第5話 のぞいてよ! 綾小路円夏(マドカ)はYesterdayを知っている。

 私はヒラリとあった日から、寝付きの悪い日々が続いていました。

 真夜中、寝汗で目を覚ます。体がずっしりと重く、呼吸も乱れていたようです。のども乾き、自然とせき込んでいました。

 すると、なぜでしょう?

 私の髪が引っ張られている。ベッドの上はかべなので、誰もいないはずなんです。

 もしくは単に、髪がはさまっているだけなのでしょうか?


 ゆっくりと自分の髪をさわります。両手の指で頭をまさぐっていくと、アレッ? 誰かの親指とぶつかったのでした。

 「ひゃああああ!」

 私は絶叫とともに、飛び起きます。確かに指でした。そして、足元にはゴロッとしたもの。

 恐る恐る目線を下げると、ピクピクと動く。また、あの運転中と同じ指をんでいたのでした。

 しかし、それもまた夢。そんなことが毎晩起こったため、私は精神的にまいってしまいました。ついにはマドカへ連絡します。



 そのマドカですが、卒業旅行で後部座席に乗っていた友達の一人です。彼女は私たちに比べて物静かで、頭もよくありません。おかげで進学もできず、唯一浪人ろうにんが決まっていました。

 私はそんな彼女と近くの図書館で待ち合わせをします。よく、たくさんの学生も利用する自習室もありました。

 しかし今日は春休み中にもかかわらず、屋根付きの自転車置き場はガラガラ。貸本の返却口ボックスは使用禁止。館内は真っ暗でした。

 自習室は誰も電気をつけず、黙々と暗いまま。私はのぞきこみながら、マドカを探します。

 

 どんな顔をしているのでしょう?

 ちょっとした不安です。私たちは卒業旅行で同級生の飛び降り自殺を目撃。あれから、不幸ばかり降りかかっているような気がしています。きっと、マドカも同じように苦しんでいるのかもしれません。

 勉強にも手がつかないだろうと、外へ目を向けました。


 すると快晴の下、マドカが図書館前のベンチで座っているではありませんか!

 さきほどまではいなかったのに、やはり存在感が薄いと言わざるをえません。彼女の頭髪はボサボサでサンダルばき。化粧けしょうもせずに家着のままでした。


 私は不潔に思い、立ちながら正対します。

「久しぶり。元気だった、マドカ?」

 私は声をかけると、彼女は胃腸いちょうが悪そうな顔で見上げました。

「元気なわけない。最低…。ずっと、最低…」

 うわぁぁぁ~~~、いきなりのネガティブな発言です。

 やはりヒラリの方がよかったかもしれません。ただ、彼女は家族の選挙で応援中。水をさすわけにはいきませんでした。


 それにしても、このマドカの陰鬱いんうつさ。どうやら、進学できなかった落ち込みがぶり返したのでしょう。

「来年があるんだから、もう切り替えなよ」

「へぇ、次か…。次って、いつ?」


 ささくれたくちびるに、黄ばんだ歯。かなり重症と見えました。

「まあ、そう言わずにさ。だったら、気晴らしに運転免許でも取ってみる?」

「それはいい。もう、車になんて乗りたくない」

 確かにまったくの同意見です。どうやら彼女もまた、千手大橋の一件すら引きずっているようでした。

「そうだよね。ところで話なんだけど」

 私は話を本題へ変えようとします。それは悪夢の答え合わせ。ただ、すぐにマドカから生気のない声でさえぎられました。

「ええ、アケミの聞きたいことは知ってる。ていうか、このやりとりも何十回、何百回もやってる。

 アケミは知らないと思うけど、私はずっとミドリの呪いの中にいる」

 ハッ? 彼女のとなりには分厚い科学系の書物が山になっていました。



 絶望に暮れるマドカです。

「タイムワープって、知ってる? 過去に戻るとか未来に行くってやつだけど」

 早くもノイローゼでしょうか? 私は冷たく突き放します。

「どうしたの? ちょっと、アニメやマンガの見過ぎじゃない?」

 馬鹿馬鹿しい。ですが、受験に失敗したマドカにはふさわしいと思いました。

「見過ぎって、軽く言う。今の今まで、アケミは時間軸とか相対性とか考えたこともなかったでしょ?

 ちなみに私は過去に一日ずつ戻ってる。明日が昨日。未来が過去。これって、どんな苦しみか分かる?」


 マドカは背中を丸め、体中ごっそりと力が抜けていました。

 その彼女が言うにはこの春休みをずっとループしているとのこと。それも逆再生しているそうなんです。

 一日ずつ戻る。そして、ゴールは旅館での朝。そこから二週間後へ一気に進む。14日間を絶え間なく、逆再生しているとのことでした。


 もちろん、私はそんなことを信じるはずがありません。おそらく重度の精神病でしょう。いつになく彼女がしゃべっていることにも驚きました。

「あのさあ。私が言うのもなんだけど、受験がすべてじゃないんだから」

 彼女は怪しく笑います。

「くふふふふぅ! 優しいのね。

 でも、そんなアケミをすでに何回も殺してる。ウルルもヒラリも死んでいる。

 呪い。幽閉ゆうへい。時間の牢獄ろうごく。自分しかいない。何をやっても、何をやられても、過去に戻る。

 14日後。14日前。もう、どっちでもいいや。いくら自殺を計っても、必ず昨日の朝が来る!」


 24時間たつと強制的に昨日へループするそうです。つまりは恋を始めようが、旅を始めようが常に強制終了。まばたきの瞬間には戻っているとのことでした。


 だから、どんなに努力をしても過去過去過去過去。レイプされても、首をつっても、橋から飛び降りても、必ず昨日に戻ってしまうらしいのです。

 そのため、まぶたを切ったこともあったとか。両目さえつぶしたこともあったとか。それでも昨日に戻るため、時計やカレンダーを見るだけで吐くようになったということでした。

 

 私は固まります。この彼女の意味不明な話に、ではありません。熱弁のアクションに奇妙な手ぶり。なぜか、マドカの手のひらには貫通した穴があったからです。

 その彼女が大げさに手をかかげます。

「ホラッ、見えるでしょ? 私の手の穴から向こうに景色が見えるでしょ? それが未来ってものかしら。私には絶対、届かないけど」

 なにか、その穴はミドリに似すぎていました。金網にしがみつく血管と憎悪。私は思わず目をそむけます。

「どうしたの、それ?」

「聞いてくれて、ありがとう! 

 私、馬鹿だから、すべて手からすり抜けてく。で、穴が開いているからだった!」

 

 うわぁぁぁ~~~、もうダメだ。私は舌打ちします。 

「チッ、マジでいかれちゃったの? でも、その前にミドリの手首のこと、教えてよ」

 手の穴で思い出しました。私とヒラリで食い違っていた記憶。千手大橋で捨てた? それとも持ち帰った?かのなぞ。 

 気の狂ったマドカが知っているわけでもないでしょうがただ、ヒラリ。あんたも、嘘つきじゃないよね。



 無気力で見上げるマドカです。風にふかれて、前髪が口に入っていました。

「あ~~~、アレね。金網にしがみついていたやつ。ウルルが大橋から落とした。でもって、持ち帰った」

 いよいよ私の眉間みけんにはけわしいしわが入ります。

「落として、持ち帰る? もう、ウルルが持ち帰ったってことでいいんだよね?」

 急に素顔に戻っているマドカでした。

「何、言ってんの? 持ち帰ったのはアケミ、あなたじゃない」



 私? 私って、私? 

 一切、覚えがありません。そのとき、息が止まるほど、全身に鳥肌が立ちました。

 それでもマドカは淡々と話します。

「私、あのとき後ろに乗っていた。そして、前のウルルは助手席の窓を開けていた。急いで彼女は閉めたんだけど、そのすき間からからヘビのように入ってきた。当然、彼女も防ごうとした」

「エッ、何の話? 何を防いだの?」

 なぜかマドカは口をパクパクさせています。まるで操られているようでした。

「でも、その手はスルスルとアケミの後ろ髪へ隠れていった」


 ど、どういうこと? その手って? その手って!

 あれから私の頭に寄生している?

 私は恐る恐る髪をまさぐりました。あの、ゴムの劣化したような指たち。

 今ぁぁぁ、もしあったら!


 同時に、マドカの汚い笑いが響きました。

「クププププゥ! そんなわけないじゃん。

 確かに私、あのときはずっと前ばかり集中していたから全然、覚えてないけど。

 でもさ。ちょっと、ウルルもヒラリも別々の話をしているよね。ウケる。どれがホントか分からないって!」

「なんだと? ………この、クソ女」

 私のしぼり出す声です。

 逆に、マドカは両小指をを立てながらぐるぐると回し、どこか人ごとのように遊んでいました。

「真実を知りたい?

 でも、無理無理。私だって、必死だったからあまり覚えていない。

 そして、あの夜には戻れてない。残念だけど、その一歩後。あの旅館で目覚めるの。

 それでも映像かな。

 何度も、何度も、ウルルの試写会には参加している。だから、大丈夫。あのときの映像はくさるほど見た」


 車での映像。そんな場面、あったでしょうか? ただ、私は三人での試写会には参加していなかったので分かりませんが。

「じゃあ、結局のところミドリの手首はどこ? 本当のことを言ってよ!」

「クププププゥ! いつ見ても笑えるんだけど。

 アケミは震えながらアクセル踏み~~~の。ウルルは暴言。ヒラリは鼻をたらしてぼけた顔。さすが良い子ちゃんたちだったって!」


 こいつは重を通り越して、大切な血管が切れてしまったのでしょう。

 私はあまりに血の気が引いて、逆に冷静になれました。あっさりと髪をかき上げます。そこには何も引っかかりなありませんでした。

「いずれにしても、もういいわ。なんかまともに会話もできないし。それじゃあね、未来を失った浪人さん」



 そこには薄情な言葉。私もどうにもいらついていたと思います。

 ただ、マドカは相変わらず噴き出していました。

「クププププゥ! アケミィ、馬鹿にするのって面白い? そもそも私を友達だと思っていた? 一度もないよね?

 いい? くだらないことだけど、この後すぐに通り雨だ。だから、帰るのはちょっと待った方がいい。カミナリも近いぞ」


 いっぱしの天気予報士気取りでしょうか? いいえ。

 さっきまで快晴だったのに突然、暗転。激しい雨つぶが。

 ゴロゴロと鳴り響き、ザブッと降ってきたのでした。おかげで私の着ていた白い上着はずぶぬれ。

 マドカは得意そうに指を差します。

「大丈夫。あそこの駐輪場にタオルをけといたから。それを使おう」


 ぞわ ぞわ ぞわ

 私の背筋がざわめきます。もしや彼女の言っていることが正真正銘なのでは? そうだとしたら、気持ち悪すぎです。

 私たちは雨宿りに走りました。


 確かに天井にタオルが掛かっていました。

 マドカは私にふいてあげると声をかけます。私は断わります。それでも彼女が強引に頭へかぶせてきました。

「アケミって、きれいな髪をしているよね。手の穴をすり抜けちゃうかも」


 ぞわ ぞわ ぞわ

 私の視界はタオルで見えなくなりました。それからの、この力加減。どこか感触に覚えがあるのはなぜでしょう? 違うんです。なんとなく、生きた指ではなく、ゴムの劣化した指圧です。

「そうそう、私も思い出した。大学へ行けなかった私はミドリと一緒の落ちこぼれ組」

「はぁ? なんでそうなるのかな。そのミドリは死んでるし……。まぁ、病院かもしれないけど……。どのみち、過去の人だよ」

 一瞬、イナズマが走り、そして同時にカミナリが落ちました。

「クププププゥ!!! 過去だって? 病院だって?

 それじゃあ、美容院とか言ってカッターで嫌がる私の後ろ髪を切ってたわよね。からかいながら、ハサミじゃなくって。

 おかげでうなじは傷まみれ。馬鹿なのはおまえらだ」


 アレッ、今の声って? マドカの声じゃない。

 頭の、この指の感触も知ってる。朝、覚えてる。アレだ。ミドリの声に、ミドリの指だ!


 もしかしてまた、夢かもしれません。私は思い切りふりほどきます。

 すると、目の前には片手だけのミドリの真顔が立っていました。

「おはよう、アケミ。そしてようこそ、アケミ」

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