第9話 悪意は誰にでも、何処にでも潜むもの

 あれから師匠と私は数日をかけて、女御にょうご様の安産を祈祷きとうするための準備に追われながら度々、宮中を訪れている。

 安産の祈祷をするにあたり、良い日取りを師匠が卜占ぼくせんした結果、今日の夕刻に決まった。

 私たちと同じように、女御様の周りにいる女房さんもあわただしそうに準備に取り掛かっている。

 私たちも女房さんたちも、女御様の体調を気遣いながら、必要な物を用意したり、場所を整えたり、届けられたお祝いの品を運び込んだりと、休む間もないほどせわしなく動いている。


「ふふふ、本当に愛らしいこと。こちらにおいで」


 女御様の楽しげな声に、誘われるようにそちらを見た。

 にぃにぃ、と可愛らしい仔猫が女御様と楽しそうにたわむれていた。

 美しい女御様が愛らしい仔猫を抱く姿は、とても微笑ましい光景だったのだが、私は慌ててその光景に割って入る。

 そして、女御様たちに声をかけた。


「女御様、ご懐妊かいにんされている時は猫はひかえられたほうがいいですよ。差し出がましいことだとは思うのですが大事なことですので」


「あら、そうなの?では、しばらくお別れなのね。少し寂しいけれど、この子をお願いね」


 女御様は美しい顔をほんの少し曇らせて、近くにいた女房さんに仔猫を預けた。

 トキソプラズマに感染しては危険だから、と言っても、この世界の人たちではおそらくわからないだろう。

 私は聞き覚えのある知識をなんとか引っ張り出して、女房さんたちに伝える。


「おそらく土いじりなどはされないと思いますけど土いじりなどもお控えください。それから、肉などは充分に火を通してから口にするようにしてくださいね」


 私の言葉に女御様も女房さんも感心したように真面目に聞いて頷いてくれる。

 こんな状況になるなら、令和で“妊娠中 注意すること”などのワード検索でもして、しっかりと調べておくんだった。

 それでも、聞きかじりの知識でもないよりはマシだろう、と思い、私が知っている限りのことをあらかた伝えた。


「晴明の弟子は博識ですのねぇ。お話していると学びも多いですし、楽しいわ。うちにほしいくらい。ねぇ、私のもとで働く気はなぁい?」


「勘弁してください」


 女御様の甘い声音のお誘いを、師匠はピシャリとかえす。


「あら、晴明?おまえには言っていなくてよ?」


 不満げな声音だが、女御様の表情は笑いを堪えているようなものだ。

 まるで、からかっているような、戯れているようなそんな表情で師匠を見る。

 周りの女房さんも女御様と師匠の会話を微笑ましそうに見ているだけだ。

 そのうち、堪えきれなくなったように可笑しそうに女御様がくつくつと笑いだしてしまった。

 その様子を見て、女御様は本当に立場のある偉い人なんだなぁ、と私は思った。

 物語や時代劇などでも中途半端に権力を持っている人って簡単に無礼者!!とか言って怒り出すけど、本当に立場のある人って怒ったりしない。

 大体は周りの人が怒り出して、それをたしなめる。

 周りの人にとっては、嫌われ役になろうとも自分が怒っておかなければならない。

 そんな周りの人の気持ちを知っているからこそ、立場ある人にとっては、周りの人の怒りを窘めることが出来る。

 そこには阿吽あうん呼吸こきゅうというか、きちんと役割がある、そんなイメージだ。

 女御様の振る舞いは、そんな本当に偉い立場の人のやり方そのものに見えた。

 どんなに師匠が無礼な物言いをしても、笑い飛ばして楽しむ余裕がある。

 それを師匠も周りの女房さんたちもきちんと心得ている。

 なんだかこの光景が、このやり取りが、何故かすごく、自分が異世界にいるんだと実感させられた。

 まぁ、もう少し、師匠にはTPOにあった振る舞い方をしてほしいと思わなくもないけれど。

 相手が女御様のように、みんながみんな、人ができた人ばかりではないと思うし。

 師匠はなんというか、反感とか嫌味とかなんのそのみたいな。

 そんな生き方をしている気がするし。

 陰陽頭おんみょうのかみさんもそれで怒っていたというのに、苦言も立て板に水みたいなところあるし。

 そんな事を考えながら、祈祷のための水をもらいに廊下に出る。

 ふと目の端に、見慣れない女房さんが歩いていく姿が映った。

 その女房さんは、なにか物を持って歩いていた。

 彼女が別段べつだん怪しい動きをしているわけではなかったけれど、女御様の周りにいる女房さんたちとは雰囲気が違って見えて少し気にかかった。

 ちょうど通りかかった女房さんに何気なく聞いてみた。


「すいません、あの女房さんって……」


 声をかけた女房さんが、私の指を指す先を見てから明るい声音で答えてくれた。


「あぁ、お弟子様はご存知ないかもしれませんわね。あちらは中宮ちゅうぐう様にお仕えなさっている方ですわ。よくよく、お祝いの品を贈ってきてくださるのですよ」


「へぇ、そうなんですか。仲が良いのですね」


 私が呟くようにそう言うと、女御様の女房さんは大きく頷いた。

 よかった。

 中宮様といえば帝の奥方おくがた様。

 女御様も似たような立場で、今、帝の御子みこを宿している。

 物語などでは対立している描写が少なくない立場の二人だから少し嫌な想像をしてしまった。

 なんか、勝手なイメージで、跡取りとか世継ぎ問題とかでドロドロとしているものだと思っていたから。

 仲がいいと聞いて安堵と同時にとても申し訳ない気持ちになった。

 私の表情を見てから女房さんは優しい声音で言葉を続けた。


「中宮様のほうが少々お若い方なのでね。いろいろ外の方々は言いますけれどね。実際はそんなに怨嗟えんさ妄執もうしゅうばかりが蔓延はびこっている場所ではありません、と言えればよいのですけれどね」


 女房さんは困ったように微笑みながら寂しそうに言った。


「悪意は、誰にでも何処にでも潜むものですから」


 私はその女房さんの表情に言葉を失った。

 どうにか彼女にかける言葉を必死に探していたけれど、みつけることはできなかった。

 女房さんは一息ついて微笑った。


「だからこそ、私たちがいて、私たちが守らなければならないのですよ」


 そう言葉を続けてから切り替えるように中宮様のことを楽しげに教えてくれた。


「本当に中宮様はお若いながらしっかりした方で。いつもこちらを気にかけてお祝いの品を毎日のように贈ってきてくださるのですよ。鹿肉やお酒や、そうそう、先程の仔猫も中宮様が」


 楽しげに話す女房さんとは裏腹に、私は顔を強く引き締めた。

 女御様の女房さんに軽く会釈えしゃくしてからその場所を離れ、中宮様の女房さんが歩いていた場所に向かう。

 一枚の葉が落ちていた。

 私はその葉を拾い上げて、急いで駆け出した。

 中宮様の女房を探し出すために。

 そこに落ちていたのは初夏には白っぽい小さな花を咲かせる、夏には美しい橙色だいだいいろの実をつける。


 一枚の鬼灯ほおずきの葉だった。







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