【ヨウ】第25話 あいつの分まで

 億劫になるほど時間をかけて、自由奔放な昆虫たちを撮影。似たようなアングルの中で、途方に暮れながらも最適解を見つけて、画をつなぎ合わせた編集。


 苦節四か月……ついに『兜虫の冒険』は完成した。制作が始まった頃に咲き乱れていた桜は、とうに人々からの記憶から消え失せて、太陽の光を満遍なく浴びた――新緑の夏が訪れていた。


 映像系の界隈では、この上映会はかなり名の知れたビックイベントだ。実際に映像業界で働いている人たちも、品定めと言わんばかりに僕たちの作品を観に来る。スポーツと同じように、プロに通用するであろう学生を探してるのだ。


「えぇ、ここまで本当によく頑張りました。教員の一人として、みなさんを誇りに思います。各班それぞれのこだわりに満ちた作品を楽しみにしています。最後に、不安に感じる人もいると思いますが、完成したら胸を張って、自分たちの作品を送り出しなさい。先輩からのアドバイスです」


 透明先生からの言葉に感銘を受ける暇もなく、僕たちは準備に取り掛かった。準備と言っても、することは入り口近辺でスーツを着た大人にチラシを配るだけだ。今回は時間の都合上、連続上映の形をとっているので、いかに途中で席を立たせないかが重要なのだ。それに一般の人にもたくさん見て欲しいしね。


「それじゃあ、チラシ配ろっか」

「先輩、配置はどうする?」

「うーん……久世さんが正面は決定事項として――」

「なんでもう決定してんの? なんか勝手に決められる感じでちょっとムカつく」

「映像作品は第一印象が最も大事なんだよ。キャッチコピーとか、ポスターとか、CMとか色々あるけど、作品と最初に触れてもらう瞬間が一番大切なんだよ。それで見てくれるか、見てくれないかが決まる」

「うんうん、それは分かる」

「今回の上映会において、その瞬間が来るはポスター配りの時だよ。CMなんか流せないし。だから陰キャオタクがやるよりも、マルマルみたいな明るい子がやるのがベストなのですよ」

「うーん……それは自分で言ってて悲しくならないの?」

「久世さん、適材適所だよ。僕たちには、僕たちの場所がある!」

「まぁたしかに……それは一理ある。じゃあ二人の適所はどこなの?」

「裏口の花壇のところ」

「ふざけんな、人っ子一人いないところじゃねぇか。めんどくさいから、みんなで配ろう」


 僕の妙案は久世さんの理解を得ることは出来なかったので、チラシ配りは正々堂々と、真っ向勝負を挑むことにした。他の班の波に押し流されるように、入り口からすこし離れた場所に陣を構えた。


 笑顔で、ハキハキと、元気よくだ……


「特撮です……お願いします……」

「おなしゃーす」

「よろしくお願いしまーす!」


 女性陣のビラは、指数関数的に減り続けている。それとは対照的に、僕の左手にはビラの厚く重なった質量がいつまでも抜けない。作るだけじゃなくて、売ったり、見てもらうためにも全力で動かなくちゃいけない――現代の映像制作の過酷さを目の当たりにしている気分だ。人々が娯楽コンテンツで窒息しかけている現代では、他の追随を許さないような特色が、作品には必要なのだ。


「あ、ヨウ君! お姉ちゃんたち来たよ!」


 モネさんと丘田さんだ。若々しい綺麗な女性と、ビックサイズのおじさん……ダメだ、パパ活にしか見えない。モネさんが港区女子にしか見えない。数年後、追徴課税で痛い目を見る女にしか見えない。丘田さんと一緒に来て欲しいとは頼んだけど……こういう光景が生まれることを危惧していなかった。

 

「あのですねぇ、毎回ここは人が多くてですねぇ、道に迷わないからいいですねぇ」

「先生って意外と方向音痴ですよね。さっきも地下鉄の路線図に混乱してましたし」

「ついつい考え事をしちゃうんだよなぁ。某は今まで三回ほど交通事故を起こしていてですえねぇ、本当に注意力が散漫なんです」

「予期せずに人命救助をしてましたね……本当に一緒に行こうって誘って良かったです――」

「モネさん! こっちこっち!」

「……あ、ヨウ君!」

「来てくれてありがとうございます。僕たちの作品が上映されるのはかなり後だけど、見てくれると嬉しいです」

「うん、楽しみにしてる」

「さぁ式野さん行きますよぉ! この上映会はちゃんと頭からお尻まで見ないと勿体無いですからねぇ!」

「はーい、ただいまー!」


 もっと話していたかったけど、二人は開けっぱなしになっている重厚な扉のその先に進んでいく。そして、そこにモネさんなんか居なかったみたいに、新しい顔が僕の目の前をどんどん横切っていく。初めて見る人たちのはずなのに、もうお腹いっぱいだ。


「本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。定刻となりましたので、第二十一回、露南浦大学映像研究学部、作品発表上映会を始めさせていただきます」

 

 慣れた口調で、素敵な声のお姉さんが会場にアナウンスをした。周波数の高い、大きな会場でもよく反響する声だ。耳の中にすーっと入ってきて、全身の隅々で上映会が始まったことを実感した。


「ついに始まったね……」

「大丈夫、うちらはやることはやったもん!」

「あぁぁ……やばいいぃ……緊張で胃が出てきそう……」

「ラクダじゃないんだから……よし! 本番直前と言えば円陣っしょ! みんなで円陣を組も!」

「賛成! 円陣組んで、ルミリたちのエンジンをかけるってことね!」

「おぉ、川谷嬢はかなり上手いことをおっしゃるんですね」

「と、透明先生!? いつの間に――」

「そりゃアドバイスだけ要求される他の班よりも、この班には非常に思い入れがありますからね! 一緒に時を過ごそうかと!」

「先生をいた方が楽しいっしょ! それじゃあ不安を払拭し、みんなで本作の成功を祈りましょう! せーの!」


『えい、えい、おー!!』


 周りの皆様に迷惑をかけない程度に、端っこで細々と円陣を組んだ。友達でも肩を組むって中々しないから、どこか気恥ずかしくて慣れない――そんなぎこちない感情は、緊張を少しほぐしてくれた。


 こちらの気持ちとは裏腹に、無常にも上映はどんどん進んでいく。一つ、また一つと僕たちの順番が迫ってきている。時間も自分たちのルールを、人間の都合ごときで変えてくれないということだろう。


 小学校の学芸会で舞台に上がり、保護者や先生たちの前でセリフを言う――あの時の感覚と似ている。今僕は上映会の注目の中心に立っている。四ヶ月前と違って、言いたいセリフで頭がいっぱいだ。


 落ち着け。ちゃんとハキハキと話すんだ。ちゃんと興味を失わせないように話すんだ。ちゃんと僕たちの四ヶ月を伝えるんだ。


 『兜虫の冒険』を見せつけるんだ。


「こ、こんにちは! 昆虫対戦特撮班で脚本、監督を務めさせていただきました、青井です! 本作では、現代へ特撮の魅力を伝えたいです! 本物の昆虫の動きと、特撮ならではのアクションが合わさった――独特な雰囲気が楽しんでいただけると思います! よろしくお願いします!」


 会場は、形式的な乾いた拍手で包まれる。一応は峠を越えた。満点を出さなくても、及第点を出せればいい。僕は監督としての最後の仕事を終えた。


「――ここはかつて、人間が栄華の限りを尽くして……」


 まずは世界観を説明するナレーションから入る。声優さんを雇うお金もコネクションも時間もないので、CV青井ヨウでお届けしています。


 正直、序盤はそこまで大事じゃない。


 ストーリーの作り方として有名なのは『やりたいシーンを繋ぎ合わせる』というものだ。大抵の創作をしたいと思う人は、自分の作品でこういう要素や場面を出したいっていう願望がいくつかある。それらを設定という名の接着剤で、一つの作品になるように繋ぎ合わせるのだ。でも、そういう作り方をすると都合を合わせるための、どうしても思い入れがなくなるシーンが生まれてしまう。ストーリーを作るのが簡単にはなるけど……何事も一長一短だ。


 そんな僕がやりたいシーンは、終盤で主人公のカブトムシと、ラスボスのクワガタが、死闘を繰り広げる場面だ。はっきり言うが、ここは僕とハルちゃんをイメージして作った。そういう視点で見てくれると、ちょっと面白さが増すと思う。


「とうとう見つけたぞ、クワガタ! 村のみんなの昆虫ゼリーを解放するんだ!」

「ふふふ、はっはは!」

「何がそんなにおかしいんだ!」

「これは我々が先に見つけたのだ。あんな低俗な愚民どもに与えるなぞ、あり得ん!」

「――もう二頭も手にかけてしまった。これ以上、誰も殺したくない」

「なら安心しろ、カブトムシ。我が責任を持って、君を地獄に送ってあげようじゃないか!」


 二匹は屋根もないほど崩壊した――廃工場の中を、一斉に羽を広げて滑空し始めた。両者向かい合ったまま、そのまま外まで垂直に飛んでいく。


 先に手を出したのはクワガタだった。その横に広く開いたツノで、カブトムシのツノを思いっきり掴み、遠くへ投げ飛ばす。クワガタの力に重力も相まって、カブトムシはものすごいスピードで落下していく。勢いそのまま、カブトムシは廃ビルに直撃し、ガラスの破片が降り注ぐ地面で痛みに悶えていた。


「君のツノでは、我を殺すことなど出来ぬ。さぁ、今楽にしてやろう……」

「ぐぅ……や、やめろ……」


 クワガタが、カブトムシのツノをがっしりと掴み、ひっくり返そうとした――その瞬間だった。


「うおおおおぉお!」

「な、なに!? なぜそこまでの体力が――」

「ひっくり返るのは……お前だああぁぁ!」


 カブトムシは最後の力を振り絞り、羽を広げてクワガタの体を建物の壁面にこすりつける。クワガタの習性で、どれだけ力強く掴んでいても、背中を硬いもので擦られるとツノを離してしまうのだ。


 呆気にとられたクワガタは為す術なく、カブトムシの天まで届くような――高くそびえ立つツノにひっくり返された。お互い満身創痍だ。また起き上がれるほどの体力を、クワガタは持ち合わせていなかった。これは昆虫にとって、死を意味する。


「クワガタ、何故こんなことをしたんだ。何故、村のゼリーを奪ったりしたんだ」

「――君が憎かったんだよ。いや、君よりも村の連中かな。似た者同士のはずなのに……愛してもらってるのは君だけだ」

「そ、そんなことは――」

「ある。愛情の種類が違った。君に対しては純粋な愛情なのに、我に対しては、自責の念から生じる罪悪感や義務感――我そのものを見てくれていなかった。いや、見てくれていたとしても、あまりにも雑音が入りすぎたのだ……」

「クワガタ……」

「だから壊したかった。君たちの愛情を。意図してトラブルを起こし、あの関係に亀裂を入れたかったのだ……」

「――クワガタは優しすぎるんだ。自分の評価なんかお構いなしに、影から村のみんなをずっと守ってたり……部外者の僕がチヤホヤされても認めてくれて……君は自分を出すのが下手すぎるよ……」

「あぁ、そうかもしれないな。……お前に村のみんなを任せられるか? 我の……あたしの代わりに守ってくれるか?」

「もちろんだ、任せてくれ。でも僕が困ったら幽霊にでもなって、助けてくれると嬉しいな」

「はっはは! 幽霊は、ちょっと、現実的じゃ、ない……な……」


 クワガタのつぶらな瞳に、もう光は映らない。もう少しクワガタと話せていれば、こんな面倒なことにはなっていなったはずだ。もしクワガタが幽霊にでもなって出てきたら、その時こそ親友になれたらと、心の底からそう思う。


 そして、クワガタの残した大切な村を僕が一生かけて守り抜きたいとも思う。僕が全力で愛そう。良き部分も、悪き部分も、全てを。あいつの分まで。


 クワガタの屍の側には、アネモネの花だけ束ねたブーケが、そっと置かれていた。


 『兜虫の冒険』、終映。


 





 


 



 






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