後日談
(衝撃)
それは華の目の前で起きた。6階の会議室から階段に向かう途中。通路を曲がった時、一番奥の階段の付近にパーッと紙が散乱した。そのすぐ後から人が落ちてきた。
駆け下りてくる靴音。華も慌てて駆け寄ろうとした。
「ジェイっ!」
(ジェイ? え、落ちたの、ジェイ!?)
飛び降りてきたのは河野部長だった。
「ジェイ、ジェイ! しっかりしろっ! 俺が分かるか!?」
弱々しくジェイの手が上がるのが見える。
「……れ……れん、れ……」
その手が落ちた。部長がジェイの手を握った。
「待ってろ、救急車呼ぶからな!」
声を上げようとした華の足が止まった。携帯を出しながら部長は握りしめたジェイの手に口づけている……
「階段を落ちた者がいます! 足を滑らせたんです! はい、中野井通りにあるFJビルの西側の6階です、ええ、動かさずにいます。6段目くらいから後ろに落ちて、はい、はい、お願いします!」
「ジェイ、すぐに救急車が来る!」
「れ、ん……れん、」
「分かった、もう喋るな。俺はここにいる」
部長はジェイの手に唇をつけたまましっかりと握りしめていた。
(大事なもの)
「華さん……来てくれるなんて思わなかった」
「久しぶりだよな、お前の家」
そのまま会話が途切れた。華は思いついたように立って冷蔵庫からリンゴジュースを出してきた。
「飲めよ」
グラスに注いでジェイに渡す。ジェイは1ヶ月半振りの華との会話にどうしていいか分からないようだった。
「時間が必要だったんだ」
ぽつりと華が話し出す。
「驚きすぎたのと……ごめん、ショックだった」
「華さん……」
あの後、我に返った華は駆け出してジェイのそばに膝をついた。驚いた部長の顔が目に焼き付いた。けれどその時はジェイの真っ青な顔に、優先すべきことを把握していた。
『救急車、すぐ来ますよね?』
『あ、ああ、今連絡した……』
『知ってます。……聞いてました』
部長はじっと華の顔を見た。
『ジェイが落ち着いたら……お話したいです』
『分かった』
救急車が到着して部長は一緒に病院に向かった。後のことは田中と池沢に華が伝えて対応した。
『何が聞きたい?』
喫茶店だった。部長と二人、3日後の8時半。ジェイの見舞いの後。
『はっきり聞きます。ジェイと、つき合ってるんですか?』
『そうだ』
『養子にしたんですよね』
『あれは……他に手段が無かった。日本では俺たちの結婚は認められない』
『結婚……』
『お前がこのことをどうしようと構わない。元々俺はもうしばらくしたら会社を辞めるつもりだ。だが……ジェイのことは……』
『仕事は、ちゃんとします。このことを誰かに言う気もありません。ただ、考えたいです。すみません、ジェイにもそう伝えてください。仕事は別問題だと思ってますから』
それ以来、個人的な話をジェイとはしていなかった。部長に聞いたのだろう、無事に退院したジェイは、職場でも口少なくなっていた。
「あの……華さんは俺たちのこと、今どう思ってるの?」
「正直言って……答えるの、難しい。二人のことが分かってからいろんなことが繋がったよ。なぜあれだけお前が部長を慕ったのか。部長がお前を大事にしたのか。……あんまりそばにいたから分からなかった。考えてみれば異常だったんだよな、部長とお前の結びつき方って」
ジェイは返事が出来ない。
「すごく考えた。理解の範疇、越えてたし。どう接していいか分からなくて」
「うん……」
「本気で、このまま続けていくのか? その、部長との結婚生活」
「うん……俺、それ以外もう考えられないんだ。一人になんてなれない……」
「そうか」
華は父との会話を思い出す。
『父さん、同性愛 って……どう思う?』
『どう思うって……人と人が愛し合うのに何か問題があるかい?』
『それって、認めるってこと?』
『認めるとか認めないとか。そういう問題なのかな、華には』
『でも受け入れられないよ! 男同士だよ!?』
『誰か、いるんだね?』
華は答えられなかった。このことは真理恵にさえ言っていない。
ジェイとの間はギクシャクしていて、仕事上だけのやり取りが中心になっていた。部長は目を背けなかった。いつも通りに華にも仕事上の話をし、いつも通り真理恵と子どもたちのことを気遣ってくれた。
『華、覚えてるかい? 前に父さんが言ったこと』
よく言われたことだ。何度も何度も。
『囚われてはいけないよ。男とか女とか、そういうことに。人と人だ。大事なのはそこであって他は些末なことだよ』
「俺さ……まだ自分には難しいような気がしてる。でも、お前との繋がりを絶つ気なんかないんだ。あれからずっと考えてそれが分かった。お前は俺の初めての親友で、弟みたいなもんだよ。お前との間、そう簡単に捨てられるもんじゃない。部長とお前の……関係は他の人間が立ち入れるようなもんじゃない。そう思う」
手元を見ていた華が真っ直ぐジェイの目を見た。ジェイの体が竦んでいるのを感じる。
「俺が言うの、変だけど……堂々としてろよ。俺は今のお前の卑屈な目を見たくない。部長は頑張ってる、と思う。会社でも堂々としてる。お前が卑屈になるのは部長を裏切るのと同じじゃないのかな。時間、かかるかもしんないけど俺は……元のようになりたい。お前はやっぱり俺には大切なヤツなんだ」
ジェイの目からぽたぽたと涙が落ちていた。
『華、考えて。日本では確かにそういう人たちを受け入れることが難しい。それは国民性だよね? じゃ、人を国民性で区切るのかい? 海を渡るだけで人の繋がり方が変わると思っている? その彼は、苦しんでないと思うかい? 君の言う、「人に認められない」ということで。それでも生きていくというのは、この国ではとても勇気の要ることだ。君みたいな人がほとんどだからね。マイボーイ。僕は君に、その彼を"人"として見てほしい。そういう人間になってほしい』
「今度……俺の実家に一緒に行かないか? きっとジェイはホッとするよ、父さんと話せば。俺とはゆっくりやっていこう。だから、俺の取った態度、許してほしい」
「俺、嬉しい。そう言ってもらえて。時間、いい。そう思ってくれただけでいい」
「お前はさ、もっと欲張っていいよ。もう少し経ったらさ、聞かせてくれよ、部長とのこと。あ、興味本位じゃない。そういうんじゃなくて、精神的なこと。お前にとってどういう人なのか。どれほど大切なのか。知りたいと思う。けど、今じゃない」
「うん。うん、聞いてほしい。華さんには……聞いてほしいんだ。辛かったこと、たくさんあったから」
「分かった。今日はこれで帰る。明後日、また仕事でよろしく。じゃな」
立ち上がった華が手を差し出した。それを頬を濡らしたままジェイは見上げた。
華は急かさなかった。ジェイがゆっくり立ち上がる。華の手を握った、
「お前が大事だ。それは変わらなかった、この1ヶ月半」
「あり、がと……」
「じゃな」
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