第一の鑑定  血の涙を流す少女の肖像 3-1


 絵を見せてもらったあと、雪緒と中津川はそのまま山本邸に留まっていた。

 この家には図書室があった。英一から自由に本を読んでいいと言われたので、雪緒は退屈することなく長い時間そこに入り浸った。

 本は昔から好きだったし、女学生だった頃も良く読んだ。山本家の図書室に多く置かれていたのは、亡き前当主の研究分野の本だ。外国語で書かれているものが多く、専門書ばかりで細かいところまでは分からなかったが、前当主・山本貞之進ていのしんは植物に関する研究をしていたらしい。

 外国語で書かれた研究書は、細部まで丁寧に描き込まれた挿絵が多く挟まれており、画家を志す雪緒にとっては眺めているだけで心が満たされた。奇妙な油絵を調べるために山本家に長居することになったが、これは思わぬ収穫だ。

 一方、師匠の中津川は、割り当てられた部屋の寝台に倒れ込むなり、そのまま夕方近くまで寝ていた。そのくせ、夕飯時になるといそいそと起きてきて食卓に着いた。おまけに英一に勧められるまま高級な洋酒をたらふく呑み、すっかり上機嫌になっていたのだから、図々しいにもほどがある。

 ちなみに雪緒は酒ではなく紅茶を楽しんだ。出てきた食事は牛肉をふんだんに使った洋食で、普段は和食しか食べない雪緒にとっては新鮮でとても美味しかった。麺麭パンを二つもお代わりしてしまったほどだ。

 英一もよし香も、絵を見ていた時の不安げな表情ではなく笑顔を浮かべていて、楽しくて和やかな食卓となった。

 食事のあと、雪緒は腹ごなしに庭を散策してみることにした。

 石油灯カンテラを借りて外へ出ると、その広さに改めて驚いた。山本家の庭は、庭と言うより森に近い。大きな木がたくさん生えていて、見慣れない可愛らしい花がたくさん植わっている。

 家から洩れてくる明かりと、ところどころに設置された背の高い瓦斯灯のお陰で、手にした石油灯が無くても歩けるほどの明るさだ。

 太陽のもとで緑と戯れるのもいいのだろうが、こうして薄明りの中ぽつぽつと歩くのもなかなかオツだと、雪緒は歩きながら悦に入っていた。

 しばらくゆっくりと足を進め、屋敷の裏手に回ると、そこに誰かが立っていた。茶色の着物に白い前掛けをつけた年配の女性……女中のお梅だ。

「お梅さん! こんばんは」

 雪緒が駆け寄ると、お梅はぱっと笑って挨拶を返してくれた。手には切り花と鋏を携えている。

「お花を切ってたんですか?」

 訊くと、お梅はええ、と頷いた。

「亡くなった前の旦那さま……貞之進さまがこの花をお好きでね。毎晩仏間と玄関に飾ってから寝ているのよ」

「そうなんですか。とっても綺麗ですね! 何という花ですか?」

 見たことのない花だった。どことなく秋桜やヒナギクに似ているが、恐らく西洋のものだろう。

「ガーベラ、と言うのよ。貞之進さまが種を外国から持ち帰って育てていたお花なの。まだ日本ではそんなに数がない、珍しいものらしいわねぇ」

 ガーベラというその花は、橙色や桃色の花弁がとても可愛らしい。あまりの可憐さに、雪緒は自分でも触れてみたくなった。

「まだ切りますか? ぼくも手伝っていいですか?」

「それは助かるわ。ああでも、お客さまにお手伝いなんて悪いかしら」

「大丈夫です。お花は大好きなので!」

「あら、男の子なのに珍しいわねぇ」

 ――しまった!

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