3:0867
夜が明けた後もう一度サイレンが鳴って、バラバラ死体が森の近くで発見されたという報せが施設内に響かないか身構えていたけれど一日、三日経っても施設は慌ただしい様子もなく淡々と始業式に向けていつもの様に日常が過ぎる一方だった。
僕達は確かにこっそり施設を抜け出して、はっきりとこの目で死体らしき何かを目撃した。ただ暗くてライト越しの目視でしかなかったが、もしもあれが本物なら、見回り担当の大人が見つけてとっくに通報している。
だけど警察らしい人は見かけないし、他の生徒も何一つ噂していないところを考えるとたちの悪い偽物で、誰かが悪戯目的であの場所に置いた可能性が高いのだろうか。そうあってほしい事を願って日々を過ごしている。
あれから0778ともあの夜の話をしていない。先輩に言われた通り、人前で口に出さずに心に秘めておいて僕達がほんの数分だけでも施設から出ていたことを誰かに知られないように振る舞わなくてはいけないからだ。いや、数分どころか数十分にも長く感じたけれどそれは置いておいて。
少しだけ不安に感じた0778が僕の部屋に来てうっかり口に出す所だったけれど、いつ誰が何処でうっかり聞いてもおかしくないから黙るように無言で圧をかけた事を除けば、特に変わらない日々を過ごしてるようでどこか落ち着きのない毎日。
それも当然で、あの日以来、先輩と顔を合わせていないからかもしれない。
元々僕達より年齢が上の、先輩にあたる人達とは話す機会がない上に、よほど仲が良い人でなければ食堂で食事を共にする事もない。僕は同学年の人達と同じ空間にいる事が多く、誰かと積極的にコミュニケーションを取る人間でもないから濃い人間関係を作れている訳じゃない。
その辺、0778は誰かに取り入ったり親しげに話すのが得意だ。我が強い言動によって逆に一部の人からは良く思われていないのは欠点だが、失敗を恥とせずに前向きな所が長所として年上に気に入られるのかもしれない。そんな0778でも秘密を共有した先輩には会えていないという。
『今見たものは、忘れてちょうだい』
僕達に口外しないように釘を刺した先輩は今、何一つ変わらない日常をどう思っているのだろうか。
自室で自習をしながら僕はいつまでもあの夜が脳裏にちらついていた。
「ねえ、0523。四時間目終わった後に部屋で待ってて」
空き教室の掃除をしていると0778から通りがかったついでに声をかけられる。やはりあの件が気になって仕方ないのだろう。でも僕が黙っていろと言ったのだから0778は同じ話を蒸し返さない。となると、自然と「先輩」の話になってくる。
もしかして先輩に会いに行くには一人じゃ心細いから僕を連れて行く魂胆だろうか。何となく0778の考えてることは読めなくもないし、僕も今後どうすればいいのか先輩に聞いてみたかったから先輩に会いに行く動機としては充分すぎるぐらいだった。
仕方なく僕が無言で頷くと0778は満足したのかもう箒を持って他の担当場所にさっさと行ってしまった。恐らく友人の所に行ったのだろう。
「お前またパシられてるんじゃないか?」
廊下側から塵取りを持ったまま声をかけてきた眼鏡の男――0034は呆れた顔を僕に見せつつ、僕の現状を気遣ってくれた。多少整えてもぼさぼさしてだらしなく見える黒髪でぶっきらぼうな無表情だが、制服を真面目に着こなし、学級委員を任せられる程に頼りがいがある人だ。感情が顔に出にくいのだとか本人は気にしてるらしい。
0034とは0778みたいに古い付き合いではなく、中学三年生の時に同じクラスで隣の席同士になった時からそこそこ会話を築けてる方の仲だと思う。0034は僕の事をどう思っているか知らないけれど、僕としては数少ない男友達だと思っている。
「そんなことないと思うけど」
「お前達がずっと兄妹みたいに一緒だったのは理解してるつもりだが、何かあったら自分の意見を強く言うのも大事だ。お前はすぐ人に譲って引き下がる」
「僕はただ面倒なことにならない様に一歩譲ってるだけ」
実際それで上手く収まったことは何度かある。0778は強引だが僕が本気で嫌がる事だけは絶対しないし、自分も面倒だと思ったらあっさりと止めるのだ。今回はそれどころじゃないだろうけれど。
「0523がそれでいいなら俺はこれ以上言わないが……あと少しで進級とはいえ学級委員としても問題行為は見過ごせない。何かやらかすんじゃないだろうな」
「いや……先輩を探してるんだ。0778が用事あるらしいんだけど此処最近会えていないって」
流石にバラバラ死体の話を0034にする訳にはいかなく、かといえ隠したり嘘をつくと後で怒られるのが目に見える為、とりあえず先輩を探してる事だけを伝える。0034は首を傾げていたが「先輩捜しに付き合わされているのか」と納得いったようだった。
「そういえば最近文芸部の先輩も顔出していないな……今年度で三年に進級する人だし、他の先輩も何人かいないから二年生は忙しいのだろうな」
「0778が探してる人も二年の先輩だよ。朝食の時に食堂を探してもいなかったらしくて」
「なるほど……朝じゃなくて、夜に食堂辺り探してみたらどうだ? この時期の夕食は学年順に済ませるから、闇雲に探すよりも廊下で誰かに聞き込みをしながら待ち伏せてもいいかもしれないな。三年生はとっくに卒業しているし、二年生だけを探せばいい。それに、入り口前では先輩達の邪魔になる」
「夜か……0778に伝えてみる。ありがとう」
始業式までの春休みは通常よりも少しだけ特別だ。それぞれ自室でも図書館でも好きな場所で自習をしつつ、進級に向けて担当ごとに施設の部屋や教室の掃除をしたり、気を引き締める為に同学年同士だけで夕食を共にして仲間意識を高めていく。
前日になると診察室で健康診断を受けて、異常がなければ問題なく始業式を迎えられる。因みに僕は去年貧血で引っかかって入院棟の個室で暫く大人しくさせられていたから、あまり健康診断は好きではない。
「人のことよりも自分をどうにかした方がいいな、お前は」
0034もこの事を覚えていた様で、僕の体を心配そうに気遣った。
それもそうで、何度か体調よくない時期があってその場に居合わせたのが0034で保健室に付き添ってくれていた。今は安定しているけどいつどうなるか僕も分からない。これは僕だけではなく、他の人達も同様だ。
「分かってる。ちゃんと体調ぐらい管理するから」
僕達は街に選ばれた特別な人間である以上に、街に住む人達よりも自由じゃない命を抱えているらしい。詳しい事は聞かされていないけれども、色んな縛りを守らないと何事もなく成人になれないのだそうだ。
だからまだ大人になりきれていない誰もが自由に飢えるのは無理もない。先輩もそうやって好奇心を誤魔化してきたのだろうが、僕と0778の話を偶々聞いて抑えられなくなったのかもしれない。
「ならいいが、気を付けろよ。少しでも体におかしい所があれば0778にもちゃんと誤魔化さずに言え。近くに俺がいたら俺でもいい」
「ありがとう、0034」
それ以上は揃って会話を止めて、再び何事もなかった様にそれぞれ掃除の続きをする為に持ち場に戻った。用件が終われば余韻もなくあっさりと離れる。このぐらいの距離感が気楽だった。
今日の分の自習を全て終えて、0778の部屋前で待機していると時間はかからず、教科書が入った学生鞄を抱えた0778の姿が廊下奥から見えてこちらに近づいてきた。
「ごめんごめん、ちょっと忘れ物してて。すぐ鞄を部屋に置いとくから待ってて」
「それはいいけど0034が言ってたよ。夜に食堂の近くで待ってた方が会いやすいんじゃないかって」
「えー委員長? どうせ他にもまた小言を言ってたんでしょ」
0778と0034は相性が悪いのか、話を始めようとすると大抵は0034が0778に注意する時だった。真面目で律儀に規則を守る0034と好奇心が強く我が道を行く0778では気が合わないのだろう。間に入らざるを得なく、最終的には僕が止めてその場を収めるパターンが多い。
0034も自分が関わると0778は言う事を聞かないと分かっていて、0778がいない隙を狙って僕に釘を刺しておいたのかもしれない。0034も面倒事はなるべく片づけておきたい人間だ。
「お前が反発するから0034も色々言うんじゃないか。止める僕の身にもなれ」
「あいつ堅苦しいんだもん。まあでもいいや……夜ね。ご飯まで暇だから私の部屋でお茶しよ。保健室の先生から紅茶のお裾分けを貰ったんだ」
さてはまた意味もなく保健室に入って自習せずに先生と雑談してたな……とこっそり呆れるけど、お裾分けがない限り自室では中々飲めない紅茶が飲める良い機会だから顔には出さない。
0778の部屋に入るとアロマキャンドルの残香が微かに漂っていた。退屈にならない為に少しでも部屋を華やかにしようとして保健室の先生から借りてきたという。
「いつ来てもこの香り慣れないな……」
「そう? いい香りでしょ。先輩も使ってるんだって」
「その先輩だけど、普段はどんな人? 僕はこないだ初めて会ったから」
0778の知り合いで、0778みたいに好奇心が強そうな印象を受けたけど僕よりも関わってるならまた違う人柄かもしれない。そう思って聞いてみたはいいものの、0778は「うーん」と頭悩ませている。
「私、去年の夏に放送委員やってたでしょ。その時の放送委員会の集まりで知り合ったの。頻繁に集まってた訳じゃないからめっちゃくちゃ仲がいいって訳じゃないんだけど担当が一緒で、顔見合わせる度に意気投合してた。楽しいことに物凄い興味がある人って感じかな」
「お前みたいな人だな」
「何それ。でもどっか遠くを見据えてるっていうか、自分がこれからどうしたいかはっきりしてたな。放送の内容も先輩が積極的にこれ流したいとか意見ぽんぽん出してて。自分だけじゃなくて誰かを楽しませようとしてたね……だから私達を誘ったんだと思う。先輩に色々聞いてみたいな」
先輩が今、何を考えているのかは僕も気になった。規則を破ったとはいえ、殺人事件かもしれないのにあえて大人に報告しない理由も、今も沈黙したまま僕達に会っていない理由も。
単純に忙しいだけならいいのだけど、アレを見て冷静でいられないのかもしれない。それもそれで心配になってくる。
0778が入れてくれた紅茶の味は少しだけ苦く感じた。
窓の景色が暗くなって、夜に差し掛かる頃に夕食の時間がやってきた。一年生である僕達の番が終われば、自然と二年生が後から食堂に集まるのでそこを待ち伏せしておけば確実だろうとお互い話し合って、まず自分達の夕食を済ませた。途中で0034に会い、忙しそうだったので挨拶に留めておいてすれ違った。0778が0034に向かって何か言いたげだったのを無言で腕を引っ張って止めた僕は褒められていいと思う。
「お前いちいち0034に突っかかるな」
「何で? お礼言おうとしたのに」
「嘘つけ、明らかに文句言ってやろうって顔してたぞ」
「ちぇ」
止めておいて正解だった。もしも二人の言い争いが始まれば先輩が来るまでに終わる気がしない。まばらに食堂から出ていく同級生を見送りながら僕達は先輩も含めて二年生達が来るのをじっと廊下の窓側の端っこで邪魔にならない様に待つ。
しかし、何人か食堂に入っていくのにどれだけ待っても一向に先輩の姿が見えない。そういえばクラスの何組か分からないと思って0778に聞いてみても知らないと言う。めっちゃ気が合うんじゃなかったのかと内心でつっこみを入れつつも、わざわざ上級生の教室に遊びに行く機会などそうないだろうなと勝手に自己完結した。
「先輩と仲がいい人に心当たりないか?」
「うーん、全然。先輩は委員会の集まりが終わっても一人で帰ってたから、誰と仲が良いとかは聞いてないけど……こうなったら二年生の放送委員探してみようかな。顔覚えてるから」
うろきょろと辺りを見回したかと思えばすぐに見つけたようでさっとその人物の元へ近付いて呼び止めていた。僕は0778の後をついて先輩と同じ学年の放送委員を確認する。赤い花の髪飾りが映える黒髪のボブカットにインナーカラーの黄緑が散らばっている。制服に深緑のカーディガンを羽織っていて、まとまったカラーを取り入れた印象だ。
名札はカーディガンに隠れてしまって番号が読めない。寒がりの人もいるから番号が隠れる上着を羽織るのは校則違反じゃないけれど個人を呼ぶ時には困る。まあ、遠くから呼びかけなければいいし、記憶力の問題で番号を覚えていない人もいる。
「先輩、お久しぶりです。覚えてます?」
「あー勿論。0778ちゃんだよね」
「やった。ちょっと聞きたいことがありまして、私達と同じ委員会の……何だっけな。8が最初の数字だった筈だけど」
本当に気が合う者同士じゃなかったのかと心配になってきた。0778の適当な記憶力にはいつも肝を冷やされる。これは横から補足をしなくてはならない。
「突然すみません。0867って先輩なんですけどまだ食堂にいない? みたいで……」
「0867?」
訝しげに首を傾げられ、僕は薄らと嫌な予感を抱き始めた。
「はい、長い黒髪の……0778とも同じ放送委員会の人だとお聞きしました」
「ああ……ごめん、クラスメイトの番号はあんまり覚えてなくてさ。あの放送委員の子ねぇ……」
ボブカットの先輩は何かを思い出しつつ、複雑な表情を浮かべて不思議そうに小首を傾げながら腕を組んで信じ難い言葉を発した。
「――その人、ずっと行方不明なんだよね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます