第9話 血族編(八)戦慄

 英子伯母さんは、高校卒業後母と一緒に上京し、それ以来伯母と母はいつも行動を共にしていた。幼かった達也や姉の世話をして、中山家に卒中出入りしていたため、中山家の事情について精通せいつうしていたようである。


 葬式がひと段落したある日、英子伯母さんがお茶を運んで来ながらぼそっとつぶやいた。


「お父さんで三人目だからもうないわよ」


 英子伯母さんの言っていることが理解できない達也は、思わず伯母さんに尋ねた。


「三人目って?」


 英子伯母さんが歴然と答えた。


「お父さんの兄妹がもうひとりいてね。一番末の妹だったんだけど自ら命を絶ったのよ。達也はまだ小さかったから知らないと思うけどね」


 父の末の妹が亡くなっていたのは聞いていたが、自殺していたことは知らされていなかった。


「どうして自殺したの?」


 達也は、英子伯母さんにおそるおそる聞いてみた。


「婚約していたんだけどね。相手の男が他の女性と結婚してしまったのよ。私だったらその怒りを相手にぶつけて慰謝料でもふんだくってやろうと思うんだけどねえ」

「どうやって自殺したの?」

「薬よ、睡眠薬を多量に飲んで自殺したのよ」

「……」


 達也は言葉がでてこなかった。一瞬、恐怖を感じた。



 中学三年の十一月、学校の教室にいた達也は、担任の先生から呼び出されて家に帰るように言われた。


 すぐに家に帰り寝室のドアを開けると、父、母、姉がすでに喪服に着替えて達也の帰りを待っていた。父は何か思いつめたような顔をしている。


 思わず母が切りだした。


「浦和のおじいさん死んだって、納屋で首を吊って死んだって」


 衣類などを鞄に入れ、支度をすましてすぐに家を出た。浦和に向かっている間、家族四人は終始無言のままであった。十一月だというのに、生ぬるく重い空気が漂っているように感じられた。


 浦和の実家では、中山家の親戚一同がすでに顔をそろえていた。父親の妹の直子が達也の家族のところへ駆けよって来て、「敏章はまだ子供なので、おじいさんが自殺したことは言わないで」と必死に頼み込んでいた。


 葬式はすでにはじまっていて、広間で坊さんがお経を唱えていた。ひとが多すぎて孫達は部屋のなかに入りきれず、玄関に正座してお経を聞いていた。最年長の隆明は落ち着いた様子で、幼い他の孫達を動揺させないようにしきりに話しかけようとしていた。


 参列者の控室は、英治の家に準備されていた。英治の家は実家のすぐ近くで、祖父が住んでいた離れに隣接している。坊さんのお経が終わったあと、親戚一同は英治の家につどった。


 縦長のテーブルを三つ並べてその上に、寿司、乾きもの、ビール、日本酒などが用意されている。


 誰も祖父について語ろうとしなかった。むしろ、語ることを避けているように達也には感じられた。沈黙がはじまれば誰かが話しはじめる。


「お酒よく飲むのか」

「いやあ、飲むより飲まれる方ですよ」

「僕は酒は飲まないけど、その代わりにコーヒーばかり飲んでいるから、アルコール中毒じゃなくてコーヒー中毒だよ」


 何の変哲へんてつもない会話に皆が作り笑いをしていた。



 達也たちは、家に帰ってから家族で話し合った。


「おじいさんはもう少し生きていれば寿命が来たのに、どうして自ら命を絶ってしまったんだろう」

「末の娘が亡くなった時、おじいさんはとても悲しんで、仏壇に向かって泣き叫んでいたから、娘が死んだのは自分のせいだと思いこんで、後追い自殺したのではないか」

「同じ年ごろの友人がみんな他界してしまったので、寂しくなったのではないか」


などと家族の間で話し合っていたが、本家ですら皆目見当がつかない祖父の自殺の動機を、達也の家族にわかるはずのないことであった。


当初、達也は祖父の自殺の動機について、家長でありながら母屋から離れに移されてしまったことによる寂寥せきりょうから、自ら命を絶ってしまったのだろうと思い込んでいた。しかし、年が経っていくにつれて、末の娘の死が何か影響しているのではないかと考えるようになっていった。


 祖母は、祖父が自殺したことで精神が崩壊ほうかいしてしまい、そのまま寝たきり状態になって一年後に衰弱死した。祖父の自殺による親族の最初の犠牲者であった。

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