第4話 その怪異は植物学です!

 今、私は心なしか重い足取りで、師匠と屋敷の廊下を歩いている。

 早く解決しなければ、という気持ちだけが先走っている。

 屋敷の主人と話したすぐあとは、貴族の屋敷で起こっている怪異の原因を突き止めるため、ひとまず屋敷内を調べてみよう!と前向きな気持ちだった。

 けれど、本当にしゅや鬼の仕業ではないのか、念の為、師匠に確認してもらおうと師匠と怪異の被害者のところに行った時、私の心に鉛が落ちた。


 怪異によって体調を崩したこの家の家人たちの中でも、その程度は様々だった。

 怪異の影響が軽度だった女房さんの一人から話を聞くことはできたけれど、その彼女の顔色もあまり良くはない。

 気丈に振る舞って話をしてくれているが、時折苦しげな表情を浮かべ胸をさすったり、近くでとこしている被害者たちを悲しげにみつめる。

 彼女の辛そうな表情や、苦しそうにうめきながら倒れ伏している人たちが、この屋敷に起こっている怪異の凄惨さを物語っていた。


 原因が突き止められず怯える屋敷の主人たち、程度の違いはあれど未だ苦しみ続けている被害者たち、屋敷内に充満している重く沈鬱な空気、私は怪異の傷跡を目の当たりにした。

 苦しむ人たちを前に、早く解決したい、という気持ちが強くなる。

 けれど師匠が被害者たちを確認してみたけれど、やはり呪や念、鬼の気配はまったく感じられなかったらしい。

 つまり、この怪異は事件か事故である可能性が限りなく高い。

 同時に、この怪異が人為的なもの、特に毒が原因である可能性も、現実味げんじつみびてくる。

 怪異の被害者の状況と、その怪異の事件性が、私の心に鉛となって、早く解決したいはずの私の足取りを重くする。

 そうして私たちは、たいして当てがあるわけでもないが、少しでも解決の糸口いとぐちを探すため、屋敷内を見て回っているというわけだ。



 くりや、令和の世で言う厨房ちゅうぼうやキッチンに足を運んでみると、料理番りょうりばんの男性がこころよく中に入れてくれた。

 彼は、もともとこの家にいた料理番さんが倒れてしまったので、ここ最近にこの屋敷に来たらしい。

 まだ若そうな彼は困った顔をして言う。


「はぁ、まったく恐ろしいですよ。私などこの屋敷に来たばかりだし、まだまだ半人前だというのに、お館様の食事まで任されてしまって……。今はこの状況ですからね。料理を作る方も怖いですよ。もし、また何かあったら、怪異だとしても私の責任になってしまうでしょう?」


 ため息混じりに彼は夕餉ゆうげの下準備をしていた。

 中にはこれから使うだろう食材が並べられていたが、どれもいたって普通のものばかりに見える。

 その厨の中で、鼻をつく独特の匂いがして思わず口から言葉が漏れた。


「この匂い、ヨモギ……?」


「ん?……あぁ、そうですよ。最近この辺りでは、ヨモギがよく採れるらしくて。こんなにたくさんあるんですけど。今日はこのヨモギをどんな料理にしようかと思いましてね。ヨモギの天ぷらは食べ飽きられてしまわれてるでしょうし」


 料理番さんが頭を悩ませながら、ヨモギの入ったざるを手に取り、私や師匠に見せてくれた。


「……お忙しいところ、お邪魔してすみませんね」


 師匠が柔和な笑みでそう言うと、料理番さんはいえいえ、と明るい笑顔をこちらに向けた。

 その時、やはりこの屋敷に来たばかりで慣れていなそうな女房さんが急ぎ足でやってきて、料理番さんとぶつかった。


「きゃっ!!」

「うわっ!!」


 その時、料理番さんの手から持っていたざるが落ちて、ヨモギが床に散らばった。

 私も含めその場にいた全員がしゃがみ込んで、急いでヨモギを拾い集める。


「すみません!水瓶みずがめの水をいただきたくて……」


 女房さんが申し訳なさそうに料理番さんに謝る。

 その女房さんの謝罪に目もくれず、料理番さんはヨモギをみつめて黙り込む。

 怒っているとか、無視している、という雰囲気ではなく、ただ言葉が届いていないように感じた。

 料理番さんは暫し考え込む仕草をしてから、再度声をかけた女房さんの謝罪に気づいて、慌てた様子で、大丈夫です、と言葉を返していた。


「どうかしたんですか?」


 はたから見ていて、料理番さんの様子が少し気にかかった。

 何か可怪おかしい、と感じた私は、料理番さんに声をかける。

 料理番さんは少しいぶかしげな表情のまま一度は首を横に振ったけれど、何度かヨモギの葉を見て、それからためらいがちに口を開いた。


「いや、何でもないとは思うんですけどね。このヨモギ……いくつか匂いがしなくて……。お館様のお食事に出すわけですから、採ったばかりでしょうし、新鮮なもののはずなんですけど……」


 自分の鼻が悪いのかな、と料理番さんは首を傾げた。

 料理番さんの言葉に、私も自分が拾ったヨモギに鼻を近づけてみた。

 私が持っているものはどれも、ヨモギ特有の独特の匂いがした。

 ちらりと師匠を横目で見てみたけれど、師匠の手の中のヨモギも同じく独特の香りがしているようで、不思議そうに料理番を見やってから、小さく首を横に振りながら、少しだけ肩を竦めてみせる。

 匂いのしないヨモギとはどんなものなのか、気になった私は、料理番さんに声をかけ、ざるの中に残ったヨモギも確認させてもらおうとしたところで、女房さんが声を上げる。


「本当ですね……このヨモギ、匂いがしない」


 女房さんがそう言って、手の中のヨモギをこちらに差し出してきた。

 そのヨモギを見たとき、ふと私の頭には昔見た植物図鑑の写真と一節が過ぎる。


 それは一枚の写真とともに、記された文章。


『この植物は美しい花を咲かせますが、とても危険な植物で、花、根っこ問わず、どの部分も猛毒です。この植物の葉はヨモギに似ていますが、決して食べられません。【葉の裏が白く、産毛が生えているものがヨモギ!】と覚えておきましょう。ヨモギと違って、こちらの植物の葉は表面に光沢があり、裏面に産毛は生えていません。見た目が美しくとも、この植物かもしれない植物が生えていたら、絶対に触ってはいけません』



――ヨモギによく似ている葉っぱ……。

――見分け方は匂いと……葉の裏に生えた白い綿毛……っ!


 慌てて女房さんの手の中にある葉を確認する。


――……っ!!これは……!!


 自身の推測に止まらない動悸を抑え込みながら、私は大声で怒鳴るように叫ぶ。


「みんな、すぐに手を洗って!!料理番さんと女房さんは念のため顔も!!」


 私の大きな声に弾かれるように、みんな急いで各々おのおの、水場で手や顔を洗う。

 もちろん私も手を洗い、それから、これをどうしたものか、と“その植物”の葉が混ざっているざるを睨めつけた。

 そんな私に、濡れた手や顔を手ぬぐいで拭いながら料理番さんがおずおずと声をかける。


「あの……陰陽師の方、一体……このヨモギは何だったんですか?」


 不安そうな表情の料理番さんと女房さん、そしていつもと変わらず、冷静な空気を纏った師匠が私の言葉を待つ。

 私はその問いかけに答えるように、重く硬い声音で静かに言った。


「これは……ヨモギじゃありません」


 私は手ぬぐいを取り出して、手ぬぐい越しでざるを掴む。

 そして、もう誰も触れないようにざるごと広げた布に包んだ。

 これはもう、このまま燃やしてしまった方がいいだろう。


「これは……トリカブトです」


 師匠には、その花の名の知識があったのだろう。

 私の言葉に師匠は一瞬、目を大きく開いてから扇を口元に当てた。

 一方、料理番さんと女房さんは顔を見合わせてからお互い首を横に振り、困ったように首を傾げながら私を見た。



 ヨモギとトリカブト。

 春頃のこれらは、花が咲いているわけでもなく、少し見分けがつきにくい。

 見分け方といえば、群生している場所が日向か日陰か。

 それから匂いと葉の裏の白い毛。

 トリカブトは猛毒を持つ植物。

 美しい花を咲かせるその植物の危険性は、令和の世では広く知られている。

 花も茎も葉も根も、種や蜜さえも毒を持つ。

 食べたら少量で死に至るほどの毒。

 即効性もあり、口に含んで間もなく死に至ることもあるのだと聞いたことがある。

 それこそ死人が出ていないことが私には、本当に奇跡だと思えた。



 私は師匠とともに屋敷の主人たちに、この怪異の真相を伝えることにした。

 この時期の葉っぱは見分ける事が難しい。

 おそらく間違えて摘み取ってしまったのだろう。

 そしてざるの中で本物のヨモギとトリカブトが混ざってしまった。

 事件ではなく、事故だろうと伝えると屋敷の主人は、ほっと胸をなでおろしていた。

 そのことには私も屋敷の主人や奥方と同様、胸をなでおろす。

 誰かが故意的に怪異を引き起こしたわけではなく、これは無知ゆえの事故だった。

 その無知も、致し方のないこと。

 この異世界は、ところどころ違いはあれど、私の世界でいう平安時代の町並みや暮らし、知識や思考で構成されているようだから。

 トリカブトという花の毒性を知らない人がいても無理はない、むしろ、知らない人の方が多いだろう。

 これは怪異ではなく、有毒植物ゆうどくしょくぶつ誤食ごしょくしたゆえの食中毒だったのだ。

 なにはともあれ、無事解決できてよかった。

 怪異の原因が毒とわかれば、治療もそれに沿ったものになる。倒れた者たちが目覚めるのもそう遠くないだろう、と師匠は小さく微笑った。

 先行きが明るいものになる予感に、私の心の中の鉛も、いつの間にか音もなく姿を消していた。

 私と師匠は主人と奥方たちにたくさんお礼を言われながら、貴族の屋敷を後にした。




「あれが噂の陰陽師……なるほどねぇ」


 華美な貴族の屋敷の外側、暗がりで一人、私たちを見る視線に私は気づかなかった。

 師匠は少し立ち止まり振り返る。

 屋敷の方向を暫し見てから、ふっ、と不敵に微笑わらった。


「師匠?」


 私が声をかけると、師匠はいつもの柔和な甘い笑みを私に向けた。


「帰りましょう」


 私たちは二人で、赤く美しい一条戻橋いちじょうもどりばしを抜けていく。







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