第2話 -2

「お、おいしいです」

「それは良かったです。何か甘いものも食べますか?アレス、デザートを取ってきてください」

「とんでもありません、い、いいです」

「遠慮しなくていいのですよ。ほら、アレス、何か取ってきてください」

「だ、大丈夫ですから! 」

 

 ベティーは、涙目で必死に止めた。隊長に取りに行かせるなど、本当に土下座してでもやめてくださいとお願いしたい。まだ昼食をとっていないのに持っていた食事を床に落としてしまったことから、レイスターに食事を誘われたのだ。同じテーブルに特将二人、それも神団隊長と食事など、ベティーはほぼ半泣きで食べていた。それも家族以外では、大人の男性と一緒に食事など初体験だ。

 レイスターに誘われてテーブルにつくと、いつのまにか自分が頼んだものと同じものがテーブルの上にあった。そして床に落としたものは、いつのまにか片づけられていた。


「機関に入ってから、どのようなことをしている? 」

 これまで無言で座っていたもう一人の隊長の声はどこか殺伐としてるが、ぞくぞくするほどの美声だ。ベティーは緊張しすぎて小刻みに震えながら、必死の形相で答えた。

「お、お手紙配達係と、お手紙の仕分けに、ごみ捨てです」


 紫の瞳がじっとベティーを見つめる。第一部隊隊長 特将アレスの瞳からは、何も感情が読み取れずに怖い。怖いけれども、怖さとは別に心臓がどきどきする。


「‥‥女神の仕事ではないようだが、力を与える練習は? 新人女神が最初に行うのは神将へ力を渡す練習だろう? 」

「し、していません。あの、一度も」

「一度も? 」

「練習をしてくれる神将様がいないのです」

「意味がわからない」

 容赦のない言葉にベティーはへこたれそうになる。ぐっとテーブルの下で両手を握りしめて、情けない気持ちで下を向いた。


「アレス、いじめてはいけませんよ」

「いいがかりはよせ。練習相手がいないということの意味がわからないから、そう言ったまでだ。第三部隊所属なら練習相手は第三部隊の神将がいるだろう」

「通常はそうなのでしょうが、現状は練習ができていないのでしょう。問題ですね。まあ、第三部隊の神将たちの気持ちもわからなくはないのですが」

「どういう意味だ? 」

「アレス、あなたならできますか? 」


 レイスターが笑顔で質問すると、アレスはちらりとベティーを見て沈黙した。ベティーとしては、なぜ自分と練習してもらえないのかがわからず、悩んでもいた。隊長や副隊長からも力の練習をするという話が一切来ない。第三部隊の神将からも言われなかった。そしてなかなかベティーからも、力の練習の話を出すことができなかった。


「無理だな」

 アレスの一言はベティーの心にぐさりと突き刺さった。

「そういうことです。それと力の練習=パートナーという図式ができ上っているようです。だから余計、一歩引いた状態なのでしょう」


 ベティーは、この機会に勇気をもってレイスターに聞くことにした。

「女神は神将をパートナーにすることを知っています。魔物退治のパートナーになるのですから、大変なのはわかります。最初は神力を渡す練習からです。私が、れ、練習をしてもらえないのは、なぜでしょうか? 」

 レイスターはとても残念な子を見るような目でベティーを見つめると、少しためらうように視線を逸らした。じっと見つめるベティーの視線に負けたのか、再びベティーを見ると困った表情を浮かべた。


「女神と神将が正式にパートナー同士になりますと、最終的にはほぼ結婚という形をとります。そのような形が多いのです。女神も神将もお互いに関心がないと、力を与える、受け取ることなどできません。練習でも同じですよ。まあ、一番の理由はベティーくんがとても若いからで、神将たちも戸惑っているのでしょう」

「へ?」

「正式なパートナー同士ですと、恋人関係も多いですね」

 ベティーは衝撃を受け、そして、泣きたくなってきた。つまり、 練習ができないのは、はっきりと女性として関心がないと言われているのと同じだということだ。パートナーが恋人や結婚につながることなど知らなかった。魔物退治の時に力を与え、一緒に戦うだけだと思っていたのだ。

 だからこれまで誰一人として、練習の相手さえしてくれなかったのだ。


 さすがに、レイスターもアレスも、まずいことを言ったというように気まずい表情を浮かべる。二人はお互いに目配せするが、二人ともかける言葉が出てこないのか黙り込む。

 ベティーは、アレスが言った無理という言葉と衝撃的な事実に情けない気持ちと悲しい気持ちで深く落ち込んだ。パートナーに男女の意味があるなら、いつまでもベティーが役に立てることはない。今後も誰一人として現れないような気がしてきた。そして、現れる自信もなかった。





 緊張で味のしなかった昼食後、ベティーは無事に第三部隊の副隊長二人に保護された。

 レイスターは食堂に入ってきた二人を目ざとく見つけて呼び止めると、ベティーの身柄を二人に引き渡した。事情を聞いた副隊長のジョンとヨハンは、話の内容を軽く見るようなことはしなかった。


 ベティーは第三部隊の建物に戻り、二人の副隊長とともに事務局に入ると、ジョンは深いため息をつきながら隊長へ報告しておくと言った。

「隊長に報告するのですか? 」

「レイスター様とアレス様も報告するだろうから、隊長に報告しておかないとね」

 ジョンはまっすぐとベティーの瞳を見ながら、「あのね」と真面目な顔で言い聞かせるように話し出した。

「よく理解していないようだから言うけど、あのようなことはあってはならないことだよ。ベティーくん、アレス様が止めてくれなかったら怪我をしていたかもしれない」


 副隊長のジョンは、小柄でかわいい容貌をしており、初めて会ったときから、気さくなお兄さんのようにベティーに接してくれていた。もう一人の副隊長であるヨハンは、逆に寡黙で雰囲気は冷たいが、話をするとしっかりと答えてくれる。ベティーは、ヨハンを偉い学者の先生と話をしているようだと思っていた。無表情が多いので笑顔を見たことがないが、とても公平で差別のない人だ。二人に共通していることは、副隊長は二神将という高位であるというのに、そのような偉ぶった雰囲気がないことだ。

 その二人が、今、威圧的で怖い表情をしていた。


「一般でも男性が女性にあのようなことをしたら、通報されて警察が来るよ。一般以上に、僕たちは神将だからね。あのようなことは許されることではない」

「私たちの力は普通ではない。魔物さえも素手で対峙することができる力を持っているのだ。無抵抗な者に手を出すなど、万死に値する」

 表情の乏しいヨハンが、珍しく不愉快そうに顔を歪めていた。


「ヨハンの言う通りだよ。ベティーくんは女神だけど、女神は肉体的には一般人と変わらない。僕たち神将のような強靭な体ではない。ベティーくんを脅した馬鹿は、もちろんほとんど力を入れていなかっただろう。でもね、たとえ冗談だとしても僕たちがそのようなことをしてはだめだ。神将になるときに、いや、神将候補生の時から教わる話なんだけどね」

 ジョンはもう一度ため息をつく。ヨハンは何度も頷いた。


「なによりも、神将が女神に暴力や暴言を吐くなどは到底許すことはできない」

 ベティーは戸惑いを隠せずに、二人を見ると小さくパートナーとつぶやいた。


「神将と女神は、パートナーとなることを知っているよね。女神は神将に神の力を与える。本当の意味で神将に力を与えることができるのは、パートナー同士だ。女神の中にいる神たちは、この世界に来る魔物たちを滅ぼすために僕たちに力を貸してくれるが、神の力にはリスクが伴う。それは神の器である女神たちが、身体的にも精神的にも耐えられないことだ。でも、相性の良い神将がパートナーがいれば違うよ。本物のパートナーとは女神だけではなく、内なる神も神将を認めるということだ。そうなれば、神将は女神の負担を代わってあげられる。そして、より強く神の力を得ることもできる。神将にとって、女神は大切な存在なんだよ。供に戦ってくれる女神という存在はとても大切だ」


 学校で神将と女神はパートナー同士になれば、より強い力を神将に渡すことができるとだけ教わった。そして、今日は正式なパートナー同士は結婚することも聞いた。ベティーは気持ちが落ち込んでいく。

「だから、神将が女神を傷つけることは、僕たちが許さない」


 ジョンの神将としての言葉に、あの神将がベティーを脅した理由がわかったような気がした。自分を女神と認めていないからだ。神将から大切な存在として、認められていないからだった。ベティーはまるで、深い穴の前にいるような気持ちになった。女神をやめることなどできないし、世界機関から離れることなどできない。ベティーには、前へも後ろへも進めず、どこにも逃げ場所などなかった。


「さて、午後はカンザスでの報告かな」

 ジョンは体を伸ばすと首を回して、いつもの雰囲気に戻った。

 北米大陸の中央に位置する地名に、ベティーは興味を引かれる。女神と神将のことを考えていた思考から、意識が一気にカンザスという場所へと向かった。なぜだろうか、自分でもわからないが何かが脳裏に引っかかったのだ。ヨハンは、ベティーの顔を見て少し首をかしげた。


「ベティーくんが、何か言いたそうな顔をしている」

「いえ、その、お仕事のお話でしょうか? 」

 ベティー自身もよくわからない質問をしている自覚はあったが、何を聞いてよいかわからずにとっさにそう尋ねていた。二人は顔を見合わせ、少し肩をすくめた。


「うん、そうだよね、ちょっと説明しておこうかな。神団は一から九部隊まであるのは知っているよね。部隊ごとに役割もあるよ。神団の仕事は大きな魔物を相手にすることには間違いないけどさ」

 ジョンの金色の瞳がキラキラと光り、どこか楽しげだ。

「神団の役割としては3つ」

 ジョンはベティーの顔の前に三つ指を立てる。

「まず、一つはニューヨーク部隊が手に負えない魔物を相手にすること。二つ目は、地方の機関が手に負えない魔物を相手にすること。三つ目は、他の大都市でも手に負えない魔物を共同で倒すこと。今回は、地方都市コロラド機関からの要請を受けたんだよ。二つ目の地方の機関が手に負えないと判断して、大都市の神団に依頼してきたということだね。本来なら地方都市からの仕事は第二部隊の管轄なんだけど、うちに話が来たんだ」

「な、なぜでしょうか? 」

「うちは何でも屋だから、どのような案件でも出ていくわけだ。今回の案件はおかしなことが多かったから、僕たちに任務が来た」


 ベティーの脳裏にどこまでも続く平原が浮かんだ。カンザスは広い畑が世界の果てまで続いていくような錯覚に陥るほど、広大な農耕地だと学んだ。


「魔物が現れたのですか? 」

 ベティーの率直な言葉に、なぜか、ジョンは子供のように笑った。

「魔物はこの世界に来るけど、そう簡単にこちらに来られないのは勉強したよね。任務の中には、魔物とは関係ないガセネタのときもあるよ。魔物ではなく、人の悪意の場合もあるね。いもしない魔物が来ると騒ぐ者はたまにいるからね」

 それでは魔物は現れなかったということだろうか。


「魔物は現れないのでしょうか? 」

「魔物が現れる兆しがあると報告があったから調べたけど、現れないという結果になったということかな。子供の証言と百人もの死者が出たから神団まで話がきたけど、子供の証言は空想で百人もの死亡者が出た理由は、魔物とは関係ない別の理由だった。だから魔物は現れないという結論だ」

「子供の空想ですか? 」

 それで地方都市の機関から大都市の機関にまで、話がいくのが腑に落ちない。

 ベティーの考えていることがわかったのだろう、二人の副隊長はそろって苦笑した。


「大きな魔物は、突然この世界に現れるわけではない。授業で習ったと思うが、大きな魔物がこの世界に入るにはさまざまな条件が必要となる。別世界に存在する魔物たちがこの世界に入るには、世界の場所を正確に把握しなくてはいけない。そして当たり前のことだが、入る隙間がなければ入れない。魔物たちがこの世界を見つけてからはこちらに来やすくなったが、それでもあちらからそう簡単にこちらに来ることなどできない」

 ヨハンが淡々と抑揚のない声で説明をしてくれる。ベティーが頷くと、ヨハンは続けた。


「だから大きな魔物が現れる前には兆しがある。この場合は悪魔といった方がわかりやすいか。強大な悪魔が現れるときは、その兆候がある。魔物にも虫や獣のようなものから人型もいる。一番厄介なのが、古くからこの世界にちょっかいをかけているものたちだ。昔の人は、それを悪魔や堕天使と呼んだ。それが現れるときは、この世界の空間がずれるほどの大きなものだ。世界を引き裂き、こちらに来ようとするから、こちらの世界の次元がずれる。現れる前から、その場所は歪みと瘴気がすごい。私たちはそのような場所を早々に見つけ、あれらが来る前にこちらに来られないように、その場所の瘴気を払い、歪みを修復する。こちらに来てしまったときは滅ぼすか、元の場所に追い返すしかない。カンザスのその地区で、一つの村が一晩で全滅した。その場所に近寄るだけで死者が出ることから、一般の警察は魔物と判断してコロラド機関に連絡がいったということだ」


 ベティーは息を飲み、前のめりで話を聞き入った。

「それでは、その場所をコロラド機関の神将様が調べて魔物と判断したということですね」

 二人は、同時に苦虫を噛み潰したような顔になった。

「普通はそうなんだけどさあ。地方には神将が少ないから人手不足なのはわかるけどね。そのとき別の場所で大規模な魔物退治があって、ほとんどの神将がその任務についていたからカンザスの事件を調べる者がいなかったんだよね。だから現場を見ないでこちらに回してきた。でも、現場を見ていないのはひどいよね」

 ぶつぶつつぶやきながら、ジョンは腕を組んだ。 


「それで一般の議員や警察署長やらが騒ぐし、少し離れた隣の村の子供が大量の黒い虫を見たと大騒ぎをしてね。空を埋め尽くすほどの大量の黒い虫なんだって。魔物だ!となって、近辺の人たちはパニック状態。それで地方機関はこちらに丸投げ、いや、大都市へ要請が来たわけだ。でさあ、調べたら一晩で全滅した理由は、大昔に埋めて忘れ去られたプロパンガスが問題だった。プロパンガスが漏れてガス中毒で村人は死亡。子供が見たものは、その子供以外は見ていないことがわかったんだよね」

 ジョンはため息をつき、最後に機関に話を持ってくる前に警察が調べるべきだよねとつぶやいた。


 ベティーはいよいよ首をかしげる。

「警察は調べなかったのですか? 」

「うん。一晩で百人もの村人が全滅したことが怪異すぎて、ろくに調べずに魔物案件になった例だね。魔物案件と認定されると警察は調べないんだよ。そういうこともあるよ」

「子供が見たというものは?」

「その子供、ショーン・ライナくんはとても空想好きな子らしい。いつも空想を語るそうだよ。ショーン・ライナくんしか見ていなかったしね。うちの神将が村人が亡くなった村とショーン・ライナくんが住む村を調べたけど、瘴気も世界の歪みもなかったから子供の証言は空想ということになった」

「そのような任務もあるのですね」

 ベティーはそう答えながらも、このカンザスの事件の結末にどこかすっきりしない気持ちを抱いていた。それでも初めて聞く神団の仕事を知ることができたことに興奮した。他にもどのような任務があるのだろうかと興味が湧いてくる。


「亡くなった方はお気の毒だけど、魔物がらみじゃなくてよかったよ。それでね、その件を調べていたうちの者たちが戻ってきたから、ようやく全員を紹介できるよ。部隊の者たちをあとで紹介するね」

 ベティーは背筋を伸ばして立った。

 ベティーは第三部隊の神将たちを、まだ数人しか紹介されていなかった。全員を紹介すると言われ、今からガッチガチに緊張してくる。まだ会ったことがない神将がたくさんいるのだと思うと、練習だけでもしてくれる神将がいるかもしれないと希望を持った。

 そんなベティーを見て、ジョンは笑顔になった。

「今日じゃないよ、明日にしようね」

 ベティーは真っ赤な顔で大きく頷いた。

 

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