第20話

 しんと静まり返る天守閣。

 三人の目が私に向かっていた。

 冷え込む私の目を直視しているのは隣にいる彼だけ。


「ルル……?」


 小さな私が泣いている。

 何もできずに花を摘み取られるのを眺めていた。

 ピシリ

 もう繰り返したくない。

 ピシリ

 だから私は原因を潰さないといけない。

 ピシッッ


 一段と大きな音とともに強烈な光が彼女の紫色のピアスから溢れ出した。

 溜め込まれた虚力コーリーは鮮烈な輝きと合わせて彼女を包み込む。

 それは紫色の光であった。


 殺意に閉じこめられた思いは死と復讐。

 その感情はまさに冥界を司る紫に相応しい色であった。

 光はやがて収束を始め彼女の胸の前に形を成していく。

 一冊の本だ。表紙には羽根と心臓を天秤にかけた絵があるだけの黒い本。

 

 ある世界ではそれは魂を冥界へ誘う書物と知られた。

 行き着く先は楽園か永遠の死か。それを知るのは天秤だけ。


「【死者の書ツリン・パピルス】」

「ヒイイイッッ」


 目前の男が死ぬなら悪魔にでも魂を売らんとばかりの気迫。

 彼女は魂の叫びをその本に集めた。


「駄目だよ、ルル」

 浮遊する本を動かそうとするルルにグノスィは待ったをかけて腕を掴む。

「離して」

 しかし彼女は冷たい声で彼を拒絶する。

「離さない。この男を今殺しちゃ駄目だ」

「離して! あの子たちの仇が目の前にいるの!」

「それでも駄目だ」

「この男がいなければ私の家族は生きていた! 死ななかった!」

 震える声で、涙が滲む目で、鼻をすすり、美しい黒髪を乱れさせ、ドレスの裾を握って。彼女はまるでセイレーンのように美しく声を響かせる。


「ルルが今こいつを殺したらどうなる?」

 

 殺人は法で禁止されているのはこの国でも同じだろう。

 相手が罪人だとしても殺せば罪だ。

 それに彼女の代わりは見つからないかもしれない。

 ならばここで退場されては困る。それをわからない彼女ではないだろう。

 それにまだ疑問はある。


「ルルの復讐はコイツを殺せばどうにかなるの?」


 腰を抜かして口をパクパクと動かしているポーロ。

 そして静観に決め込む国王。


「ならない……けど!」

「何も法に触れる必要はない。殺す必要なんてないんだ。だから、ルル」

 小さな頭をゆっくりとなでて胸の中へ収める。

「大丈夫。後は任して」


 嗚咽を出さないように口を服に押し付けるルル。彼女が頷いたのを確認すると、グノスィはゆっくりと息を吸い込み、さらに吐き出す過程で脱力する。

(虚力の使い方はもう覚えた。後は実践するだけ)

 「【三の法・睡魔の襲撃】」

 耳から流れる虚力はやがて昇華して埃が可視化するチンダル現象のようにへたりこむポーロの頭上に降り注いだ。

 するとポーロはそれを吸い込んでしまい、一気に視界が暗転し、本人もそれを自覚しないまま前方に倒れた。


「国王よ、後始末は頼んでもよろしいかな?」

 グノスィの言葉に一瞬国王は目を瞬く。しかしすぐに口を大きく開けて笑い始めた。

「くっくっくっ、くははははは! 私に命令するか! あやつでもそんなことしなかったぞ! 二代目よ!」


 きっとそれは初代を指しているのだろう。だけれどもそれは私ではない。

 英雄のまとめ役が初代なのだとしたら、私はそれを越えなければならない。

 越えなければ彼と同じ結末を辿るかもしれないからだ。

 

「売国奴は拷問の末に意図せぬ事故で死亡、これでよろしいかな?」

「……いいよね、ルル?」

「コクッ」


 一滴も血を流さずに事を終える。これが最善策だ。

 ポーロは闇の中へ葬られるがどちらにせよ極刑に相応しい人間だ。

 これでいいんだ。そう自分を納得させた。


「帰ろう、今日は疲れた」

「ん……」

「あとで使いの者を送ろう。姪の件もあるからな」

「わかりました。ではこれにて失礼します」

 退室し足音が遠ざかるのを確認すると、国王はほっと一息ついた。

(ようやくだ……長かったぞ、ゆう。約六十年か……私も老いたな)


「おい」

「はっ」

 国王が言葉を発するとどこからともなく声が返ってきた。

「この者はあそこに連れていけ」

「……承知いたしました」

 中性的な声は息を呑む気配を隠しながら返事を残してポールとともに完全に消え去る。




 ♢♢♢



 南西洋のとある島、その宮廷の一室において。

「ルーク、約束通り情報を渡してもらうぞ」

「ちっ、こっちは帰ってきたばっかりだってのに少しは休ませろよ、守銭奴が」

 金髪オールバックで細身のルーク・ガランドルフは吐き捨てるようにソファで足を組んでくつろぐ眼鏡をかけた男に言った。

「こちらも忙しい。今宵の会議までに情報を集めておかなければならないのだよ」「去年と変わんねえよ。ただ──」

「ただ、なんだ?」

 吊り目を細めて男は言った。

「おもしれえやつが今年は出てきそう、かもな」

「おい、ちょっと待て。それについてもっと詳しく聞かせろ」

「めんどくせえ。三時間寝るからその後にしろ」

 そう言って手を振って部屋から移動していくルークの後姿を見ながらさらに男は話しかけた。

「こちらも有力な情報を手に入れたんだがな……」

「……ああ?」

 ルークは苛立ちを隠さずに肩越しに振り返る。

「ウルフについてだよ」

「ウルフ……?──────!」

 目に見えて動揺の色を表に出すルーク。


「ちょっと待て……お前、何言ってんだ!?」

 信じられない様子でルークは声が大きくなる。


!?」

 しかしそれに対して青髪の男は冷静に、だが深刻な様子で答えた。

「生きていたんだよ、死神は。【生気のない軍神】と呼ばれた男はな」

 疲労と眠気は吹き飛び男の体面に座る。

「早くその話聞かせろよ。ギア──」



 ♢♢♢




 フォックスアイランド和水城の地下牢獄。

 大罪人のみ収容されるこの場所を知る者は数名しかいない極秘の施設。

 ただし彼らはことごとく出血死や自殺で死亡したため現在はポーロ以外に牢獄に居るものはいなかった。

「う、うーん……はっ!」

 目が覚めるとポーロはぼんやりとする頭を動かして暗闇の中に目を走らせる。

 壁に飾ってある血の付いた錆ありの拷問器具。

 針が飛び出す椅子に先端のとがったものや天井からぶら下がるヘルメット状の器具。

 そして鼻をつんざくような強烈な腐敗臭。掃除の形跡すら見えない床には糞尿がそのまま残り続けている。

「おえええええ!」

 悪臭に耐えられず胃の中のものを吐き出すポーロ。

 しばらくすると出せるものもなくなり、嗚咽だけが反響する。

「──はあはあはあ。ここはまさか……地下牢獄か? だとしたら……いやだ! ここから出してくれ! 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!」

 肥溜めの臭いも気にすることなくポーロは助けを求める。しかし返ってくるのは静寂のみ。それすなわち、誰も傍にいないことを示しているも同然のことだった。

 手足を鎖に繋がれたポーロ。ベッドの上に寝かされて裸一貫。

 口は遮られていないが助けを求められそうな窓もない。

 まさに絶体絶命の状況であった。

「はっ、はっ、こ、こうなったら仕方ない。最後の手段だ!」

 そして彼はすぐに行動を起こした。あおむけの状態でいきみ始めたのだ。

 実際何をしているのかというと、大便をしたいのではなく。

 肛門から緊急用の通信機を取り出していたのだ。

「よしっやったぞ! 成功だ!」

 希望が見いだせたことに喜んでいるのか、彼は手足も動かせないのに安堵の感情を抱いていた。

 しかしそれはすぐに絶望に変わる。


「何がやったなんだ?」


 暗闇から声が聞こえる。中性的な声ではない。若い声にも老人のようなしわがれた声にも聞こえる。ただ性別が男であることだけはわかった。

「ひっ! い、いやなんでもない。私は何もしていないぞ、ここから出せえ!」

 支離滅裂な言葉を並べ立てるポーロ。それに対して彼は鼻をつまみながら格子からポーロを冷たく見下ろしていた。

「相変わらずくせえな、ここは。ところでよ、。寝小便は治ったか?」

「…………は?」

 ポーロは突然の話に混乱する。己をそのように呼ぶ人物に心当たりは一人しかいなかったからだ。

「なぜ、なぜまだ生きている……?」

 廊下の暖色の明かりが男の姿を映し出した。

 白髪の。白いTシャツに黒のパーカー。顔に髭はなく若者のようだが雰囲気がそれを老年のものとする威圧感があった。


「先日うちの船が難破した。船員は一人残らず細切れにされていたそうだ」

「細切れか……」

「ああ、そうだ」

 ──もう二度とやつの好きにはさせられん。何せやつは──。


「面白いことやってるようでなによりだぜ。だが残念だったな。お前はここでげぇむおーばーだ」

「来るな……来ないでくれ……」

「荒らしに戻ってきてやったぞ──」

 

 たった一人で乳獣人ビースターの王国を滅ぼしたんだから。




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