第42話 “咆哮”と“異変”

 森の奥――。


 濃密な葉陰の下を、リュシアンは駆けていた。息は乱れていない。ルーンによる身体強化を重ねていたためだ。


 彼の足元には、既に数体の魔物の屍が転がっている。裂けた胴体。焼け焦げた甲殻。鋭くねじれた骨。いずれも並の受験者では到底立ち向かえぬ強敵だった。


 だが、リュシアンの表情は晴れない。むしろ、険しさと苛立ちを増していた。




「ちくしょう……なんだってあんな女に……」




 拳を握りしめる。伯爵家に生まれ、ルーン魔術師としての才を伸ばしてきたという自負。


 筆記でも上位の成績を収め、実技でも秀才と称された自分が、あの場で何もできなかった――いや、「何もさせてもらえなかった」現実が、リュシアンの胸を焼いていた。


 彼の脳裏に、自分の複合ルーン魔術が完全に『防がれた』光景がよみがえる。あの奇妙な筆。常識外れの漢字魔術。


 スミゾメ・オウカという―――異形の才。




 「こんなはずじゃなかった……」




 顔をしかめる。眉間に刻まれるのは、悔しさと焦燥。

 地面に膝をつく魔物に容赦なく魔力を叩き込むたびに、胸の内の苛立ちも暴れまわっていた。


 ――と、その時。背後から、細く鋭い足音。




「リュシアン!」




 振り返ると、イレーヌが息を弾ませて駆けてくる姿があった。彼女の服には泥が跳ね、髪にも枝が絡んでいたが、迷いのない眼差しは真っ直ぐに彼を捉えていた。




「追いついた……もう、無茶ばっかり……」


「来るな!」




 リュシアンは叫ぶように手を振る。苛立ちが声に乗り、鋭く森に響く。


 


「お前の助けなんかいらない! 一人でやれる! ……やれるはずなんだ……!」




 最後の言葉だけが、どこか掠れていた。


 イレーヌは一瞬、言葉を飲み込んだ。


 目の前の少年――彼は確かに優秀だ。

 だが今、その背中は、過去のプライドと、目の前の現実との狭間で揺れている。焦りが、判断を鈍らせ、苛立ちが言葉を棘に変えていた。


 自分の渾身の魔術が、オウカにまったく歯が立たなかった。

 彼にとって、もはやトラウマに近い挫折だったのだ。




「……そう。じゃあ、しばらくは何も言わないわ。でも、倒れたら……そのときは、どんな文句を言われても助ける……一応、同じチームだから」




 イレーヌは、静かに言葉を置いて、距離を保ったまま後ろをついていく。リュシアンはそれを無言で許し、再び森の奥へと進み始めた。


 顔を見られないように、少しだけ視線を逸らしながら。











 重苦しい沈黙が、二人の間を埋めていた。


 リュシアンは前を見据えたまま無言で歩く。

 イレーヌは一定の距離を保ちつつ、その背中を追っていた。


 何度か声をかけようとしたが、言葉にならない。表情には焦りが浮かんでいる。


 


(早く砦に戻らなきゃ。オウカのことだから、多少の敵じゃ歯牙にもかけないと思うけど……)




 それでも、今のリュシアンの不安定さを考えれば、彼を放置することはできなかった。チームとしての行動を早く再開しなければならない。


 そんなときだった。




 ――グワアアアアアァ……ッッ……!




 森を、岩山を、湖を、演習場全体を震わせるような、


 “咆哮”が響いた。


 それは音というにはあまりにも異様で、不快で、得体が知れなかった。動物とも獣とも、人の声ともつかぬ、怒りと呪いが混じり合ったような、存在を否定するような音。


 リュシアンもイレーヌも、思わず立ち止まる。


 


「……なに、今の……」




 イレーヌの声がかすれた。体が小さく震える。

 心が――否、魂そのものが否定されるような、そんな圧迫感。




「っ……う、あ……」




 リュシアンが額を押さえ、よろめいた。喉の奥でうめき声を漏らす。


 


「どうしたの!?」




 駆け寄ろうとしたイレーヌも、すぐに自分の異変に気づいた。


 頭の奥がじわじわと痛む。身体に染みついていた魔力の流れが、まるでせき止められたように、冷たく淀んでいく。




「これ……何かが、魔力の流れを……根本から……!?」




 血が逆流するような感覚。自身の杖にすら、いつも通りの魔力が通らない。


 


「さっきの咆哮……あれはただの音じゃない……!」




 森の奥に、重苦しい沈黙が戻る。

 しかし、咆哮の余韻が森に染みついたように、空気は重く、湿っていた。


 リュシアンとイレーヌは未だ魔力の流れに違和感を覚えながらも、足を止めることができなかった。


 そこへ――枝を割るような足音と、誰かの叫び声。


 


「うわああああっ、こっち来るなッ! 来るなぁ!!」




 森の陰から飛び出してきたのは、見覚えのある三人組。別のチームの受験者たちだ。みな息を荒げ、顔面蒼白で、背後を振り返りながら走っていた。


 


「リュシアン、イレーヌ!? おい、魔物だ! もうダメだ、お前たちも早く逃げろッ……!」




 その受験生の警告に、リュシアンが怪訝な顔をする。


 


(なんだ……あいつら、杖は持ってるのに、魔術を――)




 いくら逃げることに必死だったとしても、ルーン魔術で抵抗することはできるはずだ。

 走って逃げながら空中にルーンを描き、ᛏ(テイワズ)でもᚦ(スリザズ)でも≺(カノ)でも―――いくらでも手はあるはずなのに。



 ギュィイイイイイーーーッ!!



 その時、木々の向こうからぬっと現れたのは、背丈の二倍ほどもある四足獣――甲殻に覆われた異形の魔物だった。

 目は濁り、口から泡を垂らし、逃げ惑う受験生たちを追いかけている。




「まずい、助けなきゃ!!」




 戸惑うリュシアンをよそに、イレーヌは即座に長杖を構え、杖の先端から光を出し始めた。


 


 イレーヌは素早く、空中に鮮やかな光文字を描いた。




 「ᛏ(テイワズ)――!」




 だが――


 杖の先から放たれるはずの青白い矢は、ひとすじの光すら生まれなかった。


 


「……えっ?」




 思わず息を呑むイレーヌ。




「何やってんだ!? こんな時に!」




 リュシアンが怒鳴るように叫び、すぐさま自らの杖で同じルーンを描く。


 


「ᛏ(テイワズ)――ッ!」




 辛うじて放たれた魔力の矢は、か細い光線となって魔物の顔面に突き刺さった――が。


 ズンッ。


 衝撃の音と共に、魔物の頭がわずかに揺れただけだった。


 


「効いて……ない……!?」




 魔物は咆哮を上げて突進してくる。その足取りは獣というより、まるで本能だけで動く兵器のようだった。


 


「ちょっ、ちょっと待って……どういうことよ……!」




 イレーヌの声が震える。


 リュシアンの攻撃魔術の力は、受験生の中でもトップクラスだった。普段の彼の、ᛏ(テイワズ)なら、あの魔物の頭を吹き飛ばしていてもおかしくなかった。


 だが、今放ったリュシアンのᛏ(テイワズ)は、普段のイレーヌのテイワズよりも弱い威力だった。


 2人の背後で、倒れ込んで逃げてきた受験者の一人が、息を切らせながら答えた。




「2人とも、違うんだ……魔術が……使えねぇんだよ……あの咆哮のあとから……俺たちの魔術が、まともに発動しねぇんだ……!」


「まじでわけかんねえ……いくら全力でルーンをぶつけても、子どもレベルの威力しか出ないんだ……!!」




 その受験者の少年たちの報せを聞いて、リュシアンとイレーヌの顔が青ざめる。




「そんな馬鹿な……!」




 リュシアンが唇を噛む。


 ――魔力の奔流が、どこかで歪められている。


 ――自分たちの“文字”が、届いていない。


 それはまるで、ルーンそのものが「力を持たない記号」に成り下がったような……魔術師にとって、最悪の悪夢だった。










 ◆◆◆お礼・お願い◆◆◆


 第42話を読んでいただき、ありがとうございます!!



 こ れ は ひ ど い(デバフが)



 この作品では、元ヤン書道天才ガールが、ルーン文字魔術の世界で破天荒に活躍する冒険活劇になります!!!!


 ちょっとは面白そうだから応援してやるぞ、鈴村ルカ!!


 オウカのキャラクター性が面白いじゃないか!!


 斬新な設定で、楽しめそうだ!!


 と、思ってくださいましたら、


 ★の評価、熱いレビューとフォローをぜひぜひお願いします!!


 皆様の温かい応援が、私にとってとてつもないエネルギーになります!!


 鈴村ルカより


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