第2話

 そもそもことの発端は一週間程前まで遡る。


 ブラウニーが聞いた焼き芋屋の宣伝から話は始まった。

 彼女が家で質面倒臭い研究レポートを埋める作業に精を出していると、家の前の通りから聞きなれない不思議な宣伝文句が聞こえてきた。


 何でもかんでも蒸気機関スチーム・エンジンが行う倫敦ロンドンでは料理もまた例外ではない。

 大抵の料理は火を通すか茹でるかで、その時の熱や蒸気も余すことなく他の熱機関ヒート・エンジンへ利用される。


 (もちろん逆に他の用途のための熱や蒸気を料理に使うこともできるが、大抵それらは火力が安定せず余り美味しいとはいえない代物なので美食家グルメのアリスは滅多に食べることはしない。)


 とにかく何をするにも蒸気に依存した倫敦ロンドンにおいて石で焼いた料理は比較的珍しい。それでもまだ焼き馬鈴薯ジャケットポテトなどは街頭商人が広場で取り扱い、食べる機会もある。

 珍しいとはいえ食べることがないわけでもない。

 ブラウニーは特に塩とバターを塗った焼き馬鈴薯ジャケットポテトが好みで見かけた時には必ず買うようにしている。しかし彼女が聞いた宣伝文句は甘くて美味しい甘藷かんしょを謳っていた。

 寡聞にして甘藷かんしょなるものを知らなかった彼女は家の本棚から辞典を取り出してみたものの、あまりよく分からなかったので食通であろうアリスに聞いてみることにしたのだった。


 学校のカフェで紅茶を嗜みながらブラウニーはアリスに石焼き甘藷について話を振ってみた。尋ねられたアリスの反応はブラウニーの予想と違っていた。


「あら? あなたも聞いたの? 妖精の石焼き芋の噂」


「何よそれ、聞いたことないわ。私がしているのは昨日聞いた不思議な売り文句についてで……」


「待って、アリス! あなた今なんて言った!? 私の聞き違いかしら? 売り文句を聞いたって言わなかった?」


「ええ、アリス。落ち着いて、どうしたって言うの急に。私おかしなこと言ったかしら」


「ああ、アリス何ていうことかしら! それはきっと妖精の石焼き芋だわ!」


「ちょっと待ってよ、さっきから妖精、妖精ってなんなのよ、もしかしてあなた妖精を信じているの?」


 もともと迷信や民間伝承が好きな大英帝国の住人も蒸気科学サイエンスが進歩した倫敦ロンドンではすっかり科学的な物の見方が普及し、妖精フェアリー幽霊ゴーストはいないということが一般論になっている。


 なっているが……、いつの時代でもそれらの存在を否定することは決してできはしない。非存在の証明はいかに科学が進んでもなしえない悪魔の証明なのだから。


 そんな科学が辿りつけない不可思議の境地への反応はやはり人によって大きく違う。


「ブラウニー。あなた、いい加減に妖精の存在を認めたらどうなの? 妖精はいるのよ。いるの!」


「ふざけるのも大概にしてよ、アリス。妖精なんてそんな非科学的な存在を信じるのはやめなさいって何度も言っているじゃない」


「なによ、幽霊なんて子供っぽいもの信じているくせに妖精は信じられないなんてあなたの方こそどうかしてるわ」


「こ、子供っぽいとは何よ。幽霊には魂の重さ実験でも示されたみたいに存在する証拠があるの! 妖精のほうがよっぽど子供じみてるじゃない」


 生来の迷信好きな資質と中途半端な科学知識の普及は多くの倫敦ロンドン市民におかしな基準を個別に持たせていた。普段仲の良い二人もこの件に関してはお互い譲らずに、しばしば衝突しているのだった。


「それで、仮に妖精がいるとして話を進めてあげましょう。妖精の石焼き芋ってなんなの?」


 ブラウニーは謎の焼き芋屋への興味が抑えきれず渋々譲歩を見せて話を進めた。


「だから、妖精は本当にいるんだって。まあ、いいわ。妖精の石焼き芋屋ってのはね、なんとも珍しい甘藷かんしょの焼き芋屋なのよ。甘藷かんしょって知っているかしら?」


「知らないから食通のあなたに聞きたかったのよ」


「ふむふむ。いいでしょう、いいでしょう。教えてあげましょう、甘藷かんしょのこと。外来産のとっても不思議な芋でね。外皮は葡萄グレープのような赤紫で中はなんとも鮮やかな黄金色ゴールド。香ばしく焼けて水分を飛ばした中身は得も言われぬ甘さを讃えた素晴らしい芋なのよ」


 アリスが一気に語るのを聞いてブラウニーは唖然としつつも、その幻の芋を思い浮かべようとした。


「ごめん、それってやっぱり馬鈴薯じゃないの?」


「まあ、いきなり言われても分からないでしょうね。いいわ。今日の放課後ウチのメイドに振舞わせましょう」


「あれ?ちょっと待ってよ、アリス。甘藷かんしょって幻の芋じゃなかったの? なんであなたの家に普通にあるのよ」


「私は甘藷かんしょが不思議な芋だとは言ったけれど幻とまでは言ってないわ。まあ普通の倫敦ロンドン市民はまず存在を知らないから入手しようとは思わないでしょうけど、その気になれば手にはいらないこともないのよ。妖精の焼き芋が凄いのは……。まあそれを知る前に食べてもらったほうがいいわね。妖精の焼き芋のことは甘藷かんしょを振舞った上で話すことにしましょう。それよりも今は目の前のスコーンを美味しく味わうことに集中しましょう?」


 そういって食べかけのスコーンへと目を移すとアリスは美味しそうにそれを頬張った。


「あなた、これだけスコーンを食べて放課後の甘藷かんしょもだなんてそりゃあ大きくもなるわ。そのうちぶくぶく太って、丸々としたベーコンにされてしまうんじゃない?」


 そうはいうものの食通の彼女はブラウニーに比べ山ほど食べるけれど、スタイルはけして悪くない。どころかとても大きいのだ。どこがとは言わないのが小柄なブラウニーのなけなしの抵抗ではあるのだが。


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