第17話 私の知る芦屋道満とは。
中宮様のお屋敷があった場所に行ってから、少し経った。
私と師匠の生活や立場は変わらず、穏やかな日々が続いている。
あえて変わった事があると言うならば、宮中に行くと必ず
「やぁ!昨日ぶりだねぇ!あ、さっき陰陽頭が今日来ないのかなぁ?って探してたよ!」
道摩さんに声をかけられるようになった事。
そして、道摩さんに声をかけられると必ず
「道摩殿も懲りない人ですね。こう毎日毎日、お暇なんですか?」
にこやかに返してはいるが、師匠の機嫌がすこぶる悪くなる事くらいだ。
道摩さんが手を振りながら、こちらに向かってくる。
その後ろから、もう一つの影が、ギシリと廊下を鳴らした。
「ようやっと来たか。まぁ、以前なら来ないことが基本だったからな。来るだけ良しとしよう。少しコレを借りていく。すまないが、そなたはいつもの部屋で待っていてくれ」
道摩さんの後ろから、陰陽頭さんが顔を覗かせながら私たちに言った。
陰陽頭さんの言葉に、私は頷き、師匠は了承しつつも、笑顔で私の手をとると、陰陽頭さんの目指す方向とは逆の方に向かおうとする。
これは以前、検非違使さんたちに呼ばれた時と同じ展開だな、と私は思った。
「道摩殿はついてこないでください、部屋にも一切立ち入らないでくださいね。それでは陰陽頭、私はこの子を部屋まで送ってから、急ぎそちらに向かいますので」
師匠の言葉に、陰陽頭さんは渋い表情で小さく横に首を振り、ため息まじりに言う。
「すでに先方をお待たせしているのだ。かのじ……コホン、失礼。彼も幼子ではないのだから、後は道摩に任せて、お前は来い」
陰陽頭さんが咳払いをしつつ、しっかりと師匠に言ったが、たぶん師匠はだいぶごねるだろうな、と私は思った。
「嫌です。コレに任せるくらいなら、貴方に任せて私一人で向かいます」
ほら、やっぱり。こうなると思ったんだ。
あんまり陰陽頭さんを困らせるのもよくない、と思って、師匠を説得しようとした。
しかし、私が口を挟めるような寸分の間を、二人が与えてくれない。
「馬鹿を言うな。お前一人では先方にどのような迷惑をおかけするか知れぬ」
「じゃあ、私も同行いたしません。部屋で美味しい菓子と茶に舌鼓を打って待つこととします」
「ならぬ。元はといえば、本来、もっと早く来るべきところを、温情として、急かすことなく待っていてやったのだ。私が先方に謝罪しつつな」
「では、今度は安倍晴明ならびにその弟子は急用にて宮を後にした、と謝罪してきてください」
私が説得できないまま話が進み、とうとうしびれを切らした陰陽頭さんが師匠の首根っこを掴む。
「ほら、早く行くぞ。それでは、そなたも真っ直ぐ部屋に向かうように。道摩、頼んだぞ」
「こら、離しなさい、陰陽頭ともあろう方が陰陽師を引きずって歩くなんて、はしたないでしょう?それに道摩殿に後を頼む必要はありません。あいつは信用なりませんから!」
「はしたないか、否かを問う前に、陰陽師を引きずって歩く状況など作ってくれるな。あと、心配するな。確かにお前と道摩は稀代の問題児だが、信用と信頼はないが、任せても問題ない実力はあると知っている。安心しろ」
「信用も信頼もできないのに実力ばっかりあるって一番厄介じゃないですか!心配しかありませんよ!」
「……お前がそれを言うか?」
「言います!」
「はぁ……そんなに心配ならお得意の陰陽術で、式神でも作って、それに守らせればいいだろう?」
呆れたようにそう一言呟いた陰陽頭さんが、まだ抵抗し続ける師匠の着物の襟元を掴み、問答無用で連れて行く。
師匠は陰陽頭さんの手を振り払うと、こちらを気遣わしげに何度も見てから、諦めたように息を一つ吐き、陰陽頭さんの後ろについて歩いていった。
私は陰陽頭さんの言葉に深く頷いてから、いつものように二人の背中に手を振って見送る。
私にとってはいつもの光景だが、道摩さんは違ったようだ。
「え?陰陽頭、この子を残してそっちを連れて行くの?俺的には嬉しい展開だけど……」
私の横でポカンとした表情を浮かべながら、道摩さんが何事か呟き、その光景をただ見つめていた。
二人の姿が遠ざかり、見えなくなった後、道摩さんは少し周りを見やってから、言いにくそうに小声で私に耳打ちした。
「あんなふうに陰陽頭に連れて行かれるなんて、彼、何かしたの?」
「まぁ、そうですね。私にとっては見慣れた光景なんですけど」
「そうなの!?あらまぁ、それは、よほどの問題児なんだねぇ、彼」
「ふふふ、そうですね。でも、道摩さんもだいぶ問題児さんらしいじゃないですか?さっき陰陽頭さんが言ってましたけど」
「まぁね。ほら……俺、この世界の常識っていうの?そういうもの、
「そうなんですか?では、同じですね。実は私もなんですよ」
「へぇ、意外だねぇ。あ、でも確かに風変わりとか変わり者とか、言われてるよね、君も」
「え!?そうなんですか!?それは初耳なんですけど」
思いもしなかった予想外の言葉に、思わず声が大きく、うわずったものになる。
「うん。陰陽師や貴族の
「えぇ……そんな噂が出てるなんて、私、何かしたかな?全然何も思い当たらない……けど、思い当たらないからこそ怖いな。気をつけよう……」
私に関する超有名な話がひどすぎるんだけど。
そんなに私って常識知らずの変わり者かな。
それ本当に私の話?間違いであってほしいよ。
でも確かに、私としてみれば、この世界に来てから、日は経ってるし、いろんなことにだいぶ慣れてきたつもりだけど、この世界に生まれた人からすればまだまだひよっこだろう。
自分でも気づかないうちに、この世界的には、とてつもない不思議ちゃんエピソードを爆誕させているのかもしれない。
それしても師匠の代わりに仕事に行くことも少なくない私に、そんな噂がたっているなんて……。
私の変な噂のせいで、師匠にいらぬ迷惑かける可能性もおおいにあるし、気をつけよう……。
そう、身を引き締めつつも、そんな噂が出ているという悲しい事実に肩を落として項垂れてしまう。
「変なこと言ってごめんね?でも俺は知ってるよ。噂は事実じゃないってこと」
肩を落とす私に、道摩さんが優しい声音で言葉をかけてくれる。
そして、その声に導かれるように、おずおずと顔を上げた私に、道摩さんは優しく微笑んでくれた。
「君は何も悪くない。君は
そして彼は何かを懐かしむような、思い出すような表情を浮かべ、遠くを見ながら言葉を続けた。
「時に、誤った常識は出回る。その誤った常識は人の思考回路すら蝕むんだ。そして、誤った常識の
道摩さんの表情は、私がどれだけ頭を捻ってみても形容できない、言葉にできないものだった。
ただ、何か……道摩さんには過去に、何かあったのかもしれないと思った。
とても悲しい何かが。
理屈や感情では割り切れない何かが。
私が何も言えないまま、道摩さんを見つめていると、彼は微笑んだまま、目を瞑り、言った。
――君の信念が常識ならいいのにね?
道摩さんの震える
そんな彼に、私は何と言葉を返しても、この場にそぐわない気がした。
だから、何も言えないまま、頷いた。
目を瞑っている彼には、頷いた私の姿など見えていなかったはずだ。
けれど、きっと感覚で、耳から伝わる音、着物が微かに廊下を擦る音で、私が何事か返答したのはわかったのだろう。
ゆっくりと目を開いた道摩さんは、目を細めて、嬉しそうに微笑んだ。
その時、気づいたんだ。
私はまだ彼のことを何も知らないってこと。
彼が芦屋道満という名で道摩さんとして活動していることは知っている。
そして芦屋道満とは、私の師匠である安倍晴明の宿敵である、もしくはこれから宿敵になる、ということは、今は私しか知らない。
けれど、それも私のいた世界の平安時代の話。
それも、日本史の授業では名を聞いた程度、たいていはアニメやマンガなどの創作でしか知らない。
私の知る芦屋道満とは、実際に歴史にいたかもわからない、遠い昔の誰かの話や創作物でしかない。
今、目の前にいるのは芦屋道満という名で。
道摩さんとして活動していて。
暑さに熱中症気味で蹲っているところで初めて出会って。
なんだか時折、どこか違和感を感じる人で。
陰陽頭さんが言うには問題児で。
少し軽薄そうに見えて。
なのに。
時々とても妖艶に微笑うから戸惑う。
――だけど……。
変な噂に落ちこんだ私に、あたたかい言葉をかけてくれたり。
私が楽しいならいいよ、と肩を竦めながらも大人びた笑顔だったり。
なんだか師匠とは気が合わなそうだけれど。
何故か私には素敵に微笑んでくれる。
――とても優しい人。
きっと、私は彼のことをまだ何も知らない。
まだまだ知らないことばかり。
勝手に私が知っている気になっていただけで。
私の知る芦屋道満とはまったく別人の道摩さん。
きっと私はこれから彼のことを少しずつ知っていく。
まだまだたくさんこれから知っていける人。
関わっていって、会話して、時間を過ごして。
私は知る、芦屋道満という名の道摩さんのことを。
私が微笑むと、道摩さんは少し顔を赤らめてから悪戯っぽく耳元で囁いた。
「可愛い君のことを独り占めしたいから閉じ込めていいかい?」
私はその妖艶さに、熱を帯びた甘い声音に、跳ねる心臓とともに飛び退いた。
そして、そんな私を見て可笑しそうに微笑う道摩さんに、咎めるような瞳をわざと向けて言った。
「ダメです。……まったく、道摩さんのこと、考えを改めた瞬間、
「あら、失敗しちゃったかな?ごめんね?」
道摩さんが上目遣いで微笑む。
私は、許しません!なんて言いながら、声音は朗らかで明るい声音で、道摩さんの前を歩きだした。
道摩さんが、ごめんごめん!と言いながら追いかけてきて、隣を歩く。
そして、私と道摩さんは二人並んで、師匠の部屋へと向かった。
そんな私たちの後ろからついてきていた二体の
一体の鼠は人の姿をしていた。
乾いた笑いを浮かべながら、その手を伸ばしてきた。
一体の鼠は愛らしく白い毛並みを持ち、誰よりも後ろにいた。
私たちと、鼠のその伸びた腕をじっと見ていた。
誰よりも目を光らせて。
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