第6話 彼らの役職


「こちらにおいで、愛弟子」


 そう声をかけられて、急いで師匠の近くに寄る。

 私が迷わずにすぐ師匠のもとへ駆け寄ったことが正解だったんだろう。

 冷ややかだった師匠の笑みはほんの少し和らぎ、満足そうに笑みに形を変えて、私にニコリと笑みを強めて、微笑みながら私の前に立つ。

 男性から私をはばむように。


「いえ、少しね、忘れ物をして取りに戻ってきたんですよ。そしたら仰天ぎょうてん、自室に来客がいるじゃないですか。先触れのふみしらせも特に何ももらっていないというのに、不躾ぶしつけに」


 不躾という言葉にとげを感じる。

 師匠の言葉を聞いた男性は眉を寄せて、非難の色を滲ませた瞳で、咎めるように冷たく言い放つ。


「文も何もあるか、馬鹿者。おまえの方から出向くのが筋だというのにわざわざ私が足を運んでやったのだ。感謝されこそとがめられるいわれはない」


 先程の柔らかさなど嘘のように男性は、怜悧れいりな瞳を師匠に向ける。

 師匠は男性の言葉を聞いてもなお、軽蔑のまなざしを向け続けて、呆れたように言った。


「他者の自室で、人をたぶらかしていたら、どこの誰でも、どんな立場の人間であろうとも、咎められて当然でしょう?」


「誰が誰を誑かしてると?」


「貴方が私の愛弟子を」


「ばっ……馬鹿者!!誑かしてなどいない!何をそんな曇りなきまなこで言っているんだ!おまえという男は本当に……」


 強く軽蔑けいべつした目を向けて真っ直ぐ意見を言う師匠に男性はあきれたように脱力し、頭を押さえた。


「師匠、私は男ですから誑かされるっていうことはないのでは?」


 私がおずおずと聞くと師匠は強い瞳で答えた。


「そうとは限らないんですよ、愛弟子。怯えさせたいわけではないのですが、男に囲まれている男社会ですとね、綺麗で華奢きゃしゃな男は格好の餌食えじきです」


 小声で、そっと私に耳打ちで付け足す。


「あなたの世界の事はわかりませんが、この世界ではよくあることです。気をつけて?」


 師匠の甘い声で囁かれて、耳の奥の鼓膜まで震えるようだった。

 紅潮させた私の顔を満足そうに見つめてから、師匠は男性の方へ顔を向ける。

 そしてちらりと師匠は眉をひそめ、細めた目で男性を睨むように見やる。


「だから!違うと言っているだろう!」


 苛立つように男性は師匠を睨みながら怒鳴る。

 そして、彼の視界に私が入ったのか、私を少し見てから、軽く咳払いをした。


「……コホン。失礼、大きな声を出すとはたしなみと配慮はいりょに欠けていたな。コレとは馬が合わなくてな」


 私に謝罪をしてくれたあと、師匠を睨みつけながら男性は言う。


「久々に宮に足を運んだと聞いたが、本来ならば御上おかみにお仕えするため、毎日きちんと宮に来るべきだ。あまりに怠慢たいまんな行いをしているおまえには、目に余るものがあるぞ。おまえの立場も悪くなる一方だ。自分自身で撒いている種だぞ、わかっているのか?」


 男性のいさめるような瞳、そして咎めるような言葉にも、師匠はどこ吹く風だ。


「その小言こごとを言うために来たんですか?」


苦言くげんだ。おまえも師を名乗るようになったのならきちんとした行いをするべきだ」


 師匠と男性は暫し見合ってから、男性が困ったように息をついた。


「そなたもコレに愛想が尽きたら私を頼るといい」


 男性が私に優しく微笑むと、師匠は鬼の首を取ったかのように、彼に非難の声を浴びせる。


「ほぅら、やっぱり誑かしているじゃないですか!本当に油断も隙もあったものじゃないですねぇ!」


「ち……違う!!そういう意図はないっ!!」


 師匠の言葉に男性は動揺しながら訂正する。


「全く陰陽頭おんみょうのかみがこのような蛮行ばんこうを犯して良いものなのでしょうか?」


――陰陽頭?……ってなんだっけ?


「だから違うと言っているだろう!!」


 男性がまた大きな声をあげてから、ハッとした表情を浮かべ、困ったように私を見る。

 私はあまり気にしてはいないのだけど、どうやら彼は私の前で大きな声を出すことを、ひどく躊躇ためらっているようだ。

 師匠は、私を誑かした仕返しだと言わんばかりに、男性の困った顔を涼しい顔で見ていた。

 べつに彼にその意図はないし、私も誑かされたとも思っていないのだけど。

 なんだか男性が師匠に遊ばれている気さえしてきて、師匠が悪者に見えてきた。

 師匠のいじわるをやめさせるためにも、師匠にそっと小声で聞く。


「師匠、陰陽頭って何だっけ?」


 私の問いにも師匠は、馬鹿にするでもなく懇切こんせつ丁寧ていねいに優しく教えてくれた。


 私たち陰陽師はみんな、陰陽寮おんみょうりょうという部署に属している。

 陰陽寮とは国の部署の一つ、令和で言うと、財務省とか宮内庁とか、行政機関の一つという立ち位置ってこと。

 確か、陰陽寮は明治くらいで撤廃されてるけど、もし令和にあれば、陰陽寮は天文学とかも含まれるから、文部科学省とかだったのかもしれないな。


「聞いてますか?愛弟子」


「今、自分の世界のものに当てはめてみたりして、落とし込んでるんだ」


「ゆっくりでいいですよ」


 ニコリと微笑む師匠に嫌味のように男性が言う。


「何を話しているのかはわからんが、おまえの弟子は真面目そうだな。誰かと違って」


 男性の言葉に師匠は大仰おおぎょうにわざとらしく驚いてみせた。


「おや、私はこんなに勤勉きんべんに働いているというのに嫌味な方ですね」


 男性はため息混じりに言葉を返す。


「おまえを勤勉と言ったら、本当に勤勉な者たちはなんとしょうしたら良いかわからなくなるな。それに、私は“誰かと違う”と言っただけで、お前とは言っていない。自身で、自身のことを言われていると思うのは、自覚じかくしている証拠だ」


められました?」


「褒めていない!!私の言葉にも、おまえ自身の言動にも、一切褒める要素がないだろう!!」


 涼しい表情で笑う師匠と、苛立ちと呆れと困惑の入り混じった表情で頭を押さえる男性。

 とても対象的に見えた。


「それで、陰陽頭って?」


 私が再度師匠にたずねると、ニコリと美しく微笑んでから答えた。


「先程は陰陽寮の説明までしましたよね?私の説明で理解はできたでしょうか。つまり、私たち陰陽師は、陰陽寮に属している立場です。そして、陰陽頭とは、陰陽寮を統括する立場ですね」


 陰陽寮に属している私たち。

 その陰陽寮を統括するのが陰陽頭。

 つまり……私たちの直属の上司。

 いやそれ以上に。


「陰陽寮を統括……。それって……つまり陰陽寮で一番偉い人ってことじゃない?」


「そういうことです!さすが理解が早いですね、愛弟子!」


 違う、そういうことじゃない。

 私の脳内では、ごく一般の平社員ヒラしゃいんが社長にケンカをうっている構図が浮かんでいる。

 もしくは、ごく一般の庶民が王様とかに楯突たてついている絵。

 師匠、勘弁して。

 私はどちらかといえば長いものに巻かれるタイプだと思うのよ、師匠。

 できるだけ、事なかれ主義で普通で生きていたい。

 不必要な面倒事には首を突っ込みたくない、というスタンスで今までも生きてきた。

 それなのに、私の師匠が陰陽頭に楯突いてるということは、私まで目をつけられる可能性が高いじゃないか。

 しかも、圧倒的に師匠の方が不当にっかかっている。

 思わぬ真実に私が頭を抱えていると、陰陽頭と呼ばれた男性は穏やかに声をかけてきた。


「そうか、自己紹介がまだだったな。すまない。最初に声をかけた時、あまりもきちんとした対応と言葉遣いだったため、私のことはもう存じているものかと思ってしまった」


 私の態度や言葉遣いは大丈夫だったようだ。

 とりあえず、よかった。


自意識過剰じいしきかじょうなんですから」


 師匠、もうやめて。

 これ以上、燃料を投下しないでくれ。

 未だ火に油を注ぐ師匠のことを、私と男性は同時に、じろりと睨む。

 そして反省の色など皆無の師匠から目をそらした彼は、私に柔らかい表情を向けた。


「改めて、私はこの宮にて陰陽頭という立場を授かり働いている。陰陽術を取り扱う立場ゆえ、本当の名は教えることはできないが。そなたとは親しくできたらと思う。以後よろしく頼む」


「陰陽頭、さま殿どの?……えっと、よろしくおねがいします」


 私が戸惑いながら言葉を返すと彼はまた春の陽気のように柔らかく微笑んだ。


「陰陽頭で大丈夫だ。よろしく、愛弟子殿まなでしどの


 ニコリと微笑む陰陽頭に、再び師匠が強く抗議の声をあげた。


「ちょっと!誑かさないでくださいって言っているでしょう!この子は私の愛弟子です。愛弟子と呼んでいいのは私だけに決まっているでしょう!」


 師匠のうったえに陰陽頭は呆れたように肩を落とし、全てを諦めた表情で師匠に問う。


「ではなんと呼んだらいいのだ?」


 師匠が少し考え込んでからしぼり出すように言った答えは。


「……陰陽師殿?」


他人行儀たにんぎょうぎすぎるだろう!!」


「ものすごく距離を感じますね」


 私と陰陽頭で師匠に詰め寄ったが、師匠は考えを変える様子もなく、その呼び名で押し切ろうとしていた。


「いいんです、他人で!距離も遠くて結構!今までも、これからも、そんなに密に関わる相手でもありませんし」


「失礼!!師匠、それは失礼」


「いや、本来は関わるんだ!おまえが職務から逃げ回っているだけだ」


 正論を言い返された師匠は拗ねた子どものような表情で、ぷいっと顔を背ける。

 私は困ったように微笑み、師匠をみつめていた。

 そんな私たちの姿を、困ったように、けれど柔らかな表情で、陰陽頭もみつめていた。







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