妖怪たちのバレンタイン――若狐と花言葉
今や日本の行事として浸透したバレンタインであるが、日本発祥ないし日本特有のイベントではない事は言うまでもない。横文字である事からも明らかなように、バレンタインデー発祥の地は西欧である。元々はとある聖人が処刑された事を偲ぶための記念日だったのだそうだが、詳細はひとまず脇に置いておこう。
重要なのは、日本で行われているバレンタインが、発祥の地のそれや、他の国で行われるものとは異なっているという事である。日本式バレンタインでは、女性から意中の男性にチョコレート等をプレゼントする物であるとされているが、それも日本では「プロポーズを行うのは男性から」と言った固定観念があった事が大きいらしい。いずれにせよ、国外でのバレンタインは日本のそれとは異なった様相を呈している。その事は源吾郎も知っていた。ネットで調べれば拾える程度の知識ではあるが。
そしてその源吾郎が注目したのは中国式バレンタインこと
ちなみにこの事は、米田さんにはまだ打ち明けてはいない。不意打ちでのサプライズプレゼントという側面も持ち合わせていた。来年以降は源吾郎の情人節の事は米田さんも知る事となるだろうが、初回は驚かせてみよう。そんな風に源吾郎は目論んでいたのだ。
※
「へぇ。バレンタインのプレゼントをもらうだけじゃあなくて、島崎君の方からもプレゼントしちゃうのね。何と言うか、島崎君らしいわねぇ」
「いやはやそうっすよ。島崎先輩って、大人しそうに見えるけれど中々情熱的な所も持ち合わせてますし」
昼休み。源吾郎は雪羽に工場棟の食堂に連行された。源吾郎が楽しみにしているというバレンタインの全容について聞き出すためである。そして連行された先には、当然のように鳥園寺さんもいた。但し、彼女の隣には、同僚と思しき化け狸の女性も控えていたのだが。婚約者にして将来の婿である柳澤はいなかった。仲の良いカップルではあるものの、流石に職場ではいちゃつかないらしい。
ともあれ源吾郎は、この度のバレンタインのプランについて、促されるがままに口にしたのだ。別に強要された訳では無い。むしろ源吾郎もノリノリで、情人節について語った。もちろん、自分がこれを実践しようとしている事も。
ひとしきり説明が終わった所で、鳥園寺さんが再び口を開いた。その面には、何故か微妙な表情が浮かんでいた。
「それにしても、中国のバレンタインでは、男の人が薔薇の花束とかをプレゼントするだとか、そんな所までよく調べたわねぇ。確かに、島崎君は大陸文化にも詳しいし、色々と執念深く取り組む子だって事は知ってたけれど」
「いえいえ鳥園寺さん。情人節だって、ネットでちょっと調べれば出てきますってば」
源吾郎は少し照れながら、軽く首を振った。大陸の文化に精通していて博識だ。鳥園寺さんにそんな風に思われているのではないかと思い、少し気恥ずかしくなってしまったのだ。
ところが、鳥園寺さんはそんな源吾郎に冷ややかな視線を寄越すだけだった。
「ねぇ島崎君。まさかそのプレゼントとやらって、本当に薔薇の花束とかじゃあないわよね? いやまぁ女の子にもよるけどね、付き合って間もない頃の彼氏からそんなのを貰ったら、喜ぶよりも引く可能性の方がむしろ高いから」
「引くどころかちょっとしたホラーかもしれないわよね。特に島崎君は、玉藻御前の末裔だって事もみんな知ってるし」
鳥園寺さんの言葉に、斎藤とかいう化け狸の女性も同調した。ホラーというのは言い過ぎだろう。そんな事も脳裏をかすめたが、源吾郎は空気を読んで何も言わなかった。愛の重さが負担になり恐怖を引き起こすであろう事は、流石に源吾郎も知っていたからだ。特に、女性陣の方がそういう事に敏感な事も。
更に言えば、斎藤さんが言うように、源吾郎は玉藻御前の末裔でもある。実際の源吾郎の挙動がさておき、色恋沙汰の方面で悪いイメージが憑き纏ってしまうのは致し方なかろう。
「鳥園寺さんも斎藤さんも安心してください。流石に僕だって、付き合って間もない米田さんに、薔薇の花束などを渡すのはちょっとアレだって心得ていますよ。二本や三本の花束ならいざ知らず、十二本でも結構かさばるし目立つと思うんです。百八本ともなれば相当な物ですから、何も知らせずに渡すような物でもないかと、僕も僕なりに配慮してるんですよ」
「……島崎君って、もしかして花言葉も詳しかったりするのかな?」
「もちろんです。気にしない方もいるかもしれませんが、知らないよりも知っている方が面白いですし、役に立つ可能性もありますのでね」
問いかけた斎藤さんの表情が若干引きつったような気がするが、まぁそれは気のせいだろう。源吾郎は特に気にせず言葉を続ける。
「それに米田さんもご多忙なお方です。生花のお世話をなさる余裕もないでしょうし、何よりそうであれば、お花も可哀想ですからね」
「島崎君って何のかんの言いつつも優しいのね。彼女だけじゃあなくて、お花の事まで気に掛けるなんて」
さも感心したように呟いたのは鳥園寺さんである。彼女は使い魔のアレイを従え、実家にいた頃は飼い鳥の面倒を見ていたという。生き物を飼い養う事の重みを知っているが故の発言だと、源吾郎はぼんやりと思った。小鳥と生花では世話をする度合いや寿命は全く異なってはいるけれど。
源吾郎は尚も言葉を続けた。
「かといって、消えものであっても少々味気ないように思いましてね。もちろん、食べて美味しいとか嬉しいと思うでしょうけれど、その後に残るものはありませんし……」
「お花でもお菓子でもないのなら、一体何を用意したのさ、島崎先輩?」
雪羽は焦れたように声を上げる。源吾郎はそれに応じようとしたのだが、それよりも先に雪羽は言葉を続けていた。何かに気付いたと言わんばかりの、何とも得意げな笑顔をその面に浮かべながら。
「あ、もしかして、お菓子はお菓子でも山吹色のお菓子とか? あれは良いぜ。どんな女の子だって喜ぶし、それどころか男連中も大喜びするからな!」
「何言うてんねん、雷園寺!」
山吹色のお菓子とやらを嬉々として語る雪羽に対し、源吾郎は思わず語気を荒げてしまった。
「そんな、お金がプレゼントだなんて、身も蓋も無いようなアホくさい話はしないでくれよ。友達や恋人同士で金銭のやり取りをするなんて、恐ろしく不健全な事だぞ」
源吾郎はそこまで言うと、女性陣の方に視線を向けた。
「鳥園寺さんに斎藤さん。お二人も雷園寺のやつに何か言ってやってください」
雪羽は気前の良いような事を言っているつもりなのだろうが、そんな事だから昔は散々利用されてしまったのではないか。今は下賤な取り巻き連中とは縁が切れたし、まっとうな妖怪に育つべく再教育プログラムも進められているはずである。だというのに、雪羽の考えはかつてのままなのだろうか。
ともあれ、源吾郎は鳥園寺さんたちにも雪羽の考えを正して欲しかったのだ。
だが、鳥園寺さんと斎藤さんは互いに顔を見合わせ、それぞれ微笑んだり微妙な表情を浮かべたりしながら口を開いたのだった。
「……うん。生真面目な島崎君が、ユキ君の話を受け入れられないのは解るわよ。でもね、正直な所ユキ君の気持ちも解るのよねぇ。ていうか、私なんてむしろ一番目の彼氏に貢ぎまくってたこともあるし」
鳥園寺さんの表情には、悔恨と過去の恋への追憶が入り混じって何とも複雑な物だった。彼女の男性遍歴について源吾郎も多少は知っているので、敢えて何も言わずに彼女を見つめるだけにしておいた。おっとりとしたお嬢様で裕福だったため、彼女も男絡みでは色々と苦労してきたのだ。婿となる柳澤氏とは是非とも幸せになって欲しいと、源吾郎も雪羽も割と真剣に思っている。
「まぁ、確かにプレゼントの一種としては、お金って言う選択肢も満更悪くないかもしれないかな」
ややあってから、斎藤さんもそんな事を言った。
「もちろん、取り巻きとかちょっと親しい程度の相手にバラまいたり、貢いで自分の生活が立ち行かないレベルまでやっちゃうのは考え物だけどね。でもさ、食べ物にしろアクセサリーにしろ何にしろ、好みの問題ってあるでしょ。彼氏が良いかなって思ってチョイスしたものが、彼女にとっては気に入らない場合だってままあるし。お金だったらまずそんな事が起きないじゃない。お金自体の互換性がえげつないから」
冷静で的確な斎藤さんの言葉に、源吾郎もただただ唸るほかなかった。彼女の言い分は納得できる要素が十分にあったからだ。しかもその上で、雪羽や鳥園寺さんの所業についてもたしなめている訳であるし。
もっとも、源吾郎が求めていた言葉とはかけ離れていたが。
前置きはさておき、源吾郎が米田さんにと用意したのは、山茶花の花をあしらったヘアアクセサリーであった。ロングヘアーというほどでは無いにしろ、米田さんは髪を伸ばしており、それをリボンなどで結んでいたからだ。
指輪やネックレスなどであれば高価に見えるし重たいと思われてしまうであろうが、髪留め程度であれば向こうも受け取りやすいだろうと源吾郎は思っていたのだ。
しかもモチーフである桃色の山茶花には「永遠の愛」という花言葉もあるという。源吾郎がその事を承知でチョイスしたのは言うまでもない。とはいえ山茶花の花言葉は薔薇や百合よりもマイナーなので、そうした点は気付かれないだろうと源吾郎も思っていた。いかな源吾郎と言えども、米田さんに「こいつ愛が重すぎるわ……」とドン引きされるのは避けたい所だった。
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