激しい雨に打たれる駐輪場です。

　その下で、私とマドカは飛び降り自殺を目撃した夜を回想していました。ですが、屋根にたたきつける雨音と、そして激しいカミナリで聞き取れない部分もありました。

　外へ目を向けると、すでに大きな水たまりができています。

「本当に通り雨なのかな………」

　私は不安そうに眺めます。しかし、マドカは当然のように答えました。

「うん。もう、晴れるから」

　するとしばらくして雨は止み、雲の切れ間から春の温かい日差しがもれてきました。ですが、私の心は晴れないままでした。

「じゃあ、繰り返しになるけど、ミドリの手首をその旅館で見たってことだよね？　その後、いったいどこへ行ったのよ？」

　そう、気味の悪い話です。

　自殺前に切り離されたミドリの手。まさか、私の頭の中で隠れているとか？　

　そんな、想像だけでも失神ものです。

　ただ、マドカは無頓着（むとんちゃく）に言い放ちました。

「知らない。もしかして私か、アケミか。

　頭の中へ取り憑（つ）かれたかも。で、頭がおかしくなっている。

　私から見れば、アケミも充分、変だから。でも、楽しいキャンパスライフがすべてを忘れてくれるんじゃない？」

　もう、すごいひがみ。

　私には相変わらず彼女の精神状態が理解できませんでした。

　おそらく今ここでなぐさめる言葉を言ってもキバをむきそうです。だから、あいさつ程度でした。　

「じゃあ、おはらいでもしてきなよ。

　もし予約できたら、私も連れてって。あれからどうにも気持ち悪いことばかり起こってね」

　わざと頭をかいてみせます。しかし、マドカはおかまいなしでした。

「くふふふふぅ！　おはらいね。すでに何十回としているけど」

　ああ言えば、こう言う。思わず、私は首をかしげます。

　そんなとき、私のスマホが震えます。見ると、ウルルからの着信でした。

「ちょっと、ゴメン！」

　私がさえぎると、しかしマドカが思わぬことを口にします。

「分かってるって。どうせウルルからの着信でしょ？　忠告するけど、会わないほうがいい。きっと、後悔するから」

　私は聞こえなかったフリをして、駐輪場をあとにしました。

　ギシギシ。ギシギシ。

　雨でぬれたせいでしょうか。自転車のペダルが重く、いつもより進まない気がします。それでも、服はびしょぬれ。早く家へ帰って、着替えたい一心でした。

　そのウルルは待ち合わせを私の家にしてくれました。

　私の家は閑静（かんせい）な住宅街にある一軒家です。庭付きの高い壁（かべ）。ちょうどコーナーに建っていて、曲がるとすぐにウルルの姿を見つけました。

「どうしたの？　急に呼び出して」

　私は不機嫌そうにたずねます。ウルルはランニング中だったようで、上下ともジャージ姿でした。

「アケミの家、入っていい？　さっきの通り雨でさ、シャワー浴びたいのよ」

　ついでかよ！　私はムッとします。

「ダメ。自分の家に帰ればいいじゃない、ウルルは足が速いんだから。私も見ての通り、ぬれているでしょ。早く帰ってシャワーも浴びたいの。洗濯もしなきゃ」

「あっ、そう！　じゃあ、本当にここでいいのね？」

　怪しくも、念を押すウルルでした。

　彼女はおもむろにポケットから取り出します。

　　何？

　ヒラヒラと、それはどこかで見た写真でした。

　いったい？

　そこで、私は一気に凍りつきます。

　 ！！！

「はい！　忘れ物、届けに来たのよ。もうアケミったら、勝手にうちの部屋に貼（は）っていかないでよね」

　それは夕日を背にした千住大橋の写真でした。

　あの日、あのとき。

　助手席で座っていたウルルに、私はこの橋は初めて来る名所だと、自殺の名所とは知らないと伝えていました。

　明らかな矛盾（むじゅん）。急いで自転車を降りる私です。

「な！　なんで、私なのよ！　こんな写真、知らないわ！」

　ウルルが目を大きくして、のぞき込んできます。

「何、言ってんの？　教えていなかったけど、私の部屋ね。防犯カメラがついているの。先輩を呼んだとき、いろいろ証拠を残すためにさ。

　んで、あの日の上映会を見返していたら、アケミがコソコソと貼ってる姿が映っていたのよ。だから、返すね。先輩以外、貼らない主義だから」

　この犯罪女め！　甘く見すぎた。

　私のこめかみから冷や汗が流れるのを感じます。ただ、そこは押しとどめ、いたって冷静に答えました。

「ウルルさぁ。それが呼び出しだったら、もういいでしょ」

「エエッ、結構な写真よね？

　アケミ………、あの大橋は初めてじゃなかったんだね。それも写真に映っている景色を見ると、やけに最近ぽいけど」

「………そう、どこが？」

　私はわざとよく見るため、近づきます。その瞬間、ガバッと奪い取りました。

　その速さに、たじろぐウルルです。

「………、まあ。返すつもりだったんだけど。そんなに大事だった？」

「ハアッ？　別に」

「な・る・ほ・ど・ねっ！　その反応だけで充分」

「ウルル。もしかしてケンカ売りにきた？」

「お～～～、コワ！　でも、それよか私、スマホの機種変したんだよね。シールも貼っていない新品よ」

　超意外。私も一気にほころびます。

「ホ、ホント！！！　見せてよ！　番号は変えてないよね？」

　もう一つのポケットからスマホを取り出すウルルです。色鮮やかなで、コンパクトで。それでいて、手のひらで輝いていました。

　でも、いったいどういうことでしょう？　さっきまで意味深な会話からの急展開。　　　　

　ウルルはさらに声を弾（はず）ませます。

「うん、番号は変えてないよ。だからさ。立ち話もなんだから、アケミの家へ入れてよ」

　私の顔は一転、石化。

「ダメ」

　しつこい。わかっていたけど、このしつこい女め。やはりマドカの忠告を聞いておけばよかったと苦虫をかみました。

「別にいいじゃん。最新の使い方、教えてよ」

「ダメ。うち、亀が死んで家中が臭いのよ」

「マジ～～～！　それって、ミドリ亀だったりして。私はそれでもかまわないけど」

「ダメ。近くの公園にしよ！」

「え～～～。ベンチもまだ、ぬれているし。アケミだって、早くシャワー浴びたいって言っていたじゃん！」

　もう、軽いノリのくせにしつこい女だ！

「だったら、ウルルも早く帰って着替えなさいよ」

　私の家の中のことは絶対にバレるわけにはいかない。断固、拒否し続けます。

　結局、二人は公園で話すことになりました。

　桜吹雪のじゅうたんで染まる公園です。

　となりではウルルはくしゃみを連発。その間に私は自転車を片手で引き、もう片方の手で写真を握りつぶして、ポケットへしまいました。

　ここは険悪ムードを作った私の責任です。適当に話題をふります。

「ところでさ、さっきまでマドカと会っていたんだけれど。ヤバいぐらい、陰キャ度が増していたよ」

　ただ、ウルルはさっきの悪い顔で、

「フ～～～ン。でも、そんなことはどうでもいいの。

　私、思い出しちゃった。アケミはあの運転中、千手大橋が駅から遠いって言ってたよね。何で知っていたの？」

　やはりまた、その話か。身構える私です。

「へ～～～。そんなこと、言ってた？　良く覚えてないけど、旅行の計画の一部。下調べ。あの写真だって、そのときの資料みたいなもの。ホント、よく覚えてないけど」

　また、ウルルはなめまわすように見つめてきました。彼女はうそつきを見破れます。さんざん、先輩に嘘（うそ）をつかれたからでしょう。推察もお手のもの。

（女子四人の卒業旅行だぞ。いったい誰の計画で、いったい誰が先延ばしにした？

　ああ、答えは一人だろ。『アケミ』、おまえだぞ。）

（そもそもおまえは焦（あせ）っていたわりには旅館までの山道を車ですっ飛ばすことができただろ。これは事前に走っていなきゃ、無理なくらいライトの少ない道だったじゃん。

　さらにあの旅館もさ。

　ビビることなく、熟睡できた。普通なら、あの怖い体験をした後、夜も眠れないくらいじゃないの？

　下手をしたら、あの旅館でさえ初めてじゃなかったかもしれないな。）

　

　激しく疑うウルルです。私は内心、震えます。

（クソッ！　ウルルはどこまで感づいている？　先輩以外はアホだと思っていたが、どうも鼻が優れている。いつも以上に冷静にならないと！）

　

　私は顔を整えて答えました。

「だって、私が卒業旅行をみんなのために計画したよ。他のみんなにさ、気苦労をかけたくないでしょ？　だから、黙（だま）っていたこともあるわけですよ」

　ウルルは噴き出します。

「気苦労って？　アケミが人のためって、笑える。そんな性格じゃないじゃん。　

　当日だって、違和感があった。四人で車を借りていっていないよね？　ひょっこりとアケミが迎（むか）えに来てくれた」

　さすがにムッとする私です。

「何？　私がレンタカー代、立て替えているのに不満があるの？

　だったら、今すぐ手数料込みで請求してあげようか？」

「アアンッ？　でも、こっちには証拠があるけど。旅行のすべて録画したし、部屋で写真貼ってた姿もね！　何だったら、今から見るか？」

　

　そして、ウルルはにわかに思い出してきました。

　アケミの家では一年前に再婚していること。ミドリと名乗るお母さんを迎えていたこと。

　おそらくそれが同級生の竹中美鳥をいじめるキッカケになったことも感づいていました。

　私は時間をかせぎます。彼女の真意はどこにあるのでしょう。冷えたお腹をさすっていました。

　でも、私の美しい腸（はらわた）です。

　嘘（うそ）という黒いかたまりが何メートルもつまっていました。グルグルと怒りのツメを引っかきながら暴れる。それを吐き出そうなら、成人女性一人分の死体が出てきそうです。

　仕方なしに吹っ切れました。

「でも、そのスマホの動画に盗撮映像でしょ？　ちゃんと映ってるのかしら？」

　ただ、そこでウルルは勝ち誇った顔です。

「アレッ、知ってなかった？　私って、映像処理とか意外とそういうの得意だけど。

　それはそうと、アケミがなんで写真を勝手に貼ったのか？　来たことないなんて嘘をついたのか？　今はもう、どうでもいい。私の興味は先輩だけだから。

　で、その先輩がね。陸上の有望選手に選ばれて、アメリカへ高地トレーニングに行ったんだってさ。それも何ヶ月単位。

　いや～～～、それはないよね！

　せっかく先輩と同じ大学に入ったのに許せない。だから私、決めたの。私も行くって。その準備に、外国でも使えるスマホにしたんだよ」

　私にとって彼女の言葉一つ一つが画びょうのように、小さなトゲと危険を含んでいました。

「………、それは大変ね」

「でしょ？　このスマホ、３０万円したんだ。アケミさあ、ちょっと貸してよ」

　そうか。これが本題か。

　３０万円もしたかどうかも怪しい。すべてはゆするための口実だろう。

　とんだ親友だ。きっと、口止め料としての対価ってことか。

しかし、私の真っ黒な腸までたどり着いていないとみえる。いや、わざとここまででストップしたかもしれない。これ以上、私の家庭まで首をつっこまないというブレーキ料ってことかもしれない。

　私の奥歯は怒り狂っていました。それでも、冷静に。

「でも、先輩もウルルもそのうち帰ってくるんでしょ？　その、３０万円はムダにならない？」

　あれは興味深い昔の事件なの。

　誘拐して殺した挙げ句、その死体に新聞をもたせて何度も身代金をせしめたってね。海外でもっとも残忍な事件としてやってた。

　そんな感じで、繰り返しをせがまれると困るでしょ。おどし取られるお金って、無限と思わせたらルール違反じゃない？

　天の声が聞こえたのか、ウルルはあっさりしています。

「ムダ？　そんなことはないよ。だって、アケミは頭がいいからさ。

　きっとその間、ちゃんと対処してくるでしょ？　そこに手を突っ込むなんて、ヘビにかまれるようなもんだから。

　大丈夫！　一切、これ以上の追加はなしよ。

　だったら、今の言葉も録音する？

　逆に、そうしようよ！　そのためにもこのスマホの操作方法を教えてくれない？」

　ウルルめ、さすがは私の親友でした。

　周到で、合理的で、大胆で。だから、心も通じるところがあったのかもしれません。

　私は深く息を吐きました。

「そう、私もアメリカへ行きたいな。

　でも、あそこって銃とか日常にあってハンパないよね。突然、背中をねらわれないように、つつましく過ごしているんだよ」

「………何、それ？」

「そう言えば、ウルルのガンショップさ。一挺（いってい）、どこかに消えたんだって？　親父さんが頭を抱（かか）えていたよね？　大変だねぇ」

「………それ、誰から聞いたの？」

「もちろん、あなたのお父様からよ。

　ちゃんと管理していないとダメだよね。下手したら、娘の頭に風穴、開くかもしれないのに」

　すでに日がかげっていたせいでしょうか。公園のじゅうたんはいつの間にか黒く色づいていました。