21.診断結果
結論からいうと、レイチェルは洗脳魔法をかけられていた。それも一年がかりでかけられた、大掛かりなものだった。
「随分と手が込んでいるね。というか、そうでもしないと弾かれる可能性があったんだろうね」
「弾かれる?」
思わず聞き返してしまったのは、アンジュだった。レイチェルは自身に魔法がかけられているなど、思ってもみなかったことで、呑み込めずに放心している。
「魔導部隊に入れるくらいに魔力量が高いと、身体に異常をきたす魔法は弾かれてしまうものなんだ。そうされないよう、工夫をしていたようだ。恐らく結構な期間、時間をかけて魔法を何度も重ね掛けしていたのだろうね」
レイチェルに向き直った医院長は、探るような視線で問いかけた。
「さて、レイチェル補佐官。もう少し詳しく話を聞きたいのだが……出来れば軍の関係者にも話を通したいと思うのだが、どうだろう?」
その言葉に、レイチェルがビクリと肩を震わせた。それを見逃さなかったアンジュは、医院長に不安を吐露する。
「それは、彼女が軍に拘束されてしまうということでしょうか?」
「まあ、最終的には拘束はされるだろうが、これはどちらかというと、事件性が高いからね。拘束される意味合いが変わってくる。重要参考人としての拘束になるだろうね」
「なるほど」
不安げにアンジュを見遣ったレイチェルは、ぎゅっと唇を噛んだ。
その表情に、アンジュはつい絆されてしまう。
「その、今現在、彼女はまだその洗脳魔法に掛かっている状態なんですか?」
「そうだね。まだ掛かっていると思うよ。ただ、もう少ししたら、完全に解除されるだろうね。というより、弾くと言った方が正解かな」
「だとしたら、洗脳魔法に掛かっていた証拠は残らないんでしょうか?」
「ああ、それは大丈夫だよ。魔導具に記録を残してあるし、私の診断書も証拠として提出できるから」
「魔法をかけた人物の特定はできるんですか?」
「もちろんできるよ。それにもう、犯人は判明しているしね」
「え!」
驚くアンジュとは対照的に、レイチェルは口を閉ざしたまま俯いた。
「まあ、だからこそ、軍の関係者に話を通したいと思っているのだけれど」
医院長はチラリとレイチェルを見遣り、様子を窺う。俯いたまま拳を強く握っているレイチェルに、彼女も犯人が誰だか分かっているはずだと確信した。
「……分かりました」
レイチェルが意を決したように顔を上げ、返事をする。
心配そうにレイチェルを見遣ったアンジュは、医院長へと向き直ると、深く頭を下げた。
「院長。彼女のこと、よろしくお願いします」
「うん。分かっているよ」
穏やかに返された言葉に、アンジュは安堵する。院長に任せておけば、どうにかレイチェルの罪を軽くできるかもしれないと、強張っていた身体から力を抜いた。
自分の役目は終わったと、気持ちよく休暇に戻ろうとしたアンジュは、ゆっくりと顔を上げる。そして再び、身体を強張らせた。
「は? ここどこ?」
目の前には、厳つい顔をした軍服姿の偉丈夫が、書類を手にこちらを睨みつけていた。
「やあ、久しぶりだな、ガウロ。流石にいきなり目の前に現れたら、驚くぞ」
「はは、全然動じていないじゃないか」
呆気に取られているアンジュを他所に、軍服の厳つい男と医院長がにこやかに会話を始めた。
レイチェルに至っては、魂が身体から抜けてしまったかのように、白目を剥きそうになっている。
キョロキョロと周りを確認しようとアンジュが目を向ければ、壁に剣と盾が飾られているのが目に入った。
目の前の人物が軍服を着ていることから考えても、ここは軍のお偉いさんの執務室か何かだろうと思い至る。
だが、ここにどうやって来たのか、記憶にない。何しろ、頭を上げたらここにいたのだ。気絶したわけでも、頭を打ったわけでもない以上、これは魔法のなせる業だと、アンジュは目を輝かせた。
「転移魔法?」
恐る恐る口に出せば、すぐに返事が返された。
「よく知ってるね、アンジュ。まあ、ジェイクもよく使うから、知っていて当然か」
その医院長の言葉に、アンジュは目を瞠る。
医院長がジェイクと呼び捨てにしたからだ。そしてジェイクを知っているその口ぶりに驚く。だが、医院長が病院を開く前は、軍医をしていたのだと思い出し、納得した。ただ、医院長がアンジュとジェイクの関係を知っている事実に、気恥ずかしくなる。それを誤魔化すように、早口でアンジュは疑問を投げかけた。
「オールディス様も転移魔法が使えるんですか?」
「え? そりゃあもちろん、使えるよ。逆に使えないと、色々と困るだろうしね」
ジェイクと会う時はだいたい馬車で移動する。その馬車には転移陣が組み込まれているのだと、アンジュは聞かされていた。転移陣を描いたのはジェイクなのだから、使えて当然かとも思う。ただ、生身のまま転移したのはこれが初めてで、今ちょっと感動していたのに、ジェイクが転移魔法が使えると聞かされて、何となく面白くないアンジュだった。
そんな感情に流されそうになりながら、アンジュは自身の目的を思い出す。
自分は休暇に戻る筈だったのだ。面倒事を医院長に押し付けて、さっさと退散するつもりが、しっかり巻き込まれていることに納得がいかない。
医院長に文句を言おうとしたアンジュだったが、それよりも先に口を開いた医院長に、遮られてしまった。
「ああ、すまない。紹介しよう、うちの病院で働いてくれている、アンジュ・ベントだ」
不機嫌そうに二人の会話を聞いていた偉丈夫へ、医院長が話を振った。漸く紹介されたことに、持っていた書類を机に置き、アンジュを見据える。
「ほう、君が噂のアンジュ・ベントか。会えて嬉しいよ」
『噂』という言葉に、またアンジュは気恥ずかしくなった。それを悟られまいと、しっかりと前を向き、軍服の偉丈夫へと視線を固定する。
だがその偉丈夫は、椅子から立ち上がり、机を回ってアンジュたちの前へと歩み寄ると、アンジュを上から下まで観察してきた。見上げる程大きな体躯をした偉丈夫の、その不躾な視線に、文句も言えないほどに顔が怖かったアンジュは、固定した視線を思わず逸してしまう。
「そしてこの強面は、軍の総指揮をしている、バレット総指揮官だ」
「バレットだ。よろしく」
口角を上げて挨拶をされ、アンジュがぎこちなく頭を下げた。
それに一つ頷いた総指揮官バレットは、ついとその横にいたレイチェルへと目を向ける。
「それで、こっちの魔導士は、レイチェルだったか?」
「は、はい。魔戦魔導部隊所属、副長官補佐のレイチェルです」
ビシリと背を伸ばし、胸に手を当て、胸を張ったレイチェルは、大きな声で自己紹介をした。
長い自己紹介を噛まずに言えるなんて凄いわ、と感心していたアンジュは、魔導部隊の正式名称を初めて知ったと緊張感のないことを考えていた。
だが、その態度を改めることになる。
「なるほど、それで、何の用だ?」
急に表情を無くし、凄んできた総指揮官バレットに、軍人ではないアンジュは堪らず足を踏ん張らせた。その重すぎる威圧に、気を抜けばその場にへたり込みそうで腹にも力を入れる。
そんな中、緊張はしていても、微動だにしないレイチェルに、流石は軍人だと、アンジュは尊敬の目を向けた。
「ちょっと長くなりそうなんだけど、時間は大丈夫かな?」
呑気な口調で医院長が問えば、軽く息を吐き出し、バレットがソファーを勧めた。
あの威圧をものともしない医院長に、アンジュはまたまた尊敬の目を向ける。
「ありがとう。すまないね」
どさりと音とを立ててソファーへと座ったバレットとは対照的に、アンジュたち三人は静かに腰を下ろした。
威圧を引っ込めたバレットは、緊張しているアンジュとレイチェルを気遣いながら、穏やかな口調で聞き直す。
「それで、何があった?」
ちらりとレイチェルを見遣った医院長は、手を組み合わせると、神妙な面持ちで口を開いた。
「今回は、死人が多く出そうだよ」
ひゅっと息を呑んだのは、アンジュだけだった。
◇ ◇ ◇
シンと静まり返る執務室に、硬い声が響く。
「レイチェル副隊長補佐官の身柄を、確保しにきました。即刻、引き渡して頂きたい」
「現在、補佐官は席を外している」
軍の『上層部の命令』で、レイチェルを捕まえに来た衛兵に、クレアは腕を組み、端的に述べた。その命令が偽物であることを確信していたクレアは、相手をするのも面倒だと、目を眇める。
「どこへ行ったのかは、もちろんご存知ですよね」
「当たり前だ」
「では場所をお聞きしても」
「それよりも、確保する際の書状を出せ」
ぐっと押し黙った衛兵は、クレアの言葉を無視し、経緯を説明する。
「軍本部に通報がありました。魔戦魔導部隊のレイチェル副隊長補佐官が、一般人に魔法を放ったと」
「その通報ならこちらも受けている。それよりも、書状を出せと言っている」
悔しそうに奥歯を噛んだ衛兵は、絞り出すように言葉を出した。
「書状はありません、ですが……」
「書状もないのに確保とはな。お前の所属と名前は分かった。軍部というのは縦社会だ。それがどういう意味か、わからない程馬鹿ではないだろう?」
レイチェルが軍の規約違反を行ったことは明らかだが、現行犯以外は、書状がない以上レイチェルの捕縛は出来ない。それもまた軍の規約で定められていた。その書状を提示することなく、捕縛をしようとする衛兵に、クレアは態度を崩さない。というよりも、崩す必要もなかった。
「私を謀ったこと、後悔するなよ」
そういって、腕を衛兵に向けると、クレアは転移魔法で強制的に退出させた。
「随分と早いな」
「そりゃあ、レイチェルが今日、隊長の想い人に会いに行くことは知っていたでしょうし、キャサリンとかいう女も、それを確かめに来てましたからね」
レイチェルが転移魔法で執務室を去ってから僅かしか経っていないというのに、衛兵が乗り込んで来たことに、クレアは眉を顰めながら再び腕を組んだ。
「だが、キャサリンには魔法を放ったという話はしていなかった」
「誰か監視をつけていたとか?」
「監視?」
「一番そういうことをやりそうなのは、隊長ですがね」
「ああ、兄か……やりそうだ。だがここに乗り込んで来ないということは、違うのだろう」
「分かりませんよ? 彼女のところに真っ先に飛んで行ってるかもしれませんし」
「ああ、本当にやりそうだ」とクレアは口の中だけで小さく呟く。
「何にせよ、随分と手回しが良い。レイチェルがここに帰って来てから、まだ一時間くらいだぞ。この分だと、兄の耳に入るのも時間の問題だな」
「それが一番、恐ろしいですね」
「ああ、まずはやれることをやろう」
とりあえず早急に対策を考えなければと、その場の全員が焦った。
今後の作戦を練ろうとした矢先の衛兵の乱入に、もう時間がないことを悟る。
だが、いざ話し合おうとしたところで、恐れていたことが起こってしまった。
バーンと大きな音を立てて、扉が開かれた。余りの勢いの良さに、扉は窓際まで飛ばされている。
ずかずかと大股で入って来た人物は、今まさに噂をしていた、クレアの兄、ジェイクだった。
年配の隊員三人は、声も出せない程驚き、クレアも最悪な事態を想定し、身構える。
「クレア、話がある」
剣呑な表情でそう告げたジェイクは、ここに来るまでに何人か手にかけて来たような凶悪な顔で、そう切り出した。
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