ちしております」


 五十郎がそんなことを考えているあいだに、鈴木は音声通話を終了させた。

 五十郎は、きらびやかな銀座の裏通りに出た。振り返る。ここからでは、あの『まっすぐな路地』は見えない。すべてが春の夜の悪夢のごとく思われる……なんらかの忍法にかかったのではないか?

 だが、夢でも忍法でもないことはあきらかだった。五十郎の忍者の嗅覚が、『まっすぐな路地』のほうからただよってくる、焼けた人肉の臭いを嗅ぎつけたからには。




 翌日の午後六時三十分! 中央区銀座の『まっすぐな路地』に身を潜めた五十郎は、例の『銀座に勤める会社員の何某』が雑居ビルの勝手口のドアをあけ、そのなかに消えるのを待ってから、時間どおりに歩いてきた祇園に襲いかかった。

 その瞬間、五十郎は勝利を確信した!

 辺りに用忍棒が忍んでいる様子はなかったし、五十郎が姿をあらわしたとき、祇園が驚いた顔をしたからだ。五十郎にとって見慣れた、暗殺される人間がすべき顔を。

 しかしそのつぎの瞬間、なぜか五十郎の視界は回転していた。

 その原因が、いかにしてかは不明でありながらも、『何者かに投げられた』ことだと気づいたときにはすでに、五十郎は受け身をとっていた。

 だから、今度は五十郎の視界は暗転しなかった。

 だから、五十郎は見ることができた――彼を投げ、いままさに残心を取っている者の正体を。見るまでもなく消去法により頭ではわかってはいたが心が決して認めたくなかったその正体は、当然のことながらあの少女――祇園であった!


 こ、このガキ――


 だからか! だから昨日、おれはこいつの質問に答えちまっていたのか! おれはこのガキに『忍法五車ごしゃの術』を使われていたのだ! お、お、おのれ!


 五十郎は屈辱のあまり叫び声をあげそうになったが、叫べなかった。なぜならそのとき、彼は祇園による追撃の蹴りを受け、サッカーボールのように飛び、カエルみたいに壁に叩きつけられて失神していたからである。




 数十分後!


「これはこれは、天堂さん。ご連絡がないから、心配いたしましたよ。首尾はいかがで――」

「あのガキは一体なんなんだ!?」


 意識を取り戻した五十郎は、中央区銀座からビルの屋上を飛石みたいに渡りつづけて、新宿区歌舞伎町の例の雑居ビルのまえで着地、狭いエントランスからなかに入り、鈴木の事務所のドアをノックせずにあけ、タブレット端末を操作していた鈴木を追及していた(本当は窓を蹴破って鈴木の事務所に侵入してやりたかったが、一応依頼人なので、さすがに踏み止まった)。


「あのガキとは?」


 鈴木がタブレット端末を事務机に伏せながら問う。


「祇園に決まっているだろう! 忍者じゃあないか! なぜ黙っていた!? やつは何者なんだ!」

「聞かれませんでしたから、ご存知だとばかり……」


 すまし顔で言ってから……鈴木は首をひねった。


「……え? しょ、少々お待ちください」


 左手をかざし、目を閉じて、人差し指で右のこめかみをぐりぐりしはじめる。

 五十郎は腕を組み、右爪先を忙しなく上下させながら待った。

 やがて鈴木は、とても気まずそうに眉を八の字にして、


「……もしかして、ご存知ない? 祇園で、忍者ですよ?」


 と言った。


「さっきからそう言ってるだろ!?」


 五十郎は激昂げっこうして事務机を叩いた。机の上に置かれたタブレット端末が驚いたように飛びあがる。そしてなぜか、椅子の上の鈴木も飛びあがった。


「わはははははははは!」


 いや、飛びあがって見えるほどに、大きくのけぞったのだ――笑いすぎて。

 五十郎は予想外の反応にひるまざるをえぬ! 鈴木は背も折れよとばかりにのけぞったままひとしきり笑うと、両足を高々とあげ、事務机の上に落とした! 机の上に置かれたタブレット端末が驚いたように飛びあがる!


!」


 それは忍者の別称たる『草』と、ネットスラングたる『草』を掛けた忍者スラング! 忍者に対する最大級の侮蔑である!


「祇園をご存知ない!? 忍学で習わなかったのか!? 首席が聞いて呆れるな!」


 今度は五十郎がのけぞる番だった。ただし、笑いすぎたからではない。鈴木の豹変ひょうへんぶりにたじろいだからだ。

 その様子を肯定こうていととったのか、鈴木は、どこからか取り出した教鞭きょうべんの先で逆の手をポンポンと叩きながら、


「なら、補習をしてやろう」


 と笑った。


「ほ、補習だと……?」


 復唱が精一杯の五十郎に、鈴木は鷹揚おうように頷いた。


「しかり、しかり……どうやら忍学では教えてくれなかったらしい、歴史の補習だよ……」

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