どこ?
@gtmaps
第1話
気づいたときには私は目を開けていた。今まで眠っていたのだろう。とても心地がいい。青空には適当な量の雲と太陽が浮かんでいて、少し涼しい風が肌を撫でている。今、自分は仰向けになっている、という状況を脳内で確認しながら、そのあまりの気持ちよさにしばらくじっとしていた。
だんだんと頭が冴えてくるうちに一つの疑問が浮かんだ。ここは一体どこだろう。私は昨日の記憶を探り始める。昨日は確か、会社行って、仕事して、コンビニ行って、弁当買って、弁当食って、仕事して、会社出て、コンビニ行って、弁当買って、家帰って、ない。家帰ってない。
ここでなんとなく直感した。ああ、ここは天国なのか。自分の家までの最後の交差点を渡る最中に、黒いタクシーが私を跳ねたのだ。間抜けに寝ている運転手の顔が私の最期の光景だった。案外、私は私の死を受け入れるのが速かった。きっと、さほど楽しい人生を送っていなかったからだ。同じことを繰り返す毎日、心が動く体験なんて何年していないんだろう。そういえばここ二週間、心から笑っていない気がする。
上半身を起こして、今まで横たわっていた地面の様子を確かめる。この土地は地界でいうところの草原に近い気がする。白くふかふかとしているのを見て、イメージ通りの天国だと思った。自分の格好を見る。死ぬ直前のスーツ姿で傷や痛みは無い。スーツを着て死ぬなんて。散々、生活を蝕んでいた仕事が、死をも蝕んでいるような気がして、そこに労働者の悲しい性のような、皮肉めいたものを感じた。
スマホ。スマホはどこだろう。辺りを見渡しても見つからない。私はいつもスマホを入れているズボンの右ポケットに手をやる。あった。しかし、画面が割れていて、電源が点かない。モバイルバッテリーを挿しても、なんともならない。そもそもモバイルバッテリーが光らない。電子機器は使えないのかも。思わずため息をつく。もしそうなら、スマホはただの黒い板に成り下がる。ふと元の生活が恋しくも感じられた。
それにしても静かだ。遠くを見渡しても、白い地面が青い空と地平線を形成しているだけで人がいるわけでも、建物があるわけでもない。果てしなく平坦な地形が広がっている。生前を思わせるような退屈がそこに続いていた。なんとかこの退屈を紛らす方法はないものか。あ。声が出た。そうだ、誰もいないんだから服を脱いでみよう。靴も下着も全て。腕時計から順に外していき、ブリーフパンツを最後に脱いで、私は裸になった。おお、こんな感じか。多少の羞恥心と背徳感を帯びながら、私は興奮していた。涼しい空気がそばを通って、全身にピリピリと快感が駆け巡っている。これはもう、走るしかない。
私はクラウチングスタートで走った。全力で走った。中学、高校と陸上部で鍛えた肉体、技術、精神の全てをこの一走にぶつける。追い風が吹いた。きっと、この世界が私の行動を歓迎してくれているのだ。全身の毛穴から汗が噴き出るのを感じる。懐かしい感覚だ。脇腹がズキズキと痛み始めてもひたすらに進んでいった。ああ、なんということだろう。今、全裸の男が正確なフォームで走っている。気づけば私は笑いながら涙を流していた。
600mは走っただろうか。疲れた。さっきまでと別人のようにフォームも乱れ、笑みを浮かべながら、ただ前に進もうと脚を動かしている。とうとう私はくたびれて、そこに寝転んだ。喉の渇きを忘れるほどの快楽物質が分泌されている。地面と自分との境界線が曖昧になり、私もこの世界と一体になったように錯覚する。呼吸と心拍数が落ち着いてきた。なんて幸せなんだ。私の一連の行動をこの世界は拒絶しない。全て受け入れてくれるのだ。私は上空へむけて叫んだ。また受け入れてくれた。
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