第12話 ジャスミンを泣かせたのは①


残酷かと思ったが、レダは宿の責任を預かる人間として、状況〜


訳を言いたげなミランダを制止してジャスミン本人に事情を直に語らせた


〜と言うのも、自身の身に起きた悲劇をどんなにキツくても『吐き出す』


自らの口で「話せる部分だけでも精一杯語る」


これは、後々の気持ちの踏ん切りの為でもある



レダは自分の生い立ちの、幼き日の昏い思い出について考えると砂を咬むような気分になる時がある


「お前は逃げろ!!ここはもう駄目だ」



悲痛な父の声を背にレダは深い森の盗賊アジトより脱出、国王軍の目をくらませて運良く辛くも密かに逃げ延びたという経験があるのだが、肝心な部分で記憶の欠損、欠けがあるのだ


当時の事を考えようとすると急に頭がぼぉっとし、大きな部分部分以外、細部が今でもゴッソリ抜け落ちている


考えれば考える程ぼんやりと、まるで低地に淀む朝霧のように記憶の迷宮に迷い込む


そう、どんなに思い出そうと頑張っても、ぶ厚く霞かかかったような得体の知れぬ壁が立ち塞がるのだ


レダはため息をつく

「大好きだった父や兄の最期のことを丸ごと覚えていない」


『きっと自分で鍵を掛けているのだわ!』

なんという事だろうか



しかしレダ的には如何に幼きとはいえ、例えどんなに辛い精神が焼き切れる事だったとしても、自分だけは必死に戦った仲間のことを覚えていたかった


だが、弱き脆弱な体は、脳は、主の肉体と心を守り抜く為にそれを許さなかった


鬼火の如くの揺れる燃えさかる松明のかがり火


他は深夜、泥の塊のような濃密な闇以外覚えてはいず、ハッと気がついたらレダ亭の穏やかな内部で寝かされていた


ーーー優しいオーナーの老夫婦に、手厚く介護されて助けられていた


どこでどうやってここまで辿り着いたのかさえ、自らの記憶に全くない



そんなこんなで記憶というのは如何様にでも都合良く、無意識に自分本位に消す


又は上手に書き替えられ移ろい易きものだと、苦く骨身に染みわかっていた



『本当の事は今しか聞けないわ?』


イイヤ、今だってどの程度までは真実かは微妙だと思う


だがこのタイミングを逃したら、本当に、精神を守る為に自己防衛の改竄が頭の中でおそらく行われてしまう


それは少し困るのだ


今後の為、責任者として真実に近い事実が知りたいと、レダは強く念じた



「ちょっと待ってて

ジャスミン、取りあえずそういう事ならお風呂に入りましょう


「私もお手伝いを!」

慌ててガタンと椅子から立ち上がるミランダに


「あなたはジャスミンについていてあげてね♡」


レダはニコッと微笑み目線で制した



そんなこんなで

話が一区切りつくと彼女はフイッと席を立ち、キッチンヘと出る


ミランダとジャスミンに軽い紹介のみで、これまで一言も口を挟まなかったマリウスもレダの後に当たり前が如くスラスラと続く



「先ずは火をおこさなきゃ」


レダは一段低い頑丈な造りの、耐火性煉瓦で囲まれた頑丈な炉の火種をテキパキと起こす


その次に湯沸かし用のドッシリした専用鋳鉄の巨大鍋を設置、水瓶に常に用意してある新鮮な水を柄杓ヒシャクを使い縁ひたひたまで注ぐ


異国の行商人より漸く手に入れた念願の、節を抜いた稀少な竹筒で息をフゥフゥとたゆまなく吹きかけ、巧に火起こしをする


彼女の手際よさでアレヨアレヨと炉内の細かく割った薪の火勢は大きくなった


直ぐにチリチリ……っと鉄の大釜はプクプクと細やかな泡を立て始める


マリウスは流れるような一連の動作に目を丸くして見入っていた



忙しい状態や差し迫った出来事があった時でも、取りあえず混沌する場に沸騰した湯さえ用意出来れば案外何とかなるものだ


相手が怪我をしているかも知れないし、例えば不快な体感をしていてもホカホカの心地よい優しいぬるま湯で洗い流せば衛生的にスッキリと気分が上がる


気持ちが安定すれば、混乱が収束し、概ね新たな解決策が浮かぶもの



産婆が産気づいた女性をオロオロと取り囲む周囲に

「湯を沸かして下さい、綺麗な布も!」


命じるそれらは、妊婦やベビーに対する気遣い以外にも、チャンとこういう生活の知恵的理由があって行う事なのだ


勿論湧かした湯でドタバタの合間の息抜き用として大好きな癒やしのドリンクを煎れ、ホッと寛ぎタイムの演出も外せない



大鍋の湯が程よい温度になると、レダは沸騰を待っている間に用意した木製小型バケツに柄杓で注ぎ込む


火傷に気をつけながら安全に汲み入れると、マリウスと一緒に次々に小部屋に軽快に運び込んだ


既に気の利くミランダによりフカフカなタオルは用意されていた




『折角だから香料も入れた方がいいかも』


何がいいかしら?

薔薇〜の製油は、彼女の子ども時代

幸せだった大きなお屋敷、薔薇の咲く御庭のあるお家に住む過去を思い出すから避けた方がいいかもね


消炎効果とリラックスが出来るラベンダー?


うーん……


悩ましい



この際、ちょっと冒険してみようかしら??



レダは足早に上階にある自分の部屋に駆け込むと、引き出しより宝物の小瓶を取り出しポケットに入れた


「あなたは朗らかで気品がある」


そんな麗しの花言葉を持つ、ジャスミンの精油である


因みにお値段は「一滴幾ら?」

途轍もなく高価な香料である



重そうな、大人の目には余りにも健気、湯を運ぶハラハラビックリする危ない作業


さり気なく様子を見守っていた工事を仕切る逞しい頭領より

「お手伝いしましょう」


そんな有り難き手助けの申し出があった



〜確かに、彼女だけだったら作業は大変だったろうが、そのような事情だったためあっと言う間に湯は全量無事運び込まれる



無事作業が終了後、レダは新たな水を大鍋にザバーッと注ぎ入れる










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