第六話:フライト・ナインティーン(1)
Scene-01 ケース・オブ・フライト19
冬海の夜――
凪いだ海面を蹴立てて進むのは、煙突一本の小柄な軍艦――っていうか、空母?
日本海軍の航空母艦『若宮』が、波を蹴立てて進んでいく。
空母とは言うけど、見慣れた滑走路は持ってない。そのかわり前後二箇所にクレーンがあって、海面に『ロ号甲型』という水上複葉機を上げ下ろしできる。
横須賀から急遽引っ張り出されたので飛行機は半分の二機だけど、格納庫に二台のクレーン、大砲とかが並んだ甲板はギッチギチだ。
だけど、それがいい!
舳先に添え付けられた小さな大砲の横で、思わずアニメの曲なんかをハミングしてしまう。
「♪」
「……」
大砲の影にいた井手上さんがハミングに聴き惚れている。ツァンの声のせいもあるだろうけどね。
彼女は和服に女袴というハイカラさん姿に、暖かそうなショールを羽織っている。
流石に寒いのか、手はそれぞれ袂の中に収めていた。和服版の萌え袖っていうか、日本伝統的な幽霊のポーズだ。灯りのカンテラは砲塔周囲をぐるっと巡る手摺りに引っかけてある。
マントのフードから、ニュートがひょこっと顔を出した。
『井手上を聞き惚れさせるくらいならいいが、令和の曲はホドホドにな。――しかし消失した豪華客船探しに空母か、日本政府もやってくれる』
「大正時代の船って格好いいな。令和だと頭が大きすぎて恰好悪いんだよねー」
ちっちゃい頃に生で見たことがある軍艦は……まあ、壁?
アメリカ海軍のとても凄い艦らしいんだけど、護岸された岸壁かと思ったもの。
『観光に来たのではないぞ、瑛音。我らは蔵人を乗せた大型貨客船『丹後丸』の捜索に来ている』
「豪州航路に就いてる大型貨客船三隻のうちの一つ、丹後丸が消息を絶って半日かあ……って、行動を起こすの早くない?」
『無線中に消えたらしい。方向を消失したとか、水が白くなったとか……最後には「目が! 目が!」と叫んだ乗員が無線室に飛び込んで通信と絶。おかげで日頃から過酷な訓練漬けの海軍が張り切ってる』
月月火水木金金と付け加える。ちなみに、そのフレーズを考えたのが少し前に交代した《若宮》の前艦長さんらしい。訓練ばっかのブラック体質を愚痴った言葉だとか……
それはそれとして!
そういうワケで、僕らは蔵人さん――綾瀬杜伯爵を乗せたまま消失した丹後丸の捜索に同行させて貰っていた。
大正の日本は英国と同盟国なので、英国に太いパイプを持ってる綾瀬杜伯爵は超重要人物というワケだ。もっとも夜なので飛行機は出してないし、本格的な捜索も夜明けからだけど。
なお、どうして僕らを乗せたかの詳細は秘密になっている。
お陰で景貴、清華、井手上さんと合わせ、海軍の人から物凄い不審げにジロジロみられたな。
「目ねえ……ニュート、目が特徴的な旧支配者っている?」
『シアエガかな。海には出ないと思うが』
「あるいはデッカイ旧支配者がドアップで迫ったとかさ……心当たりある?」
『ふむ……どのくらい時間をかけていい? たっぷり列挙してやろう』
げっそり。
デッカイ系の旧支配者を一言でいうなら怪獣だ。火を噴く程度で済めばまだマシで。
「いやーな予感するなあ……」
チクタク チクタク チクタク チクタク――
呟きながら幻視を開始する。
途端に夜すら色を失い、灰色の空間に白黒の青空が写る。今日の昼間の映像だ。
『瑛音、どうだ?』
「今のところなーんにも……水平線しか見えない」
幻視は第一段階。
景貴と清華も若宮に乗り込んでいるけど、キャビンで待機して貰っている。
近づかれると第二段階に進むから調べにくいんだよね。
『丹後丸は本来、昭和まで生き残る。だが……』
「歴史は変わることがある、だよね……って、ああ、丹後丸みっけ!」
「――少々お待ちください、瑛音さま!」
声を聞いた井手上さんが、手早く時計と海図とコンパスで位置を特定していく。
《レテの書》を持つ井手上さんは知識やスキルの付け替えができる。書は、他人に使われたら洗脳され放題となってしまう呪いのアイテムだけど、自分の意志で安全をちゃんと確保しつつ使えば非常に便利で強力なアイテムにもなる。
今日は
「瑛音さま、位置を特定いたしました! お時間も問題なく」
「おけ、ここから時間を調整する……」
僕の目には昼間の風景が映っている。過去の昼間だ。
そこから時間を調整させて夜と昼を行ったり来たりさせる。
さて、どのタイミングで消えたのか――
所属する日本郵船のマークをたなびかせ、七千トンを越える船の幻想が真横を通りすぎる――その瞬間だった。
「うわっ!?」
突然、う……海が白くなって!?
幻想の丹後丸も実体化!
丹後丸は、若宮の横っ腹ギリギリをすれ違う!
井手上さんが引っ繰り返った。向こうでは水平さんたちも大混乱になっているようだ。
「井手上さん、伏せていて!」
「はい!」
船と船の間で波が散り飛ぶ。
飛沫の向こうにある丹後丸を幻視で透かし視ると、甲板に人影が――あああ、蔵人さん!?
この時代の日本人には珍しく高い背をスタイリッシュな白マントと白スーツで包み、白いシルクハットをこっちへ向けて大きく振っている。
ロマンスグレイのオールバックは飛沫に乱れてパサりと降ろされ、顔がやつれているせいか、黒幕的なオーラが強くなっている。
相変わらずのイケオジ悪人顔だな!
――実際の本人は、真っ当な善人なんだけどさ。
蔵人さんは両手で大きく手を振り続けている。声は――駄目か、聞こえてないっぽい!
音が通じないならツァンの声も駄目だろう。
丹後丸でも真横にいる若宮の存在を知覚しているようだけど、甲板の先端にいる僕は視えていないようだ。
船ごとスレ違おうとしている蔵人さんに追いつくため、船尾へ向けてパルクールで走る。
ええい、ごちゃついてるのは格好いいけど、走り難い!
「おーい、くらんどさーん!」
『瑛音、プラトーを抜け。アレならば気付くかも知れん!』
「りょ!」
屋根だけの展望台みたいなブリッジをジャンプして通りすぎ、煙突を越えて内火艇の横に着地すると、プラトーをスラリと引き抜いて大きく振った。
幻想を反射し、石とも金属ともつかない刃がキラリと光る。
その輝きは――届いた!
蔵人さんの手の振りが早くなり、口が「え、い、と」の形に歪む。
歓喜の涙に震えた蔵人さんが蜘蛛の糸を掴んだような顔をすると、後ろにいた美女三人を抱き寄せた。綺麗だけど全員タイプが違う。
わー、モテモテ……って、こっ、このエロジジイ!
やがて幻想が途切れた。
唐突に元に戻った冬の夜は凪ぎ、さっきの馬鹿騒ぎがまるで夢か幻だったかのようだ。
丹後丸は影、形も残ってない。波紋すらも。
だけど、びしょびしょになった若宮の甲板が真実を物語っていた。
「井手上さん、大丈夫!?」
艦首まで戻って井手上さんを起こすと、キャビンから景貴と清華も飛んできた。
どっちも水兵さんの恰好をしてる。
双子も何が起こったかサッパリ分かってないようだった。
「瑛音様、今のは!?」
「消失した丹後丸と《幻想》ですれ違ったよ。甲板には蔵人さんがいた。元気そうだったな……
「よかった……!」
毎度のごとくをアクセント強めにいったけど、景貴、清華も別にどうとも思ってない。
こういうところは令和と反応がびみょーに違う気がする――いや、それよりも!
「どういう状態かはサッパリ分からないけど、丹後丸は乗客を乗せたまま幻想の向こうにいるみたい」
夜の海を指さす。
その瞬間、黒ベタ一色だった海が
黒い海の底で、何か丸い物がぼんやりと燐光を発する。
何かいる――
「……」
腹の底から蠢くような恐怖を奥歯で磨り潰しつつ、景貴、清華、井手上さんを背に庇う。
プラトーの柄に手をかけながら、本能的に息を潜めた。
原初の感情が、理性を――生まれてから会得したちっぽけな積み上げを、崩しそうになる。
どのくらいそうしていたか……
ニュートがボソリと呟いた。
『行ったぞ、瑛音』
「い、今のは?」
『何とも言えん……だが丹後丸との接触ポイントは分かった、前進だ』
「おけ。夜が明けたら海軍さんにも頑張って貰おうか」
若宮の水兵さんたちは虚脱から回復しつつあった。
明日は忙しくなりそう――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます