第3話-鳥高のオアシス?-

 背後にいたのは保健室の先生だった。白衣を身につけ、少し気怠げな目をしているが、その瞳の奥には優しさがありそうだ。見た目から察するに20〜30代ぐらいだろうか。えっと、名前は確か…都賀香織先生だったか。

「保健室に用があったんでしょう、とりあえず名前と症状書いてー」

「いや、その」

と躊躇ったが、半ば押し切られるような形で保健室に入ることになった。


 保健室の訪問者用らしき椅子に座らせてもらうと、保健室の中の様子を観察する機会を得た。怪我の応急処置用のキットのようなもの、健康や医療に関する本や冊子、担架などが並んでいる。何故だかぬいぐるみもある。そういえば今まで健康診断以外ではほとんど入ったことのない場所だった。中をじろじろと見回していると「紙書いた?」と聞かれた。中の様子を見るのに気を取られ、白紙の状態だった。あわててペンを走らせる。

「すいません」

「ゆっくりでいいよー」

書き終わると、熱とか朝ご飯は食べたかとか睡眠はとったかとか、紙の内容に関して聞かれた。

「睡眠時間が少ない、どうしたんだー」

 都賀先生は男子からは学校のオアシスとして人気を誇り、授業をサボりに来る連中すらいるらしいが、女子からはこの語尾を伸ばすクセがぶりっ子だと思われているようだ。話す友達もいないのでクラスの人からの盗み聞きで得た情報だけど。


「すいません、ちょっと…学校に…………行きたくなくて…………」

かろうじて捻り出した言葉だった。親以外に言うのは初めてのことだったかもしれない。まあ言う相手もいなかったからなのだが。行きたくないということ自体は正直な気持ちだったが、そこに引け目があるのか、久しぶりに人と会話したからなのかはわからないが、

ここに来てから顔を上げられていない。

先生は全てを理解したかのように頷き、続ける。

「言いたくなかったら言わなくてもいいけど、どうして行きたくないとかは、あるー?」

「ちょっと…勉強についていけなくて…………」

「鳥高(とりたか)の勉強は難しいからねー」

「いや、でも俺は赤点魔なので(笑)」

自重気味に出した言葉には力がなかった。鳥高は鳥木高校の略称。鳥木高校の他に鳥木工業高校もあるため、区別するためにこちらは鳥工(とりこう)と呼ぶ。確かに鳥高だと他の高校と比べると進度も早く難しいのかもしれないが、とはいえ俺は学年の底辺を這い続ける男である。単純に努力ができないだけである。勉強ができないというよりかはもう勉強する気がなくなっているという方が正確なのだろうが。


「成績が悪いくらいなら気にしなくても大丈夫だよー」

そんなものかなぁ、と思う。とはいえ、俺から勉強を取ったら何も残らない。その勉強も高校でからっきしダメになってしまったが。都賀先生の言葉ももしかすると正しいのかもしれないが、今頼れるものがない俺にとっては、全てが気休めとしか思えなかった。この時の俺は都賀先生のことを信頼しきれなかったが、そんなことを考えてしまう自分のことは、もっと信じていなかったのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る