第911話 『悪魔の技か、真実の証か』

 慶長七年十月十八日(西暦1602年11月3日)


 第2回公判が始まったが、リスボン特別法廷には前回とは違う空気が流れている。


 第1回公判で、アルメイダは枢機卿すうききょうの権威を法と論理で打ち破った。


 この事実が傍聴人の心から古い権威への恐れをなくし、法の正義が実現される静かな期待が満ちていたのである。


 被告席に座る枢機卿の顔からは傲慢さが消えていた。





 定刻通りアルメイダが裁判長席に着いた。


「これより第2回公判を開始、検察側による証拠調べを行う」


 厳粛な開廷宣言の言葉を合図に、検察官が立ち上がった。


 彼の背後で数人の若い王室保安局員が、木箱やガラス器具を法廷へ運び込んでいる。法廷にはおよそ似つかわしくない。


「検察側がまず提示するのは、王室保安局による科学調査の結果である」


 検察官は落ち着き払った声で言うと、局員の一人が掲げたスープの瓶を指し示した。


「こちらが、国王陛下に献上されるはずだったスープです。王室保安局の設立に伴い新たに配置された食事検査官による検査の過程で、このスープから致死量のヒ素化合物が検出されました。その後の化学分析班による精密な調査が結果を裏付けています」


 検察官は、検査官が毒物を検知した際の状況報告書と化学分析班による詳細な報告書を読み上げる。その客観的で科学的な内容は、傍聴席の貴族や商人たちに大きな衝撃を与えた。


 これまでポルトガルで行われてきた裁判では自白か状況証拠に頼るしかなかったが、客観的な物証が提示されるのは前代未聞である。


「次に馬車の車軸ですが、襲撃計画では走行中に車輪が外れるよう、固定具へ微細な傷が仕込まれていました。顕微鏡で拡大して調べた結果、断面に特殊な金属ヤスリによる痕を確認しています。そのヤスリは襲撃犯の一人が所有する工房から押収しましたが、刃こぼれの跡まで完全に一致しました」


 法廷内に驚きの声が広がった。


 目に見えないほど小さな傷から犯行の道具を特定する技術である。


 その光景は一見すれば魔法に映った。だが王室保安局の局員が顕微鏡の構造と調査の仕組みを図で示すと、驚きは次第に合理的な捜査技術への敬意へと移ったのである。





「裁判長」


 枢機卿の弁護人が発言を求めた。


「許可する」


「信じられません。先程からヒ素毒や車輪のヒビによる事故などと、もっともらしく説明していますが、私も含め、ここにいる誰がそれを理解できますか?」





 なぜヒ素毒だとわかるのか?


 ヤスリによって傷が入ったとしても、それは意図的なのか?


 なぜヒビが浮き出て見えるのか?


 仮にヒビを入れて、当日の馬車の利用で事故に見せかけて壊すなど、可能なのか?





「奇妙キテレツな文言や数式を述べているが、それを再現できるのか? 誰がそれを理解できるのでしょうか? もしできないなら? 悪魔の技と言われてもおかしくない術で、枢機卿が裁かれるなどあってはなりません!」


 弁護人の必死の訴えが法廷内に響き渡った。


 それは近代科学に対する、古い時代の人間が抱く根源的な恐怖と不信感から生まれた反論であった。


「それは、確かにそうかも」


「なぜそうなったか、理解できない」


 弁護人の発言に傍聴席の一部、特に年配の貴族たちの間から同意ともとれるざわめきが起こる。


 理解できない事柄は不気味で信用ならない。その感情はこの時代の人間にとってごく自然な反応である。ましてや神聖な枢機卿を裁く根拠が悪魔の技であってはならないのだ。


 しかしアルメイダの表情は微動だにしなかった。


 弁護人の訴えを最後まで静かに聞くと、ゆっくりと口を開く。


「弁護人の主張は理解した。つまり、検察側が提示した証拠はその正当性がこの場で証明されない限り、証拠として採用するには値しない。それで間違いないかな?」


「そのとおりです裁判長! 検証もできずに人を裁くなど、あってはならない!」


 弁護人は最後の頼みの綱を見つけて声を張り上げた。


 次にアルメイダは、今度は検察官に視線を向ける。


「検察官、今の弁護人の主張に対して何か意見はあるか」


 検察官は待っていたとばかりに、落ち着き払った態度で一歩前に出る。


「もちろんです裁判長。我々が提示した科学的証拠は決して悪魔の技ではありません。誰の目にも明らかで、再現可能な技術です。弁護人が望むのであれば、この場でその正当性を証明してみせましょう」


「なんと……」


 弁護人が絶句した。まさか法廷で実演するとは夢にも思っていなかったのである。傍聴席のどよめきが、一段と大きくなった。


 アルメイダは静かにうなずく。


「よろしい。許可する。ただし法廷の秩序を乱さぬよう、速やかに行うこと」


 検察官は深く一礼すると、後方に控えていた王室保安局員たちに合図を送った。


 局員たちは手際よく、2つの小さなテーブルを法廷の中央に設置する。1つのテーブルには、数本の試験管と薬品の入った小瓶が並べられた。もう1つのテーブルには、数台の顕微鏡が運び込まれる。


「まず、ヒ素の検出を実演します」


 一人の若い局員が前に進み出た。彼は傍聴席にも聞こえるよう、明瞭な声で説明を始める。


「ここにある3つのグラスには、それぞれただの水、食塩水、そして微量のヒ素を溶かした水溶液が入っています。もちろん、見た目では全く区別がつきません」


 彼は、それぞれのグラスに特定の薬品を数滴垂らした。すると、ヒ素を溶かした水溶液だけが瞬時に鮮やかな黄色へと変化したのである。他の2つは無色透明のままだ。


「このように、ある特定の物質は、特定の薬品と反応して決まった色の変化を示します。我々は、この原理を用いて陛下のスープからヒ素を検出したのです。これは奇術でも何でもなく、物質が持つ性質に基づいた客観的な結果です」


 法廷内から感嘆のため息が漏れた。


 これまで毒の証明は、毒を盛られた者の苦悶くもんの証言か犯人の自白に頼るしかなかったのである。


 だが今目の前で、毒の存在が誰の目にも明らかな形で証明されたのだ。


「次に、馬車の車軸の傷です」


 別の局員が淡々と顕微鏡の前に立つ。


「こちらの一台には、犯人の工房から押収したヤスリの刃を。そして、もう一台には、車軸につけられていた傷の形を取ったものを設置してあります。弁護人、どうぞご自身の目でご確認ください」


 促された弁護人はおそるおそる顕微鏡の接眼レンズをのぞき込んだが、隣の顕微鏡と見比べて息をのんだ。


 そこには、偶然ではありえないほど酷似したヤスリの刃こぼれの跡と、傷の凹凸が映し出されていたのである。


 傷はぴたりと符合していた。


「他の皆様にもご確認いただこう」


 アルメイダの許可を得て、顕微鏡を傍聴席の貴族や商人たちの代表も見学した。そして、誰もがレンズの向こうに広がるミクロの世界に驚いて、動かぬ事実に沈黙したのである。





 全ての実験と検証が終わったとき、弁護人は力なくその場に崩れ落ちた。


 彼の顔には、もはや抵抗の色はない。


 理解不能な悪魔の技だと罵った技術が、実はこの世で最も公平で、ウソをつかない事実の探求だと認めざるを得なかったからだ。


 科学が古い権威や思い込みの影を完全に払拭した瞬間である。


 アルメイダは静かに木づちを打ち鳴らした。





「これにて、検察側の提示した物的証拠の有効性は本法廷において完全に証明されたと認める。審理を続行する」


 裁判長は被告席を向いたが、そこには全ての希望を断たれ、ただ茫然ぼうぜんと天井を見つめる枢機卿の姿があった。

 




 数日後、判決を前に、同じ細工の馬車が橋を越えた地点で壊れる実演が実施された。





 次回予告 第912話 (仮)『黄昏たそがれの聖職者』

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