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 不思議な体験をまた綴ろうと思う。

 いつも通り僕の実体験なので、怪談みたいにしっかりしたオチは何もないです。あしからず。


 これは僕が小学校の四年だか五年生の頃の話。

 当時、それなりに親しかった親戚のおばさんが病気か何かで入院してた時期があった。家族でお見舞いに行くことも多く、週末にはドライブも兼ねて、その病院に車を走らせるのがその時期のルーティンになっていた。

 おばさんが入院してる病院は少し田舎のほうにあって、病院の周囲には山というか雑木林に囲まれて、広い駐車場と病院職員のための別棟があるくらいの場所。病院としては一般病棟ともうひとつ小児病棟が併設されていて、子供とすれ違うことがそこそこ多かった記憶がある。


 何度かおばさんのお見舞いに行くと、子供だった僕には難しい大人の話をするために僕はときおり待合室みたいなところで待たされることがあった。そこは何もない(テレビがあるくらい)わりと自由な空間で、同じくお見舞いにきた人や歩き回れる程度の入院患者なら出入りできる空間だったと思う。

 毎週末、利用するので当然のことながら顔見知りができる。同世代の長期入院してそうな子や、年上の子などちょっとした知り合いも増えた。僕もバカじゃないので、あきらかに病気の副作用だろう外見の変化のことなどは気にしないフリもした。


 それから、おばさんの具合も良くなってそろそろお見舞いすることも終わりそうな頃。

 相変わらず殺風景な待合室で、そこにいた顔見知りと暇を潰して待っていると、しばらくして両親が戻ってきて「おばさん、もうそろそろ退院だって」と僕に伝えてきた。喜ばしいことだけど、正直、不謹慎ながらせっかく出来た友達と会えなくなるのは面白くなかったのも事実だった。


 次の週末、たぶん最後のお見舞い。何事もなく終わり、僕もこの待合室がきっと今日で最後になるだろうことを予感しながら、友達になった同世代の入院患者と普通にいつも通り遊んで、普通にいつも通りバイバイをした。もう会えないだろうことは言えなかった。

 夕暮れ時、病院を出て、駐車場を歩き、父親が運転する車までの道すがら。先を歩く母が「なにこの汚れ」と変な訊き方をする。その汚れは僕が普段乗っている助手席の窓ガラスに付いていた。

 手形だった。

 大人じゃない小ぶりな手の平の痕が、ひとつ窓ガラスについていたのだ。

 子供の手形である。不思議だったのが、そこだけ手の形にホコリが取れていたわけじゃなく、黄色い粉というか花粉みたいなものが手の形となって窓ガラスに残っていたのだった。


 びっしり無数の手痕が残ってたら怪談として優秀なんだけど、ひとつだけだったので誰かのイタズラという線も捨て切れないのが難しいところだ。

 けれど、わざわざ田舎の病院の駐車場で黄色い粉の手形を付けるか? という疑問のほうが実際大きい。

 あれはなんだったのだろうか。



おわり。

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