いずれ世界最強になるシスコンサラリーマンの二重生活

かみやまあおい

Prologue

2045年、東京。


かつて静かな海が広がっていた東京湾には、今や世界で最も異質で、最も活気あふれる都市が浮かんでいる。


その名は「湾洋区」。

東京24番目の特別区として認定されてから、わずか12年。しかし、その変貌ぶりは人類史の転換点を象徴するかのように劇的だった。


高層ビル群が林立し、その合間を縫うようにリニアモーターカーや飛行型のパーソナルモビリティが音もなく行き交う。


空を見上げれば、巨大な商業施設のホログラム広告が明滅し、地上では様々な言語と、そして人ならざる者たちの声が混じり合う喧騒が渦巻いている。


尖った耳を持つエルフが最新のスマートフォンを片手にカフェで寛ぎ、屈強なドワーフが自慢の工芸品を露店で売りさばく。


獣のような耳と尻尾を持つ獣人族の子供たちが、人間の子供たちと一緒になって公園を駆け回る。

ここは、地球と異世界が交差する最前線であり、新たな共生の形が模索される実験場なのだ。


この未曽有の変化の震源地は、湾洋区の中心部に存在する巨大な構造物――通称「トンネル」。


すべては2030年に始まった。

何の前触れもなく、東京湾の海上に巨大な島が隆起した。


地質学者たちは首を傾げ、世界中のメディアがトップニュースとして報じたが、その謎は深まるばかりだった。


そして島の中心部には、まるで巨大な口を開けたかのように、不可思議なエネルギーを湛えたトンネルの入口が出現したのである。


翌2031年、日本政府は本格的な調査団を派遣。

彼らがトンネルの先に見たものは、科学的常識を覆す、全く異なる物理法則が支配する「異世界」だった。


緑豊かな森、聳え立つ幻想的な城、そして、地球には存在しないはずの知的生命体たち。


さらに驚くべきことに、このトンネルを通過した調査隊員の何人かの手の甲や腕に、奇妙な紋様が浮かび上がったのだ。

これが後に「紋章」と呼ばれる力の源泉であることが判明する。


政府はすぐさま行動に移った。

品川区から島へと繋がる長大な橋の建設が開始され、同時に異世界との交流に向けた法整備が進められた。


2032年には世界各国の研究者が集結し、トンネルと紋章に関する共同研究がスタート。

その過程で、紋章には二種類存在することが明らかになった。


一つは機械や構造物を創造・制御する力を与える「ラタの紋章」。


もう一つは、自然現象を操り、不可思議な現象を引き起こす「マギの紋章」。


2033年、橋が完成。安全性が確保されたと判断した政府は、島への移住を解禁し、ここを「湾洋区」と命名した。

新たな可能性に惹かれた人々、企業、そして研究機関が次々とこの新天地を目指した。


翌2034年には、トンネルを通じて異世界の住人――エルフ、ドワーフ、獣人族などが現れ始めた。


当初は混乱もあったが、慎重な検討の結果、日本政府は彼らの居住を正式に許可。

多様な文化と技術が流入し、湾洋区は急速に発展。人口は瞬く間に15万人を超えた。


2035年、人口20万人突破を記念する巨大なモニュメントが、トンネルを見下ろす丘の上に建てられた。それは、二つの世界が手を取り合う未来を象徴するものとなるはずだった。

しかし、平和は長くは続かなかった。


2040年、悪夢が現実となる。

「異界事件」と呼ばれる惨劇だ。


突如としてトンネルから出現した、規格外の巨体と破壊力を持つドラゴンやワイバーンといった大型モンスター。

それは湾洋区の街を蹂躙し、近代兵器による迎撃も効果が薄く、瞬く間に被害は拡大した。


推定3万人もの犠牲者を出したこの事件は、世界中に衝撃を与えた。


異界との接続がもたらすのは、恩恵だけではない。計り知れない脅威もまた、隣り合わせにあるのだと、人々は痛感させられた。

この悲劇を教訓とし、国際社会は迅速に動いた。


各国の軍隊から精鋭を選抜し、対異界専門の特殊部隊「CF(Central Force)」が設立された。

CFは湾洋区のトンネル前に常駐し、厳重な検問体制を敷くとともに、万が一の事態に備えて24時間体制で警戒にあたっている。

彼らの存在は、湾洋区の日常を守る最後の砦となった。


事件後、トンネルの管理はより厳格になった。

一般市民が自由に異界へ渡航することはできなくなり、月に一度、CFの厳重な護衛の下でのみ、限定的な「異界体験ツアー」が実施されるようになった。


このツアーに参加し、トンネルを通過することで、人々は紋章をその身に宿すことができる。


紋章――それは、新たな時代の力の象徴。


トンネルを通過した者は、人間であれ異種族であれ、ほぼ例外なくいずれかの紋章を授かる。


興味深いことに、紋章の発現には種族的な傾向が見られた。

人間には「ラタの紋章」が宿ることが多く、異界から来たエルフや獣人族などには「マギの紋章」が宿るケースが大半を占める。

もちろん例外は存在し、マギの紋章を持つ人間や、ラタの紋章を持つドワーフなども少数ながら確認されている。


しかし、ただの一つだけ、絶対にありえないとされていたことがある。

それは、一人の人間が「ラタ」と「マギ」、両方の紋章を同時に宿すことだった。


紋章がもたらす力は、現代社会のあり方を根底から変えた。

「マギの紋章」を持つ者は、魔法と呼ばれる超常の力を行使できる。

その能力は、厳格なランクによって区分されている。


一方、「ラタの紋章」を持つ者は、物質を組み替え、精巧な機械や巨大な構造物を創造する能力を持つ。こちらも魔法と同様にランク分けされている。


これらの能力により、かつて重機と多くの人手を要した大規模工事は、A級以上のラタの紋章を持つ者数名がいれば数日で完了するようになった。

魔法は医療、エネルギー、通信など、あらゆる分野で革新をもたらした。

湾洋区が短期間でこれほど発展できたのは、まさに紋章の力によるところが大きい。


今日もまた、湾洋区の空は高く、青い。

だが、その青の下では、二つの世界が交わり、新たな物語が紡がれようとしていた。

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