第2話 謎の生き物〝クマちゃん〟

 現在、クマちゃんは強大な敵と戦闘中である。

 おいしい木の実を発見するより先に、敵から発見されてしまったのだ。



 鬱蒼とした森の中。

 若干チャラそうな印象の青年が、「あれ」と動きを止める。


「リーダー、あの犬がくわえてるぬいぐるみ、何か動いてない?」


 黒服の青年は、美麗な顔をふとそちらへ向けた。

 黙ったまま、金髪の青年が見ている先に目を凝らす。

 するとたしかに、少し離れた木々の間に、犬にくわえられた何かが見える。


『白い何か』はかなり短い手足を弱々しく動かし、藻掻いているようだった。


「……何だあれ」


 抑揚に乏しい声が低く響いた。


 樹々すら魅了しそうな色気が、空気を震わせる。

 普段は表情も変えない黒服の青年は、めずらしく眉間に皺を寄せてそれを見ていた。すると、白い何かの動きが少しずつ弱くなっていく。


 彼は一瞬思考を巡らせ、微かにため息を吐いた。

 そうして可哀想な綿毛を救出すべく、ふっと消える影のように深い緑の中を駆けて行った。


 金髪の青年は、目で追うのがやっとな黒服を見て嫌そうに言った。


「はやっ」



 黒服の青年はたった今助けたばかりの白い綿毛に、静かな眼差しを向けた。

 綿毛もこもこは無事か。

 腕の中に、不思議な生き物がもふ……とおさまっている。


 それはつぶらな瞳を潤ませ、彼を見つめていた。


 うるうる黒丸おめめとしっかり目が合った。


 かすれ気味の美声が「リーダー」と彼を呼ぶ。

 金髪の青年は率直に訊いた。


「それ何の生き物?」


「…………」黒服の青年が、無言を返す。


 ぬいぐるみのような生き物など見たことも、聞いたこともない。


 さわった感触は、温かくすべらかだった。

 柔らかい。ぐにゃっと力を抜いた猫が思い浮かぶ。

 しかし耳の形が丸すぎる。手足も短い。

 子猫ならありえるのだろうか。

 だが大きさは子猫以上だろう。

 顔と体の比率は――ぬいぐるみのほうが近そうだ。

 ふわふわしているせいかもしれないが。


 と彼は綿毛もこもこを観察しつつ考えていた。

 しかし『何の生き物』かと問われたところで答えはでない。

 本人に訊くしかないだろう。

 人間の言葉が通じるようには見えないが。


 とりあえず怪我の手当が先か。

 白い何かの頭には、気の毒なことに犬の歯形がついていた。

 ふわふわな耳に入らないよう気をつけ、もこもこした頭に回復薬をかけてやる。

 歯形はすぐに消えた。

 黒服の青年は、心なしか元気になった綿毛それに一応声をかけた。


「お前はクマなのか」


「いやおかしいでしょ」とかすれ声の青年は指摘した。が、風にかき消された。


 代わりに別の声が上がる。


「クマちゃん」


 不思議な生き物の口から猫のような、あるいは幼い子供のような声が聞こえた。

 近いのは猫だろう。

 しかし『言葉に聞こえる鳴き声』というにははっきりしていた。

 幻聴でなければ、この生き物は人間と同じ言葉を話せるようだ。


 葉の隙間から光の粒が零れ、美麗な青年を照らす。

 きらきらと輝く男は動かぬ美術品のようだった。

 その美貌で、深刻とはかけ離れたことを考えていた。


 クマとの違いがわからねぇ。



 このとき金髪の青年は、一人と一匹から数歩分離れた場所に立っていた。

 それゆえ鳴き声は彼にも聞こえていた。

 目を見開き「えっ?!」と声を上げた。


「話せるんだ……。ってゆうか違いがわかんないんだけど」


 少々軽そうな口調でそう言った。

『クマ』と『クマちゃん』の違いなど分かるわけがない。

「え、なんだろ……」と独り言を漏らしつつ考えても、さっぱり分からなかった。


「名前は」と黒服の青年が尋ねる。


「クマちゃん」とクマちゃんがこたえた。


 猫や幼子のように愛らしい。

 が、こたえは先ほどとまったく同じだった。


「えぇ……」


 と金髪の青年がかすれ気味の声を漏らす。

「同じじゃん……」と言いたげな顔で、口からもそれが出ていた。

 

 一人と一匹の妙な会話を聞き続けても、得られるものはなさそうである。

 いや、ない。答えは永遠に『クマちゃん』だろう。

 そんな気がする。


 チャラそうな青年は情報収集を諦めた。

 そうしてクマちゃんに「えーと」と声をかけた。


「とりあえずクマちゃん? の名前?」


 妙に語尾が上がっていた。自分で言いながら『そういう酔っ払いいるよね』と思った。

 謎めいた生き物に話しかけつつ、頭の中は混沌としていた。

 しかし会話ができるなら自己紹介は必要だろう。

 考えがまとまらないまま、無理やり言葉をつなげる。


「……も聞いたし、俺達の名前も一応教えておくね」


「俺がリオで、こっちがリーダーの」


 と言ったリオの声を遮るように、黒服の青年は名乗った。


「ルーク」



 クマちゃんは青年ルークに抱っこされたまま、それを聞いていた。

 低い美声がふわふわなお耳を、『るーく』と撫でていった。


 黒服の青年はクマちゃんを見おろし、頭や耳、猫手に手を伸ばした。

 ふわふわと優しい手つきで、他にも怪我はないかと確かめてくれているのだ。


 クマちゃんは仰向けに抱えられながら、お空を見た。


 たくさんの樹が真っ直ぐに空を目指していた。

 高く高く、どこまでも高く樹々が伸びている。揺れる枝葉えだはが屋根のように、空を覆い尽くしている。

 葉と葉の間にチラチラと光がまたたき、そこに『空』があると教えてくれた。

 緑の屋根の隙間から、細い光がレースのように零れ、深い森に降り注いでいる。


 光の雨だろうか?

 クマちゃんは手を伸ばしてみたが、さわることはできないようだ。

 暗い緑の中できらきらと光がきらめき、とても綺麗だった。


 さわさわ、さらさらと、緑が歌っていた。


 光の雨はクマちゃんにも降っていた。

 ルークは輝く綿毛もこもこをじっと見ていた。

 真っ白な被毛がふわりと風をはらみ、細い猫毛が光に透ける。

 猫鼻の水滴がぴかっと光る。


 輝くクマちゃんの向こう側で、青い花びらが揺れた。

 ザァッ――と風が吹き、チャラそうな青年の金髪が煽られた。

 リオは顔をしかめた。

 目元にかかった金髪を雑にかきあげ、ふと呟く。頭に『青』が過ぎった。


「いつもはもう一人いるんだけど」


 リオは黒服の青年とルークに撫でられるクマちゃんを眺め、まったく別のことを考えていた。


 ああいうリーダー見たの俺、初めてかも。

 ……なんか嫌な予感がする。


 リオの予感は結構よく当たる。

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