第8話-そんな自分を認めるように-
あれから体調は一進一退の様相を見せていたが、鯉の餌やりが効いたのか効かなかったのかはわからないものの、回復基調にあった。そのことは都賀先生に報告するまでもなく、保健室の利用回数が減少したことでわかっていたようだ。都賀先生はいつも通りの笑顔で話しかけてくる。
「よかったね、やっぱり鯉の癒し効果が出てきたんだー」
「そうなんですかね」
「やっぱり心を休める時間って必要じゃない?ほら、静和さん見てればわかるでしょ」
「静和先輩…………どうして先輩は僕に優しいんでしょうね、僕なんかに気を遣われてるなら申し訳ないなと…………」
あまり余計な詮索をするつもりではなかったが、思わず口に出てしまった。しまったと思い
「い、いや」
と訂正しようとしたが、都賀先生が口を開く方が早かった。
「静和さんはあなたがいてくれてとても喜んでるのよねー。それは本当だよ」
「な、なるほど…………」
「うん。自分を否定するのって、相手を否定することにもなっちゃうから。西方さんがもし静和さんのことを見てて、認める気持ちがあるのなら、西方さんもあとほんの少しでもいいから、自分のことを認めてあげて」
思わず息を呑む。申し訳ない、悪いなどと今まで相手にいつも気を遣っているようで、謙虚さを持っていたようで、俺は結局自分のことにしか意識が向いていなかったのか。誰かの優しさを疑い、歪めて、悲しい自分を演出してきた過剰な自意識を思わず恥じる。
都賀先生の言葉は、悲しみにある意味酔いしれてきた自分を目覚めさせるものだった。
「すいません」
「ほらほら、すぐ謝らないー」
なんだかいつも都賀先生の掌の上で転がされているような気がして、ばつが悪くなる。
ジリジリジリと、気付けば夏の蝉が鳴いていた。もう夏なのか。我が校は進学校を自称しているが、夏休みは課外授業で1週間ぐらいは潰される。どこが進学校だ。その上成績の悪い俺には漏れなく補習付き。どこが夏休みだ、と半分八つ当たりしながら腐った目で夏休みの学校の予定表とにらめっこをする。そこで気付く。
「夏休み…って餌やりはどうするんですか」
「そうだー、まだ言ってなかったね。一応あの子たちは餌をあげなくても堀の中の生き物とか食べるから大丈夫には大丈夫なんだけど、あげてくれるに越したことはないよ」
「う、うーん」
あげなくてもいいのか…なら別にあげなくても良いのではないか、と思ったが静和先輩がどうするのか、というのもあるので、ひとまず決断は保留した。先輩がやる、ともし言うのなら流石に俺だけしませんと言って先輩1人でやらせる訳にもいかないだろう。とはいえ我ながら自身の選択に主体性も責任感もないものだ。まあこの2つを持っていたら俺は不登校になっていなかったのだろうけれども。静和先輩を批判する意図はない。先輩には先輩なりの事情があるのだろうから。
◇
夏の厳しい日差しが照りつける中、堀にかかる橋の上で餌やりをする先輩の姿を改めて見てみる。日差しが水面に反射し、その整った顔立ちが照らされる。待ち構えるその顔はもはや涼しげである。俺がいてくれて、嬉しい、ね…やはり俺には勿体ない言葉なような気はするが。
「県庁堀って名前のつく通り、ここには昔県庁があったらしいんだ。で、その後ここに鳥高ができて。一応史跡だから市が鯉の餌代とかも出してくれてるらしいよ」
相変わらず鯉にはそこまで興味はないが、先輩の話にも少し興味を持つようになってきていた。楽しそうに話す人の話を聞くのは少なくとも悪いことではないはずだろう。
受験勉強で忙しいのか、餌のボウルが空っぽになると、先輩はそそくさと橋をその場を後にした。
「またね」
「あ、あの、また来ますね」
「うん」
やっと言えた。上手く笑顔を作ることはできただろうか。それはわからなかったが、不思議と教室に帰る足取りは軽かった。
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