謎のプリント5
「解けそうかなー?」
少し挑発も含んだような声色で茜はそう言いながら、テーブルにカップを二つ置いた。
「なかなか難しいですね」
茜の性格を知らない葵木は、素直にそう答えると後頭部を搔いた。
「ちょっと黙っててもらって良いかな。集中したいから」
「集中したら解けるってもんでもないんだよ。こういうのは一種の閃きだから」
先程のセリフを繰り返す茜だが、それは母さんの受け売りだろう。
なにせそのセリフは、幼い頃によく聞いたセリフだ。
茜は、角砂糖の入った瓶をテーブルの上に置く。
お礼を言ってから葵木は瓶に手を伸ばし、俺に向き直る。
「阿部君は何個入れる?」
「二つで」
「りょうかい」
ぽちゃり、ぽちゃりと2回音を立ててカップの底へ角砂糖は沈んでいった。
きっと優越感で茜の顔はニヤけている。見ても腹が立つだけだから意図的に見ないようにする。
「ねえ阿部君。ヒントくらい貰っても良いんじゃない?」
ヒント……ね。
横目で茜の様子を見るに、間違いなく答えを知っている。
きっと茜はヒントなんかじゃなく、答えを告げたくてムズムズしているはずだ。
「それは却下。もうちょい考えさせてくれ」
「……わかったよ」
葵木は納得したのか、根負けしたのか、そこからしばらく口を開くことはなかった。
おかげでプリントに集中できた。
プリントの上にカタカナで書き込まれた謎の文章を読み込んで行く。
ヌヨエギケカモドナカ、サロ
キリチハスウサナ、テリ
ウサナ、チケシアイレヂワエ
ズヨエラエニハヒ、チハスメサナヂ
ヨキウニサナンキアギオロビ、チウトウエミケウケ
アニサナヒクミチツヌヒチユセウサナヂワエ
ブステナソセズンハビスト
ステキルナへ厶スモト
テテミスケ
ミオンメウト
テリウナクサタ
なにか法則性のようなものはないか?
句点は存在せず、読点は何文字かおきに打たれている。
が、読点から決まった文字間隔で読点が打たれていると言う訳ではない。
改行されている場所が不揃いで、文章として少しおかしいような気もするが、それはこの暗号文を成立させるためのものなのだろうか……?
「あっ!」
「どうしたの阿部君。急に大きな声を出して」
「横に読むものじゃなくて縦に読むものなのかなと思ったけど……違ったみたいだ」
『ヌキウズヨアブステミテ』
縦読みしたところで意味不明な文章に変わりはなかった。
「ふーん。真悟。なかなか鋭いね」
しかし、答えを知っていると思われる茜は感心したような口調でテーブルを覗き込んできた。
「鋭いって……縦読みで合ってるってこと?」
俺の問に茜は曖昧な答えを返す。
「うーん。まあ合ってるちゃ合ってるし、間違ってるちゃ間違ってるかな?」
「どっちなんだよ?」
やっぱり茜は俺が間違うのを楽しんでいるだけにみえる。
そもそも、このデタラメな文章に答えなんて存在するのか?
いやいや、待て待て。これはあの母さんが作った物だと茜が言っていた。
母さんが意味もなくこんな訳の分からない文書を作るはずがない。意味もなくこんなことをするはずがない。
生前、母さんは幼い俺にだってそうした。
おやつの隠し場所を絵の暗号にしたりしてたっけな。
探し出す頃には夕ご飯時で、お預けにされたことも何度もあった。
「下の文にヒント書いてあるんだから、もうちょっと頭使いな」
言って茜は俺のコーヒーに角砂糖をもう一つ放り込むと、自分の定位置へ戻っていく。
「それじゃあ、甘くなりすぎちゃうよ」
「そう思うなら早く脳を使って消費しなさいな」
そのやり取りを苦笑いで見ていた葵木が口を開く。
「下の文ってこれだよね」
新入生達へ。私達から贈る言葉だ。この通りにすればきっと、高校生活はうまくいくはずだ。時々は振り返りたくなることもあるだろうけど、前だけを見て。
葵木が指を指し、音読をしてくれたのはこの部分。
こちらの文章は日本語として成立している。
そのままでも意味は通じる。
これをヒントと茜が言っていたが、この文章そのものが謎の文章を解くヒントなのだろうか?
「新入生って書いてあるから、僕達に向けられた物だって言うのは間違いないね」
「まあ、そりゃそうだろうな。一年全クラス。全員に配られていたみたいだから」
クラスの女子生徒が話していたのをたまたま又聞きしただけど。
「うん。そうだったよね。だとしたら『この通りにすれば』って書いてある所から読み解けるのは、上のなぞ文章は、僕たちになにかアドバイスを送っているものと推測できるよね」
「アドバイスね。そうだとしたら、『隠されたアドバイス通りにやれば高校生活はうまくいく』っていうことか?」
「多分、そういう事なんじゃないかな」
葵木は自信なさげに頷いてみせる。
「だとしたら『高校生活はうまくいくはずだ』の後ろにくる文は蛇足じゃないか?
だって、アドバイスが暗号文なんだろ?だとしたら、さらにアドバイスをしていることになる……」
そんなことを母さんがするだろうか?
無駄な文章を書き記すだろうか?
……俺はそうは思わない。
茜はこの文章がヒントであると言った。
だとしたらこの蛇足である部分がヒントである可能性が高い。
「どうしたのさ、急にだまりこくって?」
「いや、なんでもない」
視界の隅にあるカップを手に取り、一気に飲み干す。しっかり混ぜなかったせいか、底の方に砂糖が溶け残っていた。
それでもなおカフェオレは十分に甘かった。
「なあ、振り返るってどういう意味だと思う?」
「振り返るね……後ろを向くとか?」
「他には?」
「他?ちょっと待ってスマホで検索してみるよ」
葵木はリュックからスマホを取り出すと、操作をはじめた。
「えっとね。『振り返る』の意味は、一つがうしろを見ること。これはさっき僕が言ったやつだね。
二つ目、過去の出来事を思い返す。
三つ目、物事を総括すること。だってさ」
読み上げ終えるとスマホをテーブルの上に置き、こちらに向けて置いてくれた。俺にも確認しろということだろう。
画面を覗いてみるが、葵木が読み上げた以上のヒントはそこには存在していない。
わかったことはどんな解釈をしても後ろを見る、ってことだけだな。
後ろね……うしろ……ウシロ……あっ!?
「ど、どうしたんだい?また急に大声をあげて」
「これ一文字ずつ後ろにずらしたらどうなる!?」
「ずらすって、どういう意味?」
「五十音順だよ。『い』なら『う』『え』なら『お』ってな具合に」
「おー!なるほどね。さっそくやってみよう!」
ネラオグコキヤナニキ、ソワ
最初の一行だけ訳して、俺と葵木は顔を突き合わせて苦笑いした。
「違うみたいだね」
「そうだな」
そんな俺たちの様子が可笑しいのか、茜はこちらをみず、声も出さずに肩を震わせていた。
「そんなに可笑しい?」
「いやいや、ごめんごめん。あたしと全く同じ間違いをしてるからさ、なんかおかしくなちゃって。姉さんの術中にまんまとハマってるなと思ってね」
「術中?」
「真悟と葵木君の考え方は間違ってないんだよ。ちょっと方向性がちがうだけで」
「方向性ってなんだよ?後ろは後だろ。前を後ろとは言わないし、左右だってそうだ。後は後でしかない」
「それが姉さんの術中なんだよ。後ってのはさ、考え方によってはちょっとかわってくると思わない?」
意味の分からない言葉遊びをしている気分だった。どう考えたって後ろは後ろでしかない。後ろが急に前になったりしない。
なんて考えてたら後ろって文字が本当に後って文字なのかわからなくなってきた。ゲシュタルト崩壊ってやつだな。
「待って阿部君、後ろを振りかえるってのの『後ろ』の部分を『過去』に言い換えたら、後ろじゃなくて前ってことにならない!?」
過去を振りかえる。今の自分より少し前のの姿を思い起こすこと。
確かにそう考えれば、後は前とも取れる。
「やってみよう!」
すぐに作業にとりかかる。
一行目。
『ニユウガクオメデトウ、コレ』
「なあ、これって入学オメデトウなんじゃないのか!?」
「そ、そうだよね!次の行は僕がやるから三行目、阿部君頼める?」
「おうよ!」
すぐに二行目、三行目の翻訳作業は終わり、繋げて読んでみると……
『カラタノシイコト、ツラ
イコト、タクサンアルダロウ』
「これ正解だろ!」
「繋げて読んだら『入学オメデトウ、これから楽しいこと辛いことたくさんあるだろう』だよね!?」
俺も葵木も興奮を隠せない。
「よし!このままの流れで全部翻訳しちゃおう」
「うん!」
そして五分程をかけて全ての翻訳が終わる。
『ニユウガクオメデトウ、コレ
カラタノシイコト、ツラ
イコト、タクサンアルダロウ
ジユウヨウナノハ、タノシムコトダ
ユカイナコトヲカンガエレバ、タイテイウマクイク
ンナコトハキミタチニハタヤスイダロウ
ビシツトセスジヲノバシテ
シツカリトチヲフミシメテ
ツツマシク
マエヲムイテ
ツライトキコソ』
読みやすく直すと。
『入学オメデトウ。これから楽しい事、辛い事、沢山あるだろう
重要なのは、楽しむことだ
愉快な事を考えれば、たいてい上手くいく
んなことは君達には容易いだろう
ビシッと背筋を伸ばして
しっかりと地を踏みしめて
慎ましく
前を向いて
辛いときこそ』
「おおーっ!読める!読めるぞ!やったな葵木!」
「凄いね!本当に文章になってたんだ!」
「なんでカタカナなのかなってのは気になるところだけどね」
歓声をあげる俺と葵木の間に割って入り茜がちゃちゃを入れる。
「気になるって、その理由も知ってるんでしょ。白々しい」
「ほらほら、人を疑う前に課題にむきあって」
別に俺も葵木も課題をやっているわけではないのだが。
「まだヒントあるんじゃないのー?」
訳知り顔で茜が続きを促す。どうせ茜も初見時はノーヒントで解けなかったくせに。
仕方無しに再度プリントを覗き込み、後半の文の続きを読み解く。
「なになに。前だけを見て、か」
葵木も真剣な面持ちで、考えているようだった。
前だけを見てってどういう事だよ……って、えっ!?まさか!
店の奥の壁にかけられている鳩時計に慌てて視線を向ける。
時刻は十七時三十分。
「なあ葵木。完全下校時刻って何時だった」
「どうしたんだよ急に?えっと、……たしか十八時だったかな」
なるほど。茜が急かすはずだ。
「葵木。急いで学校に戻るぞ!」
学校までは走れば十五分。まだ完全下校時刻には間に合うはずだ。
それまで待っていてくれればいいが。
「えっ、どうして?」
「理由はあとで話す。とりあえず行くぞ」
持ち物は何も持たずに、テーブルから立ち上がった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
慌てて葵木も俺に続く。
茜はニコニコと笑い、カウンター席からヒラヒラと手を振る。
「いってらっしゃーい」
行ってきますの挨拶もせず、俺と葵木は店を飛び出し、西高までの道のりを走り出した。
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