一〇章 愛する娘のためなら、おれは料理だってできる

 最近、百合ゆりの様子がおかしい。

 いつもあんなに元気で明るかった娘がここ最近は妙におとなしい。毎日くるくると立ち働き、ときにはハミングなどしながら家事をこなす姿はまるで小鳥が舞っているようで、それを眺めているのは私の大いなる喜びだったというのに。

 ベッドに寝転がったり、ソファに座り込んでじっとしていることが増えた。肌のつやも悪いようだ。笑顔も減った。私の前では努めて笑顔を振りまくようにしているようだが、ひとりのときは――もちろん、監視ロボットでチェックしているのだ――表情も暗く、沈みがちだった。食事中なども茶碗と箸を手にしたままぼおっとしていることが目立つようになった。食事量が減っているのも心配だ。

 「百合」

 私は目の前に座り、箸の先を口のなかにいれたままもそもそと元気なさそうに食事をしている百合に話しかけた。答えはない。いままではいつでもどんなときでも、私が声をかければすぐにうれしそうに反応したというのに。

 「百合」

 もう一度、声をかける。やはり、反応はない。

 「百合!」

 怒鳴るようにして言った。

 「えっ? な、な、な、なに?」

 百合はようやく気付いた。あわてふためいて箸を落とし、私を見る。

 「あっ、お代わり? ご飯? 味噌汁?」

 「いや……。最近、ちょっと様子がおかしいからね。なんだか、疲れているようだ」

 「そ、そんなことないって! いまのはたまたま。へへっ……」

 と、百合は笑いながらイタズラっぽく舌を出し、小首を傾げながら軽く自分の頭をこづいてみせる。何ともかわいらしい仕草だが、いまはその姿を堪能たんのうしている場合ではない。

 「本当か? なにかあったら遠慮せずに言いなさい。ふたりきりの父娘なんだからね」

 「だいじょうぶだってばっ! ほらっ……!」

 百合はわざとらしく両腕をあげ、体操するように上下に動かしてみせる。

 「最近、部活の練習がハードになってるから、そのせいよ。気にしなくていいわ」

 「そんなにハードなのか?」

 「うん。大会が近いから、先輩たちが強化練習中で、百合たち一年も手伝いやら、付き合いやらでたいへんなの。瑞樹みずきもぼやいてたわ」

 百合はあくまで笑顔で言う。いつもの自然な笑顔ではなく、見え見えの作り笑い。それだけに痛々しかった。

 「そうか。ならいいが。だけど、むりはするなよ。スポーツもやりすぎると返って体に悪いそうだからな」

 「うん、ありがとう。でも、だいじょうぶ。いまだけのことだから……」

 と、言いつつ百合はご飯をかきこんだ。元気そうに見せるためと、それとおそらくはこれ以上、会話をつづけたくなかったためだろう。『いまだけ』などでないことを百合はよくわかっているのだから。

 当たりさわりのない会話をしておいたがもちろん、『部活がハードになっている』というのが嘘であることを私はしっている。毎日のその様子を会社の秘密オフィスから眺めているが、いままでと変わったところは別にない。そもそも、百合の通う華南中は進学校なので、部活にはさほど力を入れていないのだ。

 百合が疲れているのは明らかにユーリとしての活動のせいだ。いくら幼い頃からその目的のために鍛えてきたといってもまだ一三歳の女の子。

 悪党ども相手の苛酷な戦いが心身に応えないわけがない。第一、百合はやさしい娘だ。

 いくら人の道を踏み外した外道相手と言えど、力ずくでやっつけることにはさぞ抵抗があるのだろう。肉体以上に精神の消耗が激しいのかもしれない。

 それでなくても主婦業と学生の二重生活だ。おまけにこの年頃は人生でも一番むずかしい頃。悩んだり、傷ついたり、色々だ。

 そこへきて正義のスーパーヒーローとしての活動もしなくてはならないとなれば、疲れないほうがどうかしている。

 それでも百合は私に心配させまいと気丈にふるまっている。どこまで健気な娘なのだろう。私は百合の心根を思い、涙をこらえるのに必死だった。

 それにしても、私はひどい父親だ。娘の健気さに甘え、こんな苛酷な生活を押しつけているとは。世間一般の親たちは子供にはなるべく楽な道をいかせてやろうと心を配っているというのに。あまつさえ、あのシン・グとの戦いをさせようとしているとは!

 私は自分の非道さに泣きたくなった。だが、いまさら引き返すわけにはいかない。正義を守るためには誰かが犠牲にならなくてはならないのだ。そうでなければ結局、誰もが苦しむことになる……。

 とはいえ、いくら正義の魂を燃やしたところで親の情を断ち切れるものではない。少しでも百合の負担を軽くしてやりたい。子供らしい人生も与えてやりたい。

 そのために何ができる?

 私はどうすればいい?

 自問した結果、ひとつのアイディアが閃いた。

 「そうだ、百合!」

 「なに?」

 突然、笑顔を浮かべて大声で呼んだ私の態度に驚いたのだろう。百合は箸をくわえたまま、目をぱちくりさせて私を見た。

 「今度の日曜、一緒に遊園地にいかないか?」

 「遊園地?」

 「そうそう。昔はよく一緒にいったじゃないか。観覧車やら、コーヒーカップやら。昔を思いだして、弁当をもっていってみないか?」

 「わあ、いく! 絶対いく!」

 百合は目を輝かせ、満面の笑顔で言った。ようやく子供らしい無邪気な姿になった。うん。やはり、子供はこうあるべきなのだ。

 ところが、満足している私の前で百合はたちまち心配そうな様子になった。顔をちぢめ、不安げな上目使いで私に尋ねる。

 「あっ……。でも、パパ、お仕事いいの? いつも忙しいんでしょ?」

 その言葉に私は胸を刺し貫かれた。なんと健気な言葉だろう。百合は一三歳。親の都合など気にせず、自分のことばかり考えて、わがままを言ったり、甘えたり、それこそ『ひとりの部屋がほしい!』と駄々をこねたり、急な仕事で遊びにいく約束をキャンセルした親に向かって怒ってみせたり……そんな年頃なのだ、本来は。自分の子供時代を振り返ってみればよくわかる。

 それなのに、自分のことより親のことを心配するたとは。この娘は私のためなら自分のことなどすべて犠牲にするのだろう。

 こんなできすぎの娘に育ってしまったのは私のせいか。私が幼い頃から正義のヒーローとすべく教育してきたせいで、親に対してさえ自己犠牲の精神を発揮する子供にしてしまったのか。

 なんと罪深いことだろうか。地獄などというものがあるのなら、私は直行するにちがいない。

 これは何としても主婦業からも、正義のヒーローの役割からも開放して羽を伸ばさせてやらねば!

 私はいまやほとんど使命感にかられて畳み込んだ。

 「大丈夫、大丈夫。最近はそれほど忙しくもないんだ。それに、パパの方こそたまには童心に帰って憂さ晴らしをしたいしな。といって、この歳の男ひとりで遊園地にはいきづらいし。どうだ? パパのために付き合ってくれないか?」

 「んっー、そういうことなら……」

 百合は斜め上などを見上げながら『仕方ない』といわんばかりのおとなびた口調で言ったが、内心では大喜びなのが手に取るようにわかった。やれやれ。私はほっとした。百合のためではなく、自分のため、ということにしたのが効を奏したようだ。『パパのお願いに付き合う』ということなら、百合としても気を使わずにすむのだろう。

 百合はとたんに笑顔になって言った。

 「それじゃ、うんとおいしいお弁当作るからね。食べきれないぐらい用意するから楽しみにしててよ」

 「ああ……」

 と、答えかけたところでまたしてもすばらしいアイディアが閃いた。

 「いや、まて。百合」

 「なに?」

 私は『ふっふっふっ』と悪役笑いをするような態度で言った。

 「お弁当はパパが作ろう」

 「えっー、パパがあっ!」

 百合は目と口をいっぱいに開いて三つのOの字を作り、体をのばして驚いた。

 むむっ。

 ここまで驚かれるとは心外だ。私はかなり本気でムキになった。

 「こら、なんだ。その態度は。パパの腕が信用できないのか?」

 「だって、パパ、料理なんかしたことないじゃない」

 「失敬な! これでもひとり暮しをしていた時期もけっこう長いんだぞ。弁当作りぐらい楽勝だとも」

 私は胸を張って宣言した。ひとり暮らしの時期が長かったのは本当だ。何しろ、一度目の人生は生涯独身だったので……。

 「でも、失敗したりすればせっかくのレジャーが台無しになっちゃうんだよ?」

 「だから、大丈夫だ。お前のパパを信じなさい」

 「だいじょうぶかなあ……」

 「大丈夫!」

 私はドン! と胸を叩いた。そう。大丈夫に決まっている。日曜日まであと三日。それだけあれば料理の本を買い込み、修業して、弁当のひとつやふたつきちんと作れる程度の腕が身につかないはずがない!

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