髑髏島の殺人
プリズム
プロローグ 七月十一日(日)
ぴちょーん、ぴちょーん――。
石筍から滴り落ちる水の音が洞窟に響く。
この暗黒の世界を訪ねてくる者は永らくいなかった。しかし今、一つの『影』がゆっくりとゆらめいている。
その『影』はもうすぐに闇と一体化してしまうのではないかというほど、この空間に溶け込んでいた。その双眸までもが虚ろな黒で塗りつぶされている。
暗さに慣れたのか、右手に持った懐中電灯を点けることもせず、また反対の手で握りしめた地図を開くこともない。複雑に入り組んだ道はもう完全に頭に入っていたのだ。
ぴちょーん、ぴちょーん――。
水の音と『影』の足音、そして小さな呼吸音。
光の届かないこの洞窟で聞こえるのはその三つだけだった。
何を思ったのか、『影』はふと足を止めた。その分のエネルギーを補うかのように、呼吸が少し荒くなる。
『影』はその場にしゃがみこみ、そして足元にあった「それ」を拾い上げた。
岩の陰に隠れていた真っ白な「それ」は、闇の中でぼうっと浮かび上がる。そして自分を持ち上げた『影』をまっすぐに見つめ返していた。
人間の頭の形をした「それ」はしかし、目を持っていなかった。目だけではない、鼻も無かった。本来あったはずのそれらはとうの昔に朽ち果てたのだ。
『影』は三つの穴を見つめ、物思いに耽る。
「それ」――頭蓋骨はこの洞窟内で何度も目にしているため、恐怖心などは抱かなかった。
初めて手に取ってみたが、この骸骨に特別な何かを感じているわけでもない。
これは彼女のものではないと分かっていたからだ。彼女の骨は墓の中に埋められているし、あの無残な死体を見た時はまだ肉もあった。
少なくとも、彼女は暗く冷たいこの迷路の中で白骨化することはなかった。肉体だけは帰ってくることができたのだ。
しかし魂はどうだろうか。それはこの島に、この洞窟に囚われたままなのだと思う。彼女がどれほど苦しんだのか、また死ぬ直前までどんなことを考えていたのかは想像するしかないけれど、きっと恨みと恐怖でいっぱいだったのだろう。
彼女をそんな目に遭わせた奴らを許しておくことはできなかった。
そしてそのチャンスは漸く訪れた。
いざ決行するとなるとやはり一瞬迷いがあったけれど、これもきっと神のおぼしめしなのだろう。自分の義務を遂行せよということなのだろう。
然るべき報いを与えなくてはいけない。この手で彼女の仇を討ってやるのだ。
裁きの時が来たのである。
だから今日ここに来たのだった。願いを現実のものにするために、しっかりと下調べをしておく必要がある。
誰にも知られることなく海を渡れるかは不安だったが、ゴムボートさえ用意すれば島まで来るのは簡単だった。
迷路のような洞窟は苦労するかもしれないと思っていたが、地図は本物だったし、それに一度頭に叩き込んだら恐れることはなかった。
決行まではあと一ヶ月。準備は万全だ。一旦本土へ戻ったら、あとは何食わぬ顔をしてまたここにやって来る日を待っているだけでいい。
彼女を失ったあの日から胸の中で燻っていた復讐の炎は、もう誰にも消すことはできない。
長かった我慢の日々も、身を裂くような悲しみも全て終わりにできるのだ。
奴らをこの島で殺害し、罪を償わせてやる。
そうして彼女の魂を檻から解放してやったら、この骸骨たちと共に地獄で暮らすのも悪くはない。
しかしまだやるべきことがある。
これまで涙しか見せていなかったのだから、今度は笑顔で報告に行かなくてはいけない。
だからそれまで待っていてくれ。もう少しの辛抱だ。
『影』は髑髏を手放して立ち上がると、洞窟の何処かにいるはずの彼女の魂へそう呼びかけた。
だが帰ってくる返事はない。
ぴちょーん、ぴちょーん――。
水の音が相変わらず洞窟に響くだけだ。
しかしそれでも満足だった。自分の思いはきっと彼女に届いている。そしてそれを喜んでいることだろう。
自然と笑みが浮かんでくる。
そんな『影』を見ても髑髏は何も云わない。
その眼窩には周囲の闇よりもさらに深く、そしてねっとりとした黒が広がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます