白外套の最終決戦

@H_hisakata

あるいは三人称の他人事、しかし彼は決めたのだ

ブレトランド小大陸が北方、マージャの村のとある小屋。

一人の女とその娘、それに甲斐甲斐しく仕える一人の男が住まう小屋。


小屋の外で女は雑事をしている、男を信頼しきってか娘を任せて。

童女は心地よさげに眠り、男はそれを見ながら遊び道具を削り出していた。


しかし突如、男は誰かから呼びかけられたかのように動じた素振りをみせた。

この場には眠る童女と彼二人、呼びかけるものなどいやしない。


「どうしたのですか」


急に立てた男の物音に気付いたか、外から女が入ってきて尋ねた。


「あ、いやぁ。うん……”借り”を返さなきゃいけなくなったらしくてね」

「そうですか」


男の歯切れの悪い答えに、しかし得心行ったかのように彼女は戸棚に手をやる。


「これを。ローガン殿が、必要になるときが来るからと預けていたのです」


男に渡したるは魔法士協会謹製の活力剤ポーション、それも特級エクストラのものである。

並の人間ならばそれが何かも分かるまいが、彼はそのことを気にも留めなかった。


「いやはや……義兄にいさんはどこまでもお見通しのようで」

彼はそれを受け取りつつ、なぜか二着の外套を取り出して一方に袋ごと結いつけた。


「それじゃあ、ちょっと出歩いてくるよ」

何の為とは言わなかった。

女も理由を問わなかった。


駄馬の上に小柄な男はまたがり、手慣れた調子で村を出た。

荷物と言えるほどのものも、纏う外套と同じ一着がせいぜいである。


白外套は陽に焼けて些か黄ばみ、ともすれば橙の頭髪の方がよほど目立つこの男。

村の人々は、そんな彼の散歩を見咎めることもなかった。


(あぁ、行きたくないなぁ)


内心で溢した言葉の意味を、読者諸兄は未だ理解しえぬだろう。

しかしこの男、星の導きを受けた英傑として世界を救う難業に向かうのである。


・・・・・・


この小大陸には、大毒龍と呼ばれる災厄の伝承がある。

三国に分裂してもなお、いずれのの国主が祖と仰ぐ英雄エルムンド。

彼が退けたという、強大な投影体との戦いの伝承がある。


しかし彼の背負った宿命は、主たる伝承と異なり彼一人のものではなかった。


この世界において、その始まりははるか東方、アトラタン大陸は現在のシャーン。

現れたのは、英雄の魂を天に輝く星とする星界より映し出された災厄である。

始祖君主より聖印が伝えられたかすら知られぬこの地は、けれど滅びを免れた。


彼の地を救いしは、災厄と同じく星界の、百八の輝く英雄だった。


星界に住まう英雄は、己と同じ宿星をこの地の人々に見出した。

八つの導きの星、そしてそれに等しき三十二の天に輝く尊ぶべき星。

それらと異なる、数にして倍を超える七十二の地に轟く恐るべき星。


しかし、災厄は一度では終わらなかった。


千を超える時が過ぎ、英雄が没して幾星霜。

ブレトランド小大陸に大毒龍が異なる姿で現れた。

彼の英雄は導きの星を己を含む騎士に見出し、残る星を魔法師に象らせ龍を封じた。


だがそれも、再演の英雄譚であることは明らかだった。


星界の英雄が、百八の宿星が、そして建国神話の騎士たちが、同じ結末を繰り返す。

そのたびに大毒龍は力を取り戻す、しかし今、導きの星が百八の英傑を探し出した。

いずれとも似通わぬ英雄譚を描くために。


そう、彼レピア・セコイアも、導きの星が一人に見いだされた邪紋使いである。

敬慕するかつての義姉を救うことを願い、異界の聖霊に邪紋の力を与えられた彼は、

彼女の娘を救わんと今一度難行に向かった時、星界の英霊に見出された。

小大陸の外より来たる、大北方の騎士フレドリクの導きによって。


・・・・・・


村から出て、半刻もたたないほどのころ。

しかし僻地の村から駄馬とはいえ馬を駆ければ、もう辺りに人はいない。

馬の歩みを止めれば、なんとものどかな光景だけがある。


(さて、あの子には仔細を伝えたくなかったからと飛び出してはみたけれど)


男は周囲を見渡す、かんかんと照らす陽光の下、日よけとなる場所は見当たらない。

誰も訪れぬ景色は変わらず、ただ駄馬に乗るこの男の上を、雲が流れるばかり。

近いうちに大毒龍が現われるというのに、凶兆の一つもありはしない。


(なりゆきで力を授かった、あの子の娘を助けることが第一だったからそれはいい)

(とはいえ、世界なんてどうなろうがどうでもいいじゃないか)

(あの子が望むなら壊してもいい、あの子が知らないんだからどうなったっていい)

(その、はずなんだけどなぁ……)


ぼんやりと見上げた空が嫌にまぶしくて、ぎゅっと彼は目をつぶる。


”大毒龍の件を話した人々よ。どうやら『その時』が来たようだ”

”人によって色々と事情はあるだろうが、可能な限り、この湖に来てほしい”

気付けば彼は、君主フレドリクが如何なる術か伝えた言葉を反芻していた。

何も見えないはずの目に、未知を指し示す彼の姿が浮かぶ。


(大騒動に巻き込まれるなんて、あの犬士だかの一件で十分じゃないか、全く)

(記憶を失い、どうにも壊れてしまった僕だ、正義を為すなんて言えはしない)

(けれど、これはどうにも、やってやらねばと思わずにはいられない)

(……まぁ、いいさ)


いつの間にか太陽に雲が差した、流れる雲が光の行く手を遮る。

作り出した影が彼の顔に落ちる、自身の影がすっと伸びていく。


(この世は一切無価値、ならば僕が何をしようと悪くなりやしない、好きにしよう)


ここではないどこかに、彼は為したいと思うことがあると心に決めた。

雲が吹き抜け、彼のもとに落ちていた影が取り払われた。


そんな一瞬のうちに、風景は彼を取り去ったものに変わっていた。

まるで、彼こそが雲の造った影だったかのように。


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